贅沢な寂しさ・・・(短編小説)
お互いの感情が愛情で満たされていて、ふたりはお互いを想いあっていたと少なくとも私は信じていたし、事実、恭介からは大学卒業後だけれど心づもりしていてほしいと、結婚を申し込まれていたが、私には素直に喜んで、返事の出来る身分ではなかった。
恭介の家は、東京でも個人病院としてはとても有名な病院を経営している病院長の一人息子だったから、将来は間違いなくその病院の父親のあとを継ぎ、院長になるはずの人間だ!
その事を知りながら、私は、ただ、お互いに愛していると言うだけで、結婚できるはずもなく、恭介に対しての劣等感のような不安感を常に抱きながらも幸福感に酔う、小さな混乱した気持ちの中で、あの日を迎えた。
あの頃の若者は、現在ほど多様な遊びが無い時代だった事で、登山を楽しむ者も多く、私も同郷の先輩に連れられて、何度か登山の経験があった。
その頃の恭介は精神的にとても追い詰められている事が、そばで恭介の姿を見ている私が胸が詰まるほど彼は生き方に深く悩み、苦悩していた。
労働運動や学生運動は、益々、恭介の思いや考えからかけ離れた過激さを益して行き、それはまるで、暴力的な組織に変貌して行く事の恐怖が恭介には耐え難いものになって行き、だが、その中から抜け出そうと、もがいては、もがくほど学生運動の仲間や恭介の心をがんじがらめにして行き恭介の精神を痛め続けていた。
ある日、恭介は苦しみから逃れるように言った!!!
「みさちゃん、僕と一緒に何処かへ逃げてくれないか!」
「僕を知る人のいない場所へ・・・」
「もう、このまま、生きて行く事など出来ないから、逃げ出すしかない!」
「確かに僕は卑怯者だが、どうしても、僕の考えとは違いすぎて!」
「もう、あの中では僕は無力すぎる人間だ!」
「けれど、もう、限界なんだよ、耐えられないのだよ!」
「だから、何処かでふたりで静かに暮そう・・・」
恭介はもうその時は冷静な判断の出来ないほど精神的に追い詰められていたのだった、けれど私は若さゆえの未熟さが、その時の恭介の心を見抜けずに、単純な答えしか出来ずに、恭介の心を傷つけてしまったのだろうか・・・
(4)
私は安易に軽い気持ちで聞いてしまった、むしろ、恭介が私を頼ってくれる事が嬉しかったから、気持ちが浮ついてしまい、ふかい思慮に欠けていたのかもしれない!!!
「恭ちゃんは、何処に行きたいの!」
「私は何処でも良いけれど、ご両親は?」
「恭ちゃんが出かける事を許して下さってるの?」
恭介に対して、私は、本当につまらない質問をしてしまった。
無神経にも、恭介の一番気がかりな事を平気で言ってしまった!
長い時間が過ぎて、大人としての判断が出来る今は、あの時の恭介の気持ちを理解も出来るけれど、あの頃の私は幼さと無恥な世間知らずで、人の心を理解できるほどの賢さも持ち合わせてはいなかった。
ただ、恭介をとても愛してる、その心や想いだけで、あまりにも幼かった、愚かな人間だった。
恭介に乞われるままに、私は、仕事場の先輩に連れて行ってもらっていた登山では馴染みのある私の大好きな山をいくつか考えて、何度か行った事のある山、「谷川岳」にふたりは登山する事になった。
恭介は始めての登山体験だった、だから、私は恭介の登山の装備も一緒にふたりの荷物を用意して、私の手持ちのリックに恭介の装備をパッキングして、恭介に渡して背負って貰った。
その頃は、恭介は私の部屋に時々来ては泊まって行く男と女の間がらになっていたから、私は何の躊躇もなく、恭介の愛情を疑う事もなく、うわべだけは仲の良い恋人同士の姿だった。
私は登山がはじめての恭介の事をもっと良く考えるべきだった!
少なくとも恭介の背負うリックの中身を彼に見せて、どんな時に必要な物なのかを知らせておく事が必要だったが、そのちょっとした注意を怠った事によって、私の人生を大きく狂わせたのかも知れない!!!
私はその事を、40年が過ぎた今も胸がえぐられるほど痛い思いで後悔する気持ちになる!!!
40年前のあの日、恭介と私は夜行列車に揺られて、谷川岳の登山口の駅、土合駅へ向かった。
私は、夜行列車には、ふるさとに帰るときも、又こうした登山などで出かける時などに、たいていは夜行列車を利用する為に慣れていたが、恭介は育ち方の違いもあり、夜行列車にはあまり乗った事がなくて、相当の苦痛を感じていたようだった。
あの頃は本当に登山ブームだった、しかも、殆どが若者の独壇場であった、だから、夜行列車も上野から乗り込む時は、通勤の乗客も乗っている為に遠慮がちにリックを積み上げて座る場所をつくり、だんだん、通勤客が降りて行き、前橋を過ぎた頃には軽く飲むビールや酒の酔いも手伝い、男性は列車のイスの下に新聞などを敷き寝る、女性は固いイスの上に座って眠るのが暗黙の決まり事のようにそれぞれの場所を見つけては休んだ。
私は恭介を自分が座るイスの下の場所を列車に乗ると直ぐに確保しておいた、新聞紙をしいて恭介の寝る場所にふたりのリックなど荷物を置き、その上に恭介に座ってもらった。
周りの乗客が落ちつくまではただ座って待つしかなかったが、恭介はこういった場所や状況に慣れていないために、ぎこちなく、居心地の悪そうな表情をして、眼をとじたり、時々、大きく深呼吸するようにため息をついていた。
恭介は眠れずに、息苦しさも手伝って、何度も咳込んで苦しそうにしては寝返りをする、狭い座席の下で耐えているようだった。
私は恭介とふたりで谷川岳に登れる事が嬉しくて、心が小躍りするほど興奮してしまっていたから、恭介が、何を思い考えての行動なのか、察する事も出来ない、恋心だけがあつくなるばかりだった。
(5)
乗り合わせた夜行列車は、周りの山男や山女の手馴れた手順でもう各グループごとに酒盛りを始めてるから、つい、はしゃぎだして、遠慮がちながらいつしか、大きな笑い声や話し声を出してしまう!、立ったままの通勤客は不愉快そうな顔の表情をしていて、時には・・・
「あいつら、うるさいな~」
「いいかげんにしてくれよ!」
「ほかの乗客の迷惑を考えろよ!」
そんなふうに言って、怒り出す乗客もいたが、たいていはその時の雰囲気が険悪に瞬間的になったとしても不思議と、言い争いや喧嘩になる事はなかった。一時的に嫌な空気になっても、誰かが、一言、「すみません、ごめんなさい」と素直に誤ったりして、自然に落ちついた雰囲気になっていく・・・
いつしか、列車の中は男はイスの下や通路に寝て、女は固いイスに座り、眠りについて行く・・・
けれど、恭介はこのような雰囲気に、体験も無い事で、馴染めずに、苦しそうに何度も寝がえりして、落ちつかない様子で深いため息に気づきながらも、私は少しだけ飲んだアルコールの酔いに誘われて、やがて軽い眠りについてしまい、いつしか、水上の駅を過ぎて、土合の駅についてしまった。
たいていの乗客、登山者はここ土合駅で降りてしまうのであわてる事もないが、大きな荷物を背負っている山やさんたちは、怒鳴り声のように大声で連絡しあっていることが、恭介には驚きと恐怖を感じたようだった。
土合駅は地下深くに列車の下りホームがあり、『486段』の階段を登って、地上駅に出なくては、谷川岳登山は始まらない!!!
作品名:贅沢な寂しさ・・・(短編小説) 作家名:ちょごり