laughingstock5-2
5章2 like
シェロを尋ねてきた上位聖職者の名をエイジアと言った。大聖堂に勤め、神にその身を捧げ続けて何十年。努力が実った結果、今の階級にある。
教皇を補佐する一人として数えられるようになった今、言える事がある。
彼は神に仕える考え方ができなかった。
教会そのものの者である領地を自分の物と考え、巡礼者の受け入れに良い顔をしなかった。
困窮者を見てもただの物乞いとしか思えなかった。
自分の欲望は膨れ上がるばかりで聖職者とは名ばかりな者となっている事に自分で気付いていた。
彼には最後の審判への恐れがなかった。
彼は見たのだ。死ぬまでに夫が財産さえも全て教会・・・神に遺贈し、貧しくなった家族を。
そのおかげで裕福になったのは神ではなく自分だった。
自分を偽り続けたし、神に対して本当は懐疑心を持っていた。
(民は貧しくなっていく。私達はただ裕福な暮らしをしていく。
しかしこれは神の意志だ)
神に捧げた結果なのだから。
その反面、何て都合の良い考え方だと思う。賄賂を受け取り甘い蜜を吸う側になって、初めてこの神の決めたと言われる制度の矛盾さに気付いたのだった。
(強者によく、できているな)
エイジアには最後の審判への恐れが無い。ただ、あるのは皆と同じ死への恐怖だった。
「こんにちは、官僚様・・・というべきなのかな」
エイジアしかいないはずの部屋に凛とした伸びやかな声が響く。エイジアが振り向くと異様な旅芸人のような衣装をした青年と巨躯のウサギが立っていた。
青年はおかしそうに目を細め、エイジアの方へ近付いてきた。その右目を囲うように刻まれた文様。赤い瞳に人ではない存在を思い浮かべて、自然に入っていたらしい力を抜く。
「本当に依頼を聞いてくれたのか」
「ええ」
彼が返事を返すと、エイジアは自嘲するように嗤う。
何の感情も浮かばないその眼は何もかも見通すようにエイジアを見ていた。
ここまで不躾な程に見る人間はあの小憎たらしい男だけだと思っていた。
「?」
しかしふと気付く。彼の視線が逸れて別のものに向かっている事に。
それは部屋に置かれている本あるいは書類に向けられているのか。
エイジアには測る事はできなかったが、彼の赤い眼は何かを辿るように伏せられていた。
「頼んでおいてなんだが、私より優先する願いの方があるのではないかね?」
そう問うと、青年は可笑しそうに口元に孤を描く。
「僕らは依頼を選べませんから。それに願いなんて何であれ紙一重です」
さらっとこのpielloは答えるが、エイジアからしてみるとそれは不可解な感銘を受けた。あっさりと答える言葉には何の悪意も無い。本気でそう思っているのだ。
「・・・pielloとはそんなものか」
「まぁ、そうでしょうね。依頼人が厭だからとかどんな仕事をしているかなんて僕らには深い意味はないのです。願いを叶えるために僕らはいるのだから」
「・・・そうか。なら、いい」
生まれて初めて見るpielloの存在は確かに神の使いでは決して無いと思った。何処か自分に似ていると罪深くもエイジアは思ってしまったからだった。
だが、感慨に耽る前に気を取り直して彼に願いを伝える。
「私の願いは私が此処から消えないようにしてほしい」
「それはそれは。貴方の悪行に気付いた人間でもいたのですか」
pielloはおかしそうに目を細める。まるで全てをお見通しのように彼は不思議そうに訊ねて来た。
「・・・分からない。ただ、そんな気がしている」
「エイジア様。余計な事かも知れませんが、もっと貴方に合った場所へ行こうと思わないのですか?ここは貴方の行いに対しては許容されてないのでは?」
エイジアは頷く。許されるわけが無い。此処では聖職者は完璧で在らなければいけないのだ。
「私の生きる場所は此処だ。此処こそが特定の集団に属する各人に来世のためのしかるべき場所を割り当てた場所なのだ。神の意志にしたがって。
それは道理だ。そして此処は成っている」
「仰るとおりですね」
彼は苦笑して、肩を竦めた。彼は殺風景なエイジアの部屋を見渡し、視線を戻す。自分の二つに分かれた帽子に触れながら片手で巨躯のウサギに触れながら言った。
「貴方は僕に似ている。僕は規格外なはずなのにその道理が通用する。貴方と僕の違いは自分の中に地獄がないだけで。
貴方は最後の審判を信じないのですよね。僕もですよ」
エイジアは少なからず驚いた。似ていると言う点ではエイジアも同じ気持ちだったからだ。どちらかというとpielloは庶民の味方というイメージがあったため、彼が自分に共感するとは思わなかった。
そして最後の審判。
最後の審判への恐れとは、死後には二つの世界の存在が信じられていた。神と共にいられる天国と悪魔達との地獄である。
写本はその二つを如実に希望ないし恐れを帯びていた世界を詳しく描き出している。
この世で生を送る間、教徒は聖職者の助力や聖遺物信仰に重要さを与える聖人たちのとりなしを得て、何とか天国にふさわしい者たろうと努めなければならない。
時の終わりに神が地上に舞い戻って聖者と死者を裁くと信じられていた。これが最後の審判である。
世俗の貴族は貧しい農民同様、死の恐怖のうちに生きてきた。貴賎を問わず、死に向かう者達は自分の魂が救済されるのをなんとか確信したいと願っていた。
慈善事業に財産を遺贈すれば救いの力を授かるという信仰に基づいて、死そのものではなく、第二の死、劫罰へのいてもたってもいられない恐怖に強いられたふるまいが生み出された。こうした死と最後の審判への恐れによって、教会や修道院は富を築くことができた。
これは一種の強迫観念とも言える。
よって人は善き信者として生きる。
それゆえ天国に行くという目的を何にも増して追い求めた。
善き教徒は慈善を行い、道徳にかなった行動を取らなければならない。
過ちに対する赦しは教会への寄付という形で行われるのだ。
「最後の審判、未来への幸せなどを欲張って考えるから、僕らを必要とする。そして自分では手を汚さないから天国へ行けると考える人間の多いこと」
「それは、仕方のない事だ。神が決めたと言われるこの制度に穴は無い。
pielloは我らの逃げ道なのだろうな」
ウサギがぴんと顔を上げて耳を動かす。その様子に彼は小首を傾げ、一つ手を叩いた。
「貴方は知っている。この制度は政府達が作った事を」
「私がそちら側だから、分かった事だ。審判が本当に在ったとしても私は地獄に決まっている。
今を生きる事が何よりなのだ。死が怖い。生に執着した結果と言えるのだろうな」
エイジアの世界は狭く、神の庭に遠い生き方と知っていながら今の立場を受け入れている。罪悪感など無い。
目の前の彼の世界もまた狭いのかもしれない。
表情で分かる事はできないが、何となくそう思えてしまう。
「・・・piello、私の願いを叶えてくれるか」
「いいえ。貴方に対して僕は特に何もしない。今此処にある事が依頼達成になっている」
シェロを尋ねてきた上位聖職者の名をエイジアと言った。大聖堂に勤め、神にその身を捧げ続けて何十年。努力が実った結果、今の階級にある。
教皇を補佐する一人として数えられるようになった今、言える事がある。
彼は神に仕える考え方ができなかった。
教会そのものの者である領地を自分の物と考え、巡礼者の受け入れに良い顔をしなかった。
困窮者を見てもただの物乞いとしか思えなかった。
自分の欲望は膨れ上がるばかりで聖職者とは名ばかりな者となっている事に自分で気付いていた。
彼には最後の審判への恐れがなかった。
彼は見たのだ。死ぬまでに夫が財産さえも全て教会・・・神に遺贈し、貧しくなった家族を。
そのおかげで裕福になったのは神ではなく自分だった。
自分を偽り続けたし、神に対して本当は懐疑心を持っていた。
(民は貧しくなっていく。私達はただ裕福な暮らしをしていく。
しかしこれは神の意志だ)
神に捧げた結果なのだから。
その反面、何て都合の良い考え方だと思う。賄賂を受け取り甘い蜜を吸う側になって、初めてこの神の決めたと言われる制度の矛盾さに気付いたのだった。
(強者によく、できているな)
エイジアには最後の審判への恐れが無い。ただ、あるのは皆と同じ死への恐怖だった。
「こんにちは、官僚様・・・というべきなのかな」
エイジアしかいないはずの部屋に凛とした伸びやかな声が響く。エイジアが振り向くと異様な旅芸人のような衣装をした青年と巨躯のウサギが立っていた。
青年はおかしそうに目を細め、エイジアの方へ近付いてきた。その右目を囲うように刻まれた文様。赤い瞳に人ではない存在を思い浮かべて、自然に入っていたらしい力を抜く。
「本当に依頼を聞いてくれたのか」
「ええ」
彼が返事を返すと、エイジアは自嘲するように嗤う。
何の感情も浮かばないその眼は何もかも見通すようにエイジアを見ていた。
ここまで不躾な程に見る人間はあの小憎たらしい男だけだと思っていた。
「?」
しかしふと気付く。彼の視線が逸れて別のものに向かっている事に。
それは部屋に置かれている本あるいは書類に向けられているのか。
エイジアには測る事はできなかったが、彼の赤い眼は何かを辿るように伏せられていた。
「頼んでおいてなんだが、私より優先する願いの方があるのではないかね?」
そう問うと、青年は可笑しそうに口元に孤を描く。
「僕らは依頼を選べませんから。それに願いなんて何であれ紙一重です」
さらっとこのpielloは答えるが、エイジアからしてみるとそれは不可解な感銘を受けた。あっさりと答える言葉には何の悪意も無い。本気でそう思っているのだ。
「・・・pielloとはそんなものか」
「まぁ、そうでしょうね。依頼人が厭だからとかどんな仕事をしているかなんて僕らには深い意味はないのです。願いを叶えるために僕らはいるのだから」
「・・・そうか。なら、いい」
生まれて初めて見るpielloの存在は確かに神の使いでは決して無いと思った。何処か自分に似ていると罪深くもエイジアは思ってしまったからだった。
だが、感慨に耽る前に気を取り直して彼に願いを伝える。
「私の願いは私が此処から消えないようにしてほしい」
「それはそれは。貴方の悪行に気付いた人間でもいたのですか」
pielloはおかしそうに目を細める。まるで全てをお見通しのように彼は不思議そうに訊ねて来た。
「・・・分からない。ただ、そんな気がしている」
「エイジア様。余計な事かも知れませんが、もっと貴方に合った場所へ行こうと思わないのですか?ここは貴方の行いに対しては許容されてないのでは?」
エイジアは頷く。許されるわけが無い。此処では聖職者は完璧で在らなければいけないのだ。
「私の生きる場所は此処だ。此処こそが特定の集団に属する各人に来世のためのしかるべき場所を割り当てた場所なのだ。神の意志にしたがって。
それは道理だ。そして此処は成っている」
「仰るとおりですね」
彼は苦笑して、肩を竦めた。彼は殺風景なエイジアの部屋を見渡し、視線を戻す。自分の二つに分かれた帽子に触れながら片手で巨躯のウサギに触れながら言った。
「貴方は僕に似ている。僕は規格外なはずなのにその道理が通用する。貴方と僕の違いは自分の中に地獄がないだけで。
貴方は最後の審判を信じないのですよね。僕もですよ」
エイジアは少なからず驚いた。似ていると言う点ではエイジアも同じ気持ちだったからだ。どちらかというとpielloは庶民の味方というイメージがあったため、彼が自分に共感するとは思わなかった。
そして最後の審判。
最後の審判への恐れとは、死後には二つの世界の存在が信じられていた。神と共にいられる天国と悪魔達との地獄である。
写本はその二つを如実に希望ないし恐れを帯びていた世界を詳しく描き出している。
この世で生を送る間、教徒は聖職者の助力や聖遺物信仰に重要さを与える聖人たちのとりなしを得て、何とか天国にふさわしい者たろうと努めなければならない。
時の終わりに神が地上に舞い戻って聖者と死者を裁くと信じられていた。これが最後の審判である。
世俗の貴族は貧しい農民同様、死の恐怖のうちに生きてきた。貴賎を問わず、死に向かう者達は自分の魂が救済されるのをなんとか確信したいと願っていた。
慈善事業に財産を遺贈すれば救いの力を授かるという信仰に基づいて、死そのものではなく、第二の死、劫罰へのいてもたってもいられない恐怖に強いられたふるまいが生み出された。こうした死と最後の審判への恐れによって、教会や修道院は富を築くことができた。
これは一種の強迫観念とも言える。
よって人は善き信者として生きる。
それゆえ天国に行くという目的を何にも増して追い求めた。
善き教徒は慈善を行い、道徳にかなった行動を取らなければならない。
過ちに対する赦しは教会への寄付という形で行われるのだ。
「最後の審判、未来への幸せなどを欲張って考えるから、僕らを必要とする。そして自分では手を汚さないから天国へ行けると考える人間の多いこと」
「それは、仕方のない事だ。神が決めたと言われるこの制度に穴は無い。
pielloは我らの逃げ道なのだろうな」
ウサギがぴんと顔を上げて耳を動かす。その様子に彼は小首を傾げ、一つ手を叩いた。
「貴方は知っている。この制度は政府達が作った事を」
「私がそちら側だから、分かった事だ。審判が本当に在ったとしても私は地獄に決まっている。
今を生きる事が何よりなのだ。死が怖い。生に執着した結果と言えるのだろうな」
エイジアの世界は狭く、神の庭に遠い生き方と知っていながら今の立場を受け入れている。罪悪感など無い。
目の前の彼の世界もまた狭いのかもしれない。
表情で分かる事はできないが、何となくそう思えてしまう。
「・・・piello、私の願いを叶えてくれるか」
「いいえ。貴方に対して僕は特に何もしない。今此処にある事が依頼達成になっている」
作品名:laughingstock5-2 作家名:三月いち