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laughingstock5-1

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5章1  aijia


 彼は神に仕える考え方ができなかった。
 教会そのものの者である領地を自分の物と考え、巡礼者の受け入れに良い顔をしなかった。
 困窮者を見てもただの物乞いとしか思えなかった。
 自分の欲望は膨れ上がるばかりで聖職者とは名ばかりな者となっている事に自分で気付いていた。
 また、彼には最後の審判への恐れがなかった。
 彼は見たのだ。死ぬまでにとある家庭の夫が財産さえも全て教会に遺贈し、貧しくなった家族を。
 そのおかげで裕福になったのは自分だった。
 今自分を動かすのは死の恐怖に違いは無い。皆と同じだ。
 しかしそれに動かされるのは生への欲求だと。

 修道士は自ら進んで隠遁して、自分自身を神への奉仕にすべて差し出そうとする。
 隠遁生活と共住修道生活と分かれ、人里はなれて孤住する者と孤住が修道院の中で営まれると考える者があった。修道院は人里離れた地に建てられるようになる。修道士が世俗から切り離された生活を送り、祈りと労働に明け暮れるのを促すためである。大修道院付属教会はすぐれて霊的な宗教空間の中心だった。そこで行われる聖務やミサには原則としてすべての修道士が参加することになっていた。
 
 大修道院に所属する修道士たちが聖務を行う時間以外はほとんど修道院の中庭を囲む列柱廊で過ごしていた。列柱廊の周囲には修道者たちが共同生活を営む上で不可欠な様々な施設(教会参事会会議室、談話室、暖房付き休憩室、共同大寝室、食堂、貯蔵室、トイレなど)が集まっていた。 
 そこは安らぎと瞑想の場として使用され、修道士たちが散歩や瞑想、読書などをしたのも此処だった。それは写本書写修道士長であるシェロも同じ事で、同期の友人達と談笑したり読書するために適した場所だった。
 シェロの同期の青年達以外でシェロと関わりがある者は学校や図書館に務める者で、彼らも休みの時は此処へ帰ってくる。
 今日は休日なため、久し振りに見る彼らの姿があった。
 彼らもシェロに気付いたらしく軽く手を振ってくる。

「シェロ、久し振りだな」
「はい。アレス様、それにディー様も。お元気そうで何よりです」

 アレスといわれた男は20代後半の髭を生やした強面の男だが、非常に気の良いシェロの先輩だ。隣にいるディーという男性は物静かで知性に溢れた方だった。

「シェロ、私達に敬語は必要ない。君の方が地位は高いのだから」

 穏やかだが、厳しい言い様をシェロは否定するように首を横に振る。

「いいえ。私にとってはお二人も此処にいらっしゃっていないモーリス様もバレッサ様も皆先輩です。
 それを越す事はできません」
「でも、君は私達の中で最も才能に恵まれていた者。写本装飾修道士、写本書写修道士となれた者です」
「その辺にしておけ。ディー、シェロは何と言おうとこういう自分で決めた事は変えはしない。
 そうだろ?シェロ」
「はい・・・私などが敬語なしに皆さんに話すなんておこがましい事です。立場がどうであろうと。
 私は年下の未熟者です。ですからディー様、お願いします」

 シェロはそう言って頭を下げる。そのため、見えないがきっとディーは仏頂面をしているだろう。アレスがいつもからからと笑って落ち着けている声がする。

「デーィー、真面目すぎるのもどうかと思うぜ。シェロだってまだまだ年上に甘えたい年頃なのさ」
「アレス、君はその口調を改めろ。神を捧げて生きる者が下賎な言葉を使うものではない」
「仕事中は使ってませーん」
「今も改めろ」
「今は休憩中。他に誰もいねぇからいいだろー?」
「そういう問題ではない」
 
途中から口喧嘩となっており、シェロは恐る恐る頭を上げる。こうなるともう二人はもうシェロの事など気にしていない。周りも見えていない。
 シェロは物心つかない頃からこの大聖堂にいる。両親は記憶には無い。しかし此処にいる二人ともう二人、幼い頃から修道士長以外に色んな事を教え、勉強、遊びと良き兄として10年程ずっと慕い続けてきた。
 彼らこそシェロの目標でもあった。だが、シェロに与えられたのは彼らを越える地位だった。
 今でも心のしこりとなっている。彼らは誰一人責めはしないけれど。
 幼い頃から喧嘩しながら仲の良い大人となった彼らを見てシェロは少し影のある笑みを浮かべる。

(この地位は貴方達こそ相応しかった)

 ディーが喧嘩の途中で我に返ってシェロを見た。

「そういえばお前が可愛がっていた養子はどうした。最近姿を見ていない」
「あ・・・」

 答えようとしたシェロの口を片手で塞ぎ、にへらと笑みを浮かべたアレスが答える。

「巡回組は1年帰ってくるかどうかだろ?それにリリちゃんは女だしな。
 此処には入って来れないし、入り口で会えるか会えないかだろ。
 それにリリちゃんはシェロよりしっかりしてるし、シェロ溺愛だから手柄立てるまで帰ってこないさ」
「できっ・・・お前は本当に口が減らないな・・・!!!」
 
そのまま口喧嘩にまた入りかかるところでアレスがシェロに「行け」と伝えてくる。拾い子が選んだ道をディーに伝えない事はアレスが決めた。全てはシェロの為に。
 アレスに頭を下げ、その場を立ち去る。
 歩く事はできなかった。ほぼ走るようにその場を立ち去り、スクリプトウムの自分の仕事場へ篭る。
 きりきりと痛むのを堪えて、シェロは本棚を背にして床に座り込む。

「・・・本当に・・・私は・・・」

 養い子というよりほぼ歳の変わらない勝気の少女が、此処へシェロの知り合いを頼って忍び込んできた事を思い出す。


『貴方の元で働けなく事を許してください。道を誤る事を許してください。
 けれど貴方の思いに背く訳ではありません』


 必死で懇願してきた彼女を止める事ができなかった。
 その事を偶然知ったアレスと秘密を共有する事になったのだが、その時のアレスの表情はいつもより厳しいものだった。

「いいか。シェロ、この事は内密にするぞ。お前がリリの面倒を見ている事は俺達しか知らない。
 もし、万が一の事があった時のために公表をしなかったはずだ」
「・・・ええ」
「その時俺が拾ってきた事にしただろ?お前はもう写本書写修道士長だったからな。で、だ。もしリリに問題が あった場合、お前はその地位を引き摺り下ろされるだけじゃ済まない。
 ・・・ディーには言うなよ。言ったが最後、お前は此処にはいられなくなる」

 ディーは良くも悪くも真面目だからなと、アレスは吐き捨てるように呟く。ディーとの付き合いの長いアレスが、ディーの事で愚痴るのは初めて聞く事だった。
しかし、それは正しいとは言えなくともシェロを護るものだったのだ。あの頃、アレスが掛けた保険は今でも掛かり続けている。
 
 日が差し込まない時間に虚ろに視線を窓に向ける。残像を探すように。
 その時、ぱたんと写本を集めた一冊の本が側へ落ちてきた。
 拾おうと手を伸ばし、やめる。

「・・・」

 少し躊躇し、その本の表紙に指を伸ばした。
 扉が、ノックされる。
 2回。
 びくっと伸ばしていた手を引っ込めて立ち上がる。服の裾を払い、机の側に戻ってノックに答えるとシェロとほとんど面識の無い上位聖職者の姿があった。
作品名:laughingstock5-1 作家名:三月いち