形のない形
7
慶嗣は生き生きとしている。
なぜ生き生きとしているかは言うまでもない。心なしか前よりも闊達《かったつ》になったような気がする。別に今までが暗かったわけでも、物思いに耽っていたという印象でもなかったが、腫れ物が取れたような笑顔を見ていると、これがいいことなのかそうでないのか判らなくなる。
これからの実生活で苦労しないのだろうかと気が気でないのだが、そのような心配は無用だとでも言うように、慶嗣は「気遣い無用」オーラを発しているような気がする。いざとなれば、慶嗣の生活の面倒くらい俺が見てやるという気持ちはあるが、それを云ったら慶嗣は怒るだろうか。
精神に関しては専門外だが、身体完全同一性障害は精神疾患か脳神経の疾患なのか諸説あり、未だはっきりしない。同一性障害のなかでも比較的知られている性同一性障害と同じとは考えにくい。男性女性はいずれも人間としては普通の状態であるからだ。一方、身体が完全であることに違和感を感じ、不完全な状態に同一性を求めるのは、どのような精神状態なのだろうか。想像できるようなできないような、むず痒い気持ちになる。
なにが正常でなにが異常であるかは、線引きが非常に難しいし、結局それは社会が決めているもので、医者はそれに基づいて判断を行う。極端な話をすれば、社会が問題としていれば異常。本人が困っていれば異常だとし、治療に務めるだけだ。
多くの人にとっては、慶嗣の行動ははっきりと異常に映るだろう。俺自身も完全に理解しているとは言い難い。今でも、何とかして留まらせることは出来なかったのかと考えないこともない。
慶嗣は他人には理解されないであろう、その思いを俺には打ち明けてくれた。そのとき、俺はそんな慶嗣をもっと理解しようと思ったし、困ったことがあるのならそれを取り除いてやりたいとも思った。それは思い上がりなのかもしれないし、余計なお世話なのかもしれない。
それに、それを言うなら、男にしか恋愛感情を抱かない俺も異常なのかもしれない。医学的には異常ではないと認められていたとしても、それと社会との隔たりを感じることとは別の問題だ。殊に恋愛という極個人的な事柄を扱うのだから、客観的に分析をしなければならない科学や医学では全てを計ることはできないのは当然なのかもしれない。根本的には、なぜ人は人を好きになるのかという問題に立ちふさがれる。
しかし、その指向を制御できないという点においては、同一性障害と同じ感情であるのではないかと考えることが出来るのかもしれない。
看護師詰め所で書類に目を通しながら、頭の片隅で考えると、
「218の西雲君、イイよ」
看護師たちが小声で話しているのが小耳に入る。
「あの人、モデルだよ。やっぱりスタイルいいよね」
「でも上肢欠損じゃモデルは出来ないよね」
「看病してあげたい」
「それは仕事でしょ?」
冷静な受け答えも混じりながら話は進む。
「誰かアプローチしたりしたの?」
「今井さんがその気らしいけど、どうかなー」
「西雲君て幾つよ。今井さんと離れすぎてんじゃない?」
歳の差なら、俺との方があると思うが、と心の中で反応する。
「そういえば、浅野先生が入院の保証人になってるのね」
「あら、入院手続きも浅野先生よ」
一緒に暮らしてて、なおかつ恋人だ。胸を張ってそうは言わないが、保証人になるのは当たり前だろう。
それよりも、看護師が仕事中、患者にアプローチをかけるなど倫理的に問題だろうと思うが。あまりにも度が過ぎるようなら、看護師長に相談だな。因みに、俺は患者に手を出したことなどはない。そもそも診察中にそんな余裕はないが。
「浅野先生、西雲さんとお知り合いなんですか?」
そのことを訊こうと話題を出したのか、それとも偶然か、看護師の一人が訊いてくる。
「ん。ああ。知り合いって言うか、同居人だな」
「えー、一緒に住んでるんですか?」
「ちょっと縁があってね」
「ルームシェアですか?」
「まぁ、そうかな」
「実は恋人とかじゃないんですか?」
こういう問い掛けは慣れてる。というか、女性はこういう話好きだな。俺も、女性に興味を示す振りとかをしないから、感じ取られているのかもしれない。
「そうかもな。だから西雲には程々にしておいてくれ」
冗談めかして言う。一応牽制程度にはなるかもしれない。
「やだ、浅野先生ったら」
この手の話題は冗談にしてしまうに限る。興味本位の質問に真面目に答える義務はない。
「さて……、カンファレンスに行ってくる」
そう言い残して、看護師詰め所を後にした。