形のない形
3
あれから三日。入院の部屋は個室になった。おそらく隆弥がそのように手配したのであろう。
入院した次の日には、忙しい中、隆弥は家から慶嗣の入院に必要な用具を手際よく揃えた。仕事柄必要なものはわかっているので要領は得ているのだろう。
慶嗣は横たえられたベッドの上で包帯に包まれた自分の左腕を触った。
違和感で窒息しそうだった左腕はもうない。この上ない安心感を覚える。多少の痛みを覚えるがそれさえも快感にすり変わる。ただ、左手の薬指に填めていたマリッジリング―――隆弥さんがパートナーになる際に気持ちを残しておこうと呉れたものだ―――をつける場所がないことに一抹の寂しさを感じた。
病室のドアが開き、白衣の隆弥が入ってくる。
「目が覚めたのか。調子はどうだ?」
「悪くないよ。気分はいいし。ただちょっと痛みがあるかな」
本当に気分がいいのだという風に慶嗣は笑顔で答える。
「そうか。痛みに関しては後で麻酔のドクターに診てもらおう」
そう言いながらベッドを起こし、隆弥はベッド脇の椅子に腰掛ける。
「別に痛いのは平気なんだけど」
「そうなのか? 痛みだけは看てわかるものじゃないからな。きちんと言わないとだめだぞ」
しばしの静寂の後、
「慶嗣も無茶をする。そこまでして……」 隆弥は口を開く。
「怒ってる?」
「いや。ただ無茶をすると思っただけだ。搬送されてきたお前を見たときは生きた心地がしなかった。症状によっては命に関わる場合だってあるんだからな」
「ごめん。心配かけて……」
「……慶嗣がそこまで考えていることに気づけずに済まなかったと思ってる。セラピストまかせにしすぎていたのかもしれないな」
「どうして隆弥さんがあやまるんだ……。全部俺が勝手にやったことだろ。それに隆弥さんが一番俺の事を真剣に受け止めてくれただろ……。普通はバカ扱いされて終わりだ、こんなこと。それにカウンセラーの言うことなんか、俺、全然聞いてなかったし」
しかもカウンセリングを受けながらも密かに計画を練って、投薬治療の内用薬まで利用して……ということは口には出さず慶嗣は隆弥を見つめる。
「慶嗣」
名前を呼びながら慶嗣の髪をかき上げる。隆弥の手はしばらく髪をなでると頬へ移動しつねる。
「隆弥さん。……痛い」
無言のまま左手も頬にかけ、両手でさらに頬をつねる。
「これくらいは怒ってるかもしれないと思いなおした。しっかり下調べをして計画的すぎる強行だったからな」
「やっぱり怒ってたんじゃんか」
両手を頬から離し、抱きしめる。
「パートナーの身体にメスを入れる方の身になれと思っただけだ。個人的にはそんなことは全然思ってないから安心しろ」
「それは…安心できないんだけど…」
「まぁいい。しばらくは安静にしないとな。後のことは後で考えよう」
「後の事って?」
「その体じゃいろいろと問題が起きるだろう。まぁ、いま言う事じゃないけどな」
「そうだね……。でも本来の俺はこうだから」
抱きしめる腕を離し、肩に手を置き、あっけらかんとした慶嗣の反応にため息を付く隆弥。
「なるほどな……」
「ごめん。―――意味わかんないかもしれないけど」
「意味はわからないが、それが慶嗣だというのは理解してるよ」 腕を組み慶嗣を見つめる。
「仕事関係の人にはどう説明するんだ?」
「そのまま?」 首をかしげる
「そのままというのは、お前が自分で腕をなくしたと説明するということか?」
「そう。どう思う?」
「慶嗣がそれでいいならいいと思うが……。事故だと説明することもできる」
「事故?」
「ああ。工具での作業中に誤ってとか、雪山での遭難…は無理があるかもしれないが説明できなくもない」
「でも、そうすると同情されるでしょ? 不幸な事故って」
「そうだな」
「それは、嫌、だな。これは俺の本来の姿で同情される必要も、気持ちを理解される必要もないことだと思う」
慶嗣は隆弥の顔を見てはっきりと答える。
「そうか……そうだな」
隆弥は慶嗣の頭にそっと手を置いて、
「でも、それは同情されるより大変なことだと思うぞ」
慶嗣は小さく頷く。
「隆弥さん……。俺のことまだ好き?」
「どういう意味だ?」 隆弥は眉を顰める。
「そのままの意味だけど」
「そのままの意味という意味がわからない。恋人の腕がなくなったから好きでなくなるなんてことはないだろうし、他に嫌われるようなことをした自覚でもあるのか?」
「どうだろう……。でも、姿形って大事でしょ?」
「それは好きになる前の話だと俺は思う。もう慶嗣とは三年以上の付き合いになるんだから容姿くらい変わって当たり前だ。何もしなくても人間は見た目は変化していく。老化がそのいい例だが、その関係性をつき合うっていうんじゃないのか?」
いつもこういう隆弥の言い方に安心させられたり笑わせられたりしている慶嗣だが、初めて逢った時のあの安心感はこれなんだろうなと、なぜか感動で涙がでてきてしまい、それを隠すために顔をシーツへ埋める。
「ありがと」 と小さく呟いて。
「とにかく今は痛い時は痛いといって素直に患者として治療に専念しろ。看護師の言うこともキチンと聞くように」 再び慶嗣の頭をそっと撫でて、
「仕事が終わったらまた来る」 と言って病室を去っていった。