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カナタアスカ
カナタアスカ
novelistID. 4748
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千切れた旗

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水際に千切れた旗がたなびく。旗が誇らしげに掲げた紋章は三分の二ほどを残して途切れていた。鉤裂かれた端は海風に吹かれ、旗を構築する細い繊維を着々と海へ引き渡す。

 ――街を示す紋章を不完全にして、この街を支える人々は不快ではないのだろうか。

 少年は呟いた。

  ――テーマパークだから演出なのでは。

 青年は推測で答えた。
 千切れた旗は街の突端、先端に灯台を設えた桟橋に掲げられている。フラッグポールの袂には白と青のストライプのテント、その下にはアイアンが装飾的なラインを描いた白いテーブルとイス。いつか観た古い映画に出てきそうな郷愁を誘う光景。
 ここは異国を模したテーマパークで、作られた架空の街で、だから片隅に『古い映画のような光景』を据えておいても不思議はない。海から寒風が容赦なく吹き付ける冬の、しかも曇り空の平日、桟橋に人影は見当たらなかったが。今日の入園者は数えるほどだと、先刻案内してくれた担当者が言っていた。もっと人出が多ければ、喧騒から逃れた恋人たちがたどり着いて、あの白いイスで休んだりするのだろう。桟橋の橋でカモメに歓声をあげるかもしれない。そうしたら、不完全な旗すら気の利いた演出と判断されることだろう。
 けれどいまこの桟橋にいるのは、愛を語らう恋人たちではなく、ふたりきりの時間を持て余す鉄道車両にすぎない。曇り空にカモメの姿もなく、だから餌を求めに彼らが『来ない』ことに気付くこともない。野生を残していればいるだけ、彼らがヒトでないことを嗅ぎ分けて、動物たちは近寄ってこない。

「落ちないでくださいよ、つばめ様」

 桟橋の端へ歩んだつばめの背に、馴染んだ小言が届いた。答えずに少年は風雨にところどころはげた白いペンキの板を踏んで進み、しまいに海を見下ろす。
 海は、ものが浸かれば水面から下は輪郭さえ見えなくなることが明白な、どんよりと濁った緑色をしている。頭上の曇天に見合った色だとつばめは思った。
 天気がよければ対岸が見えると言われたが、今日は『いい天気』とは評し難い曇天で、この海が湾の一部だという事実すら疑いたくなる。この先は外海なんじゃないのだろうか。なのはなDXに連れられて見に行った、南の、向こう側の見えない海。いちばん近い陸地でも橋をかけることができないくらい距離があるという、あの海。曇天の大村湾は果てのない広さを手に入れている。

* * *

 九州新幹線は、博多~長崎間に延伸することがほぼ決まっている。長崎ルートと呼ばれるその路線に関する諸処は、つばめの業務の範囲に含まれる。鹿児島~博多間の開通の目処がたち、車両試験もはじまった現在、『着工予定区間の下見』といえば長崎の件を指す。
 長崎ルートに関係のある自治体や施設を見て回るのも『下見』のうちだ。今日の訪問先はテーマパーク。現在は専用塗装を施した特急を走らせている。一通りの説明は時間通りに終わったが、乗車予定の列車の出発時刻へは余裕があった。手持ち無沙汰な雰囲気を『自由行動』という遠足めいた言葉で和らげて、列車ふたりは人間の職員たちから離れた。職員はパークの職員と『公式でない』会話をする時間が必要で、その場には列車はいないほうがいいのだ。『外』で彼らの制服が与える印象は、威圧感が強調される。鉄道会社の制服のなかでは気になりもしないが、一般的なスーツに混じったとき、溶け込むことは不可能だ。
 つばめの白い髪と、赤く光る三つの虹彩ばかりが異質ではないと、誰もが口にする。リレーつばめの髪と双眸は人々のうちにあっても違和感を生まない。しかし、つばめのそれは。
 桟橋にはつばめとリレーつばめ以外に動く姿はない。人目を避けてパークの隅へ辿り着いた。つばめへの好奇の目から逃れ、ふたりだけになれるように。思惑通り、この場に一般の入園者の歓声は遠く、寒風を避けて室内にいるはずの職員たちの影もない。

「新幹線との接続駅から普通列車を運行することになるでしょう。平行在来線は新幹線の営業開始後 二〇年残す方向ですが、路線を廃止しなくても特急は動かしません。佐世保方面の特急については検討中ですが、この短距離では…」
「わかっている。繰り返さなくていい」
「失礼いたしました」

 割り込んだつばめをとがめもせず、リレーつばめはあっさりと引き下がった。
 そしてまた沈黙が、ふたりの間に落ちる。
 伝えるべきなにかを隠した沈黙は、はじめて味わうものではなかった。日を追うごとに発生頻度を上げるこれは、都度少年から眼前の青年を隠す。
 隣り合って誰よりも近い場所にいると確信した瞬間は、遠い日の栄光ではないはずなのに、現実のよそよそしさの前には記憶などなんの慰めにもなりはしないのだ。

「帰る」

 つばめは唇からこぼれそうになる嘆息を押し留め、かわりにこの場をさることを決めた。テリトリー外にいるからふたりきりで手持ち無沙汰になってしまうのだ。駅まで戻れば職員がいる。ふって湧いた時間を無駄な沈黙に費やすより、めったに来ない自路線外の様子を見て回るほうがよほど建設的である。

「まだ時間はありますが、駅で部屋を借りましょう」

 男は我が儘を肯定して携帯電話を取り出した。ボタンに指を滑らせ機械を耳に当て、数秒もおかず通話相手に指示を出す。
 通話先は同行の職員で、休憩を切り上げて帰社することを伝えている。つばめ自身がしたっていいことなのに、特急が同行するときは決してさせてはもらえない。つばめが『王』であるから。彼らは跪き、つばめの意志を職員たちへ伝達する。齢六〇の『かもめ』から、つばめと同年齢の『はやとの風』まで、誰が同行しようが、彼らは『部下』で、『つばめ』は恭しく跪かれ世話される。跪く部下が『四代目つばめ』であった者だろうと、この構図は変わらない。


 つばめはかしずかれるべき『王』で、リレーつばめは跪くべき『廷臣』。だから少年は問うことができない。


 お前も消えるんだろう。
 唇を震わせることすらできない言葉は、思い浮かべるだけで胸を射る。
 『新幹線』が開通すれば、平行在来線は切り捨てられる。それは基本方針だ。路線を切り捨てずとも、特急は運用せず、普通電車だけを走らせる。『特急』は必ず廃止される。『新幹線』と競合するから。それは明らかなことだ。四〇年前からいままで、覆ったことのない、覆るはずのない、自明の理。
 背後の男はいなくなる。
 九州新幹線鹿児島ルートが全通すれば――つばめが成人すれば、鹿児島本線の『特急』は全廃される。
 以前は自然に受け止めることのできた事柄を、最近のつばめは飲み込めずにいる。生まれたときは息をするのと同じくらいにたやすく受容できたのに、いまは、喉に刺さった小骨のように消化を拒否する。
 先を行く黒いコートの背中はつばめの言葉を拒んでいる。つばめの、ではなくて、『新幹線』のかもしれなかったけれど、そうだとしても何にも変わりはしない。
 『つばめ』は『新幹線』で、他の生を知らない。新幹線という種族は王様にしかなれない。親と引き離されて育っても鳥が空を飛ぶように、つばめは生まれつきの王であると、評したのは傍らの彼だ。

「つばめ様」
作品名:千切れた旗 作家名:カナタアスカ