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世界はひとつの音を奪った

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 夕方。
 さすがに座りっぱなしで腰が痛くなってきたので立ち上がる。
 まだ日差しは明るいが、帰宅ラッシュの時間になると身動きすら取れなくなってしまうのだからこの辺の時間がちょうどいい。
 慣れた手つきでガサガサとトランクをたたむと、黒い影が視界の隅に映った。

 「ん…?」

 道を挟んだ向かい側。
 黒い少年はまだ底に座っていた。
 何をするでもなく、今はこちらを見るでもなく、携帯をも持たず、ボーっと。
 強いて言えば、目の前を通り過ぎる人の足元でも見ているようだった。
 なぜか、笑顔で。

 いや、あれは笑顔じゃないな。

 僕はあの表情に心当たりがあった。
 何年か前、同じような表情をした女の子に声をかけたことがある。
 ちなみに、僕はその時の事を少々反省しているのだが。
 どこか頭の隅で、止めておけ…という声が聞こえた。
 けれども僕は構わず、目の前のガードレールを飛び越えて、ヒョコヒョコと歩き出した。

 「やっほー。」

 僕の声に気づいた少年が顔を上げる。
 嗚呼、やっぱりと思った。
 ちょっと距離があると分かりにくいのだが、さっきのは寂しいという笑顔だ。
 「…あ。」
 「家出かい?」
 彼はキョトンとした表情で僕を見上げたまま、何も言い返さなかった。
 それが答えだった。