世界はひとつの音を奪った
聖域という店(8/9更新)
この店の名前は聖域と書いてサンクチュアリと読む。
都内の路地裏に小さな入り口を持ち、階段を下りた半地下だ。
カウンターの奥で料理を作る店主は、ロマンスグレーの良く似合う物静かな初老の男。
口ひげにも少々白髪が混じっている。
神楽ちゃんはその人を「マスター」と呼んで、懐く様に働いている。
神楽ちゃんはこの店の看板。
物静かで口数が少なく動じない店主に代わって、愛想と料理を配る。
縁者だということは聞いたことがあるが、二人の関係は僕も良く知らない。
といっても、そんなに深く親しい様子もなく、本当に店主とウェイトレスなだけだ。
「でも、マスターさんはカレセンだよぅ?」
「サトル君。ノイズのおじちゃんあんまり現代用語に疎いんだけど、カレセンて何。」
「うーんとね。その筋の女子に人気のある萌え系男子。」
「マスターどう見ても男子っていう年齢じゃないよねっ。じいちゃんだよねっ。」
「ノイズ君もああいう風に歳を取るといいよ。執事風とか。」
「善処します。」
しかしマスターさんの作るパエリアはとてつもなく美味い。
あのマスターは、時々放浪癖でもあるかのように海外に出かけ、食材を調達する癖があるらしい。
だからこの店の定休日も不定期で、神楽ちゃんがよく怒っている。
ま。
この店のマスターが本当に食材調達のためだけに世界を飛んでいるとは僕は思っていないけれど。
作品名:世界はひとつの音を奪った 作家名:黒春 和