音楽の人
あわい
(みちると荘一)「こういう時期ってたまに、」
降りはじめの雨がぽつりとベランダの柵を叩く音がして、君がぽつりとつぶやいた。
「これから夏になるのか冬になるのかわかんなくなる」
「……うん。わかるよ」
僕にしてはよく考えて答えたつもりだったのだけど、やっぱり君のご希望には添えなかったらしい。
腰を抱きしめてくるふりをしながら、夏用の綿毛布(羊の毛布は裸だとちくちくして痛いと駄々をこねるのでこれを買ったら今度は寒いと怒られた)の下で尻をつねってくる左手をつらまえたら、冷たい、と冷たい声で振り払われてしまった。
新宿のビル、ビル、ビルとビルのあい間を泳いでみたいと言ったことがある。
当然ながら僕でなく彼だ。
それは何から着想を得たのと聞いたら色気のないやつだと頭をはたかれたけれど、数年も前の夏のまひるの、しかも野外の、とろけて出そうな脳みそで記憶した言葉をまだ思い返すことができるということは、僕はきっとすごく魅力的にそれを聞いたのだと思う。
言葉と同じくして思い起こされるのがくまのキャラクターのストラップ、が下げられたギターのソフトケース、をしょい込んだまっ白な制服の肩。右の肩。
僕はたぶん君の右どなりに並んでいてそして、左の肩にギターをしょっていた。
だから僕たちは手も繋げなかった。
青くなるのを待っていた。信号が。
そこから先はうんさんなんちゃら。
ただ地理的に考えて信号の先にはコンビニがあるはずだからきっと僕たちは百円アイスを買って、そしてプレハブみたいなおんぼろスタジオへ練習に行ったでしょう。
めでたしめでたし。
あのころとこのごろが繋がっているだなんて信じられないくらい記憶は途切れ途切れだけれど、たぶん何億ものシーンを経て、僕たちは手を繋いだ。手を繋いだ。
すごく感動的だったけれど、そのとき世界は無感動なあい間の季節だった。
君のシャツは長袖で、僕のシャツは半袖だった。
それから夏になったのだったか、冬になったのだったか実は憶えていなくて、だから本当にわかるんだよ。
さっき君が言ったこと。
真夏に君が言ったことも。
眠ってしまった君の背中の向こうで、雨の音はふいに強くなる。
週末まで傘マーク。もしかしたらこのまま梅雨入りしてしまうのかもしれない。
東京じゅうの穴という穴に栓をしてプールをこしらえようか、泳ぐにはまだ寒いかな。
そういえば、これから夏になるのだった。