心なりけり
明治神宮の林は陽の光を陰って日陰の砂利道は陰気臭く、おれは誰か、誰でもいいから誰かに唾を吐きかけてやりたい気分だった。
背丈のある外国人が何やらおれに言ってきては、有無を言わさずおれにカメラを手渡し、いつの間にか鳥居の前に立って今世紀最大の笑顔でおれを待ち構えている。
おれはネイティブのそれに近い発音で「チィーズ!」叫び、親の敵と言わんばかりにシャッターを押しまくった。
焦点はぼやけ男の顔半分で額面を切り取ったおれはまるで太宰治の気分である。
砂利がうっとおしかった。
じゃりじゃり、じゃなかったらじょりじょり、何だかうるさくって仕方がない。
おれは腹いせに砂利を蹴りあげると、粉塵が一陣の風に舞って前を歩いていた老婆に降りかかった。
当然老婆は振り返る。おれは素知らぬ顔をする。するとくしゃみが出た。へっきょん。
しきりにシャッターを切る外国人観光客らを横目に、明治神宮の本殿の敷居を跨ぐや否や、おれのくしゃみはとどまることを知らぬ。
涙と鼻水も然り。なにゆえ、なにゆえ、と考える暇も与えず押し寄せてくるは鼻の奥のむずむずと鼻水と綺麗な涙と、あとはおれのやさぐれた感情である。
おれは明治神宮の本殿にて滝のように涙を噴出しながら、へっきょん、へっきょんと鼻水を垂れ流し続けるのであった。
ガキが不思議そうにおれを眺めていた。おれはへへへと笑ってガキに十円玉をくれてやった。
するとガキは汚いものを触るようにその十円玉を扱い、迅速に賽銭箱に投げいれた。罰当たりなガキんちょだ。へっきょん。
へろへろになって本殿を出るとすぐに収まったが、あれは一体なにゆえ、と思ってでかでかと掲げてあるありがたい一句を目にした。まったくもってその通りであった。「心なりけり」であった。
明治神宮を脱出し街に繰り出すと、まったく馬鹿か阿呆かド阿呆しかいないので反吐が出る。
こいつら一人一人に丁寧に唾を吐きかけてやろうかとおれは思うのである。
それにルー・リードもどきが腕組をしてきれいに並んでいるのは奇妙に過ぎる。実にへんてこな街である。
そんな風に鼻水がへばりついた顔でいつになくやさぐれて歩いていると、ド阿呆の男がおれに話しかける。
「お兄さんきっといいと思うんだけどなあ」無礼にもおれに気安く話しかけるだけで打ち首ものであるのに、その上内容が全く要領を得ぬのであっては末代までの重罰であるのが常識だが、閻魔様よりも心の寛容なおれは「あぁ」とか「はぁ」とか言って鹿としてやった。ド阿呆め。
さらに奇妙なものを目にした。女が二人、睨み合っているのであった。
その姿はまるでお互いに茫然自失しているようでもあった。
行き交う人々はそれこそ我関せずといった具合に通り過ぎるが、これはただならぬ雰囲気である。
あるいはこんなことはここじゃ日常茶飯事であるのか。
おれにはわからないが、いかにも唾を吐きかけてやりたい感じがする。
おれも人混みに飲まれていくことができたのだが、ここに立ち止まるには看過できぬ理由があった。
一方の女は美女オーラを満遍なく体中から放ち、それだけで何となく鼻につくことだが、この女はそれをいいことに男を手玉にとってはおいしい思いばかりをしている。
おれの妄想に過ぎないかもしれないがあながち間違っていないかもしれないしおれの心眼を甘く見ないでほしい。
とにかくそんな風に美女オーラの方がむかついて仕方なかったが、驚くことに、何というか、不思議なこともあるものだが、これは何で、きみがここにいる。
きみは何でここで美女と睨み合っている。おれには何が何だかわからない。でもわからないなりにおれはきみを応援するぞ。「心なりけり」だ。と思ったおれの心の隙間を狙ってくしゃみが出やがった。暴発である。防ぎようがなかった。
おれは唾液と一緒に「へっきょん!」と咆哮し、恥ずかしさからすぐにその場を立ち去った。
おれの純粋な、穢れなき魂の端っこは、顔を出したかと思う間もなく引っ込まざるを得なかった。
おれの恋は終わった。と、その時ばかりはそう思った。
おれのロマンチックな夢は、おれのやるせないくしゃみの前に瓦解したかに思えたのであった。