緑衣抄
それから先、ごくごく散漫であった理一郎の学習に突如として熱が入りだしたことは、女中や下男や子供達ばかりでなく、伯父をして驚かせしめた。ある夜夕餉が済むと伯父は理一郎を呼んで、「あまり根を詰めると体に悪いぞ」と言ったが、理一郎は例のそらっとぼけたような顔で「はあ」と一言答えただけだった。相変わらず法律の条文だの、判例だのというのは彼にとって何やら難しい専門用語ばかりを並べ立てた異国語のように映っていたが、彼はその異国語を徐々に愛そうとし始めていた。彼は辞書を引き引き、恥もなく法科の後輩を呼び出して教えを請うたりしながら全書を読み進めていった。 景子とはよく会った。隣人なのだから当たり前である。大概例の緑色の棒縞を着て、盥を庭に持ち出して洗濯をしたり布団を干したりしていた。一度だけ、彼女が縁側に座って爪を摘んでいるのを目撃したことがある。物腰の優雅さとは相反して、景子は無防備でどこか淫蕩なところのある女だった。理一郎を見かけるたびに、景子はいつもちょっと笑って見せ、そしてすぐ奥へと引っ込んでしまうのだった。だが時折は塀越しに二言三言会話することもあった。