緑衣抄
福澤先生が物故なされてからはや二十年以上の月日が過ぎ去った。天皇陛下のご崩御からも既に十数年過ぎた。乃木将軍の殉死は同じ年であるからそこからもまた十数年。夏目漱石が著書「こころ」の先生の死ももはや人々の心から段々と遠くなっている。烈士Kの壮烈な死にざまはもっと遠いに違いない。
時は大正である。道を歩けば大根に洋装を着せたようなモガや、もじゃもじゃの断髪に動物の毛で出来たシャッポを乗っけたモボが大真面目な面付きで歩いているのを見かけることが出来る。だが残りの大半は旧態然とした野暮ったい和装で日々の用を足している。往来は天地開闢のごとく混沌としている。その薄鼠やら派手な紺がすりやら格子やら綸子やらモガやらモボやらが行き交じる中を、一人の書生があっちへいったりこっちの店を覗いたりと酒酔いのようにうろついていた。鬼の金棒のようにぶん回しているステッキは父の形見である。
元来書生などいうのは余程節制している者でない限りちんぴらとそう大差ないものだが、この明屋理一郎という男、書生というにさえ心もとない。その経歴と来るや先ほど書生と紹介したのが申し訳なくなるほどである。まず、書生というのなら勉学しておらねばならぬ。しかし理一郎はしておらない。大学令が公布された後であるから、既に彼の所属していた私塾はお上に再三掛け合って大学の名を拝領していた。だが大学の名は付いていても、実態はとうてい帝国大学に及ばぬ只の場末の私塾である。私塾であっても志を持って勉学を修めたというのであるならばそれはそれで大変に立派なものであるが、情けないことにこの理一郎、楊弓屋のつまらぬ女に引っかかって散々貢いだ挙句私塾を中途でよしてしまった。その後は母がうるさいので郷里である大阪には戻らずに、実業家をしている伯父の家に転がり込んで掃除や子守をして日々の飯にありついている。伯父は屑鉄を貿易して財を成した男で、若い頃大分遊興したので理一郎のようなおよそ地面に漉き込んで野菜の餌にでもするより他に仕様のないような無能者にも優しいのである。
さて、そうはいっても理一郎とてこのままいつまでも伯父のやっかいになるわけにはいかぬという気持ちはある。無能でぐうたらといえど、元来真面目な性質の男である。伯父の伝手を頼ってとある会社に就職した。なんのことはない、そろばんを弾いて伝票を作る仕事だったが、伝票を取り違えて取引先に損失を出し、一週間で馘首された。その次はうかうかとこの頃新規大流行りの株取引に手を出してまたも伯父の顔に泥を塗った。伯父はかんかんになってしまい、仕方無く理一郎はない知恵を絞って一つの案を捻り出した。それが司法試験である。理一郎の同輩に法科の遠藤という男がいたが、此奴もまたあちらへふらふら、こちらへふらふらと理一郎とそう大差のない木偶の坊であった。周りからもきっと理一郎のように怠惰に怠惰を重ねた末、やがてはいい加減堪忍袋の緒が切れた学問の神様から剣突を食うものとばかり思われていた。しかし理一郎はこの遠藤をつい最近ステイションで見かける機会があったのであるが、その時遠藤は背広などという随分おどろおどろしいものを着て、ない髭をちょっと捻って澄まして立っていたのである。つんつるてんの絣だの、お下がりの小紋だのばかりを行李に溜め込んでいる理一郎には見慣れぬ舶来のクラヴァットが遠藤の首をちょん切っているように見えてなお剣呑であった。遠藤の前に出ていくのがためらわれて、理一郎がしばらく足を止めてぼんやりとしていると、「ああ、これはこれは――先生」と、突然にまた別の背広が遠藤に声をかけた。「先だっては大変お世話になりました」「いえいえ、弁護士としての務めでありますから」会話はここで打ち切られた。電車が来たからである。しかし電車に揺られている間にも、理一郎の心には今も同じ電車の違う車両に乗っているであろう遠藤の、学生時代とはまるで生まれ変わったかのようなしゃんとした姿が写真のようにはっきりと焼きついたまま離れなかった。ああ。これはこれは、弁護士先生。明屋先生には大変お世話になりました。次第に脳裏の遠藤の姿は洒落たシャッポをかぶって金ぴかの懐中時計を光らせた理一郎自身になり始めた。
今のを見たか。遠藤を見たか。
司法試験にさえなんとか合格すれば、新時代の花形職業たる弁護士という道が待っているのである。弁護士。実にモダーンである。実に最先端である。カフェエでちょいと法律談義でもして見せる弁護士明屋理一郎、それを見た男は皆刮目して黙り込み、女はイチコロである。イチコロにならねばならない。平生はおおっぴらに彼を剔抉して憚らぬ女中どももイチコロである。何より郷里の母に面目も立とうというもの。知らず知らずのうちににんまりと笑みがこぼれたからとて、誰が理一郎を責められよう。 概して、西洋文明が甚だしく流入した大正時代はまさに文明開化というに相応しい、弁護士躍進の時代であった。情報という言葉が作り出されたのも、会社という概念が入ったのもたかだか数十年前のことに過ぎぬ。而して弁護士はどんどんと増えていた。理一郎が司法試験というものについて舐めてかかっていたのもむべならぬところである。弁護士はまこと年毎にネズミのように増殖していたのだ。ましてや己の脳みそについて正常なる判断力を持ち合わせておらぬ理一郎である。二、三日前に司法試験を思いついたその時から、既に頭の中では文科特有の薔薇色の想像力が所狭しと運動していた。南洋で現地人から貰った鉈を武器に大ダコと戦う理一郎だの、美しい女とのローマンスに涙を流す理一郎だの、藁しべ長者式に出世して国務を総理する大臣の理一郎だのに加えて、このぼんやりした夢の庭に、数日前を以て眼鏡をかけ正義の弁護に勤しむ弁護士理一郎が加わったという塩梅である。理一郎の夢の庭では、新入りほど大きい顔をしてのさばっている。
時は大正である。道を歩けば大根に洋装を着せたようなモガや、もじゃもじゃの断髪に動物の毛で出来たシャッポを乗っけたモボが大真面目な面付きで歩いているのを見かけることが出来る。だが残りの大半は旧態然とした野暮ったい和装で日々の用を足している。往来は天地開闢のごとく混沌としている。その薄鼠やら派手な紺がすりやら格子やら綸子やらモガやらモボやらが行き交じる中を、一人の書生があっちへいったりこっちの店を覗いたりと酒酔いのようにうろついていた。鬼の金棒のようにぶん回しているステッキは父の形見である。
元来書生などいうのは余程節制している者でない限りちんぴらとそう大差ないものだが、この明屋理一郎という男、書生というにさえ心もとない。その経歴と来るや先ほど書生と紹介したのが申し訳なくなるほどである。まず、書生というのなら勉学しておらねばならぬ。しかし理一郎はしておらない。大学令が公布された後であるから、既に彼の所属していた私塾はお上に再三掛け合って大学の名を拝領していた。だが大学の名は付いていても、実態はとうてい帝国大学に及ばぬ只の場末の私塾である。私塾であっても志を持って勉学を修めたというのであるならばそれはそれで大変に立派なものであるが、情けないことにこの理一郎、楊弓屋のつまらぬ女に引っかかって散々貢いだ挙句私塾を中途でよしてしまった。その後は母がうるさいので郷里である大阪には戻らずに、実業家をしている伯父の家に転がり込んで掃除や子守をして日々の飯にありついている。伯父は屑鉄を貿易して財を成した男で、若い頃大分遊興したので理一郎のようなおよそ地面に漉き込んで野菜の餌にでもするより他に仕様のないような無能者にも優しいのである。
さて、そうはいっても理一郎とてこのままいつまでも伯父のやっかいになるわけにはいかぬという気持ちはある。無能でぐうたらといえど、元来真面目な性質の男である。伯父の伝手を頼ってとある会社に就職した。なんのことはない、そろばんを弾いて伝票を作る仕事だったが、伝票を取り違えて取引先に損失を出し、一週間で馘首された。その次はうかうかとこの頃新規大流行りの株取引に手を出してまたも伯父の顔に泥を塗った。伯父はかんかんになってしまい、仕方無く理一郎はない知恵を絞って一つの案を捻り出した。それが司法試験である。理一郎の同輩に法科の遠藤という男がいたが、此奴もまたあちらへふらふら、こちらへふらふらと理一郎とそう大差のない木偶の坊であった。周りからもきっと理一郎のように怠惰に怠惰を重ねた末、やがてはいい加減堪忍袋の緒が切れた学問の神様から剣突を食うものとばかり思われていた。しかし理一郎はこの遠藤をつい最近ステイションで見かける機会があったのであるが、その時遠藤は背広などという随分おどろおどろしいものを着て、ない髭をちょっと捻って澄まして立っていたのである。つんつるてんの絣だの、お下がりの小紋だのばかりを行李に溜め込んでいる理一郎には見慣れぬ舶来のクラヴァットが遠藤の首をちょん切っているように見えてなお剣呑であった。遠藤の前に出ていくのがためらわれて、理一郎がしばらく足を止めてぼんやりとしていると、「ああ、これはこれは――先生」と、突然にまた別の背広が遠藤に声をかけた。「先だっては大変お世話になりました」「いえいえ、弁護士としての務めでありますから」会話はここで打ち切られた。電車が来たからである。しかし電車に揺られている間にも、理一郎の心には今も同じ電車の違う車両に乗っているであろう遠藤の、学生時代とはまるで生まれ変わったかのようなしゃんとした姿が写真のようにはっきりと焼きついたまま離れなかった。ああ。これはこれは、弁護士先生。明屋先生には大変お世話になりました。次第に脳裏の遠藤の姿は洒落たシャッポをかぶって金ぴかの懐中時計を光らせた理一郎自身になり始めた。
今のを見たか。遠藤を見たか。
司法試験にさえなんとか合格すれば、新時代の花形職業たる弁護士という道が待っているのである。弁護士。実にモダーンである。実に最先端である。カフェエでちょいと法律談義でもして見せる弁護士明屋理一郎、それを見た男は皆刮目して黙り込み、女はイチコロである。イチコロにならねばならない。平生はおおっぴらに彼を剔抉して憚らぬ女中どももイチコロである。何より郷里の母に面目も立とうというもの。知らず知らずのうちににんまりと笑みがこぼれたからとて、誰が理一郎を責められよう。 概して、西洋文明が甚だしく流入した大正時代はまさに文明開化というに相応しい、弁護士躍進の時代であった。情報という言葉が作り出されたのも、会社という概念が入ったのもたかだか数十年前のことに過ぎぬ。而して弁護士はどんどんと増えていた。理一郎が司法試験というものについて舐めてかかっていたのもむべならぬところである。弁護士はまこと年毎にネズミのように増殖していたのだ。ましてや己の脳みそについて正常なる判断力を持ち合わせておらぬ理一郎である。二、三日前に司法試験を思いついたその時から、既に頭の中では文科特有の薔薇色の想像力が所狭しと運動していた。南洋で現地人から貰った鉈を武器に大ダコと戦う理一郎だの、美しい女とのローマンスに涙を流す理一郎だの、藁しべ長者式に出世して国務を総理する大臣の理一郎だのに加えて、このぼんやりした夢の庭に、数日前を以て眼鏡をかけ正義の弁護に勤しむ弁護士理一郎が加わったという塩梅である。理一郎の夢の庭では、新入りほど大きい顔をしてのさばっている。