天上の夢
天上の夢
親愛なる読者よ、あなたがたは私が以前記述した事件について、いかばかりかは覚えていることだろう。そして、私はその次なる出来事についてもここに記そうと思う。
かくして私はアレクセイとともに広い平原を旅することとなった。驢馬に引かせた荷馬車が我々の交通手段であって、アレクセイが御者の役目を引き受ける一方、私は荷台に乗ってこまごまとした荷物が揺れる荷馬車から落ちないように見張っていた。
我々は街道にそって存在する村々に立ち寄りながら旅を続けた。平凡な道中で、なだらかな平原に生えた樹木が若芽の緑に燃えあがり、青い空の高みに鳥が音もなく滑るのを見て、私は春の訪れを感じた。故郷を離れて長い時が経つが、故郷のそれと変わらない風景は私の心を落ち着かせた。背に暖かな日差しを受けるのも快く、私はそれまで感じる余裕のなかったくつろぎに浸っていた。アレクセイはというと、私がどんな状態であるかにかかわらずただ驢馬を先へと進めていた。最初のうちは夜でさえも移動を続けていたが、私が驢馬が潰れてしまうのではないかと言うとさすがにそれはやめて、野営をするようになった。真夜中に旅をするというのがどれだけ恐ろしいことであるかを、旅慣れした彼がそれほどわかっていないというのは何とも奇妙なことだった。
村に入るとアレクセイはただちに商売をはじめて、寡黙で質素な生活に慣れた農民たちを相手に護符やその他いわくありげな品物を売りつけようとした。
私の想像を裏切って、農民たちは幸運の護符や得体の知れぬ動物の体の一部を欲しがった。私の故郷の農民たちよりもこの地の農民たちのほうが迷信深いのか、あるいはこれらの護符が本当に効力を発揮するからなのかはさだかではなかったが、それをアレクセイに聞くと、おそらく我々はともかくとして品物が正規の職人の手によるものだからだろうということだった。たしかに、アレクセイが聞こえのいいとは言えない方法で商人から譲り受けた品物は粗悪ではなかった。粗悪であるどころか、その外見からすれば質がいいであろうと思われるものだった。
アレクセイはこれらの品物を売りつける代わりに、食料と金属のかけら、木材の切れはし、布や革の切れ、色とりどりの石、骨、その他ありとあらゆるガラクタを買い集めてきた。そのあげく商売用の品物より二回り大きいガラクタの山が荷台に積み上げられることになり、私は呆れて言った。
「一体こんなものを買い集めて何をするんです?」
「見てわかるとおり、これは素材だよ。これに手を加えて商品にするんだ」
アレクセイは首をすくめてそういうだけだった。そう言われると私は仕方なくひきさがるしかなかった。結局、アレクセイが食料のほか貰ってきたものの大部分はガラクタで、価値のあるものと言えば長櫃ひとつと鞘のついたナイフ一つくらいしか、めぼしいものを受け取ることはなかった。
我々が商売を始めてしばらくすると、私は村々の住民がしきりに「ソムール」という名称を口にするのに気付いた。ソムールというのは都市の名前で、そこで魔法に関わる道具の市が立つというのが村人の弁だった。
アレクセイはそれを聞くと、さっそくそのソムールに行ってみようと言った。都市のほうが農民相手の商売よりもずっと実入りがいいと彼は私に語り、村人からかの都市への道のりを訊くとすぐに出発した。
そのようなわけで、我々は魔術と悪徳の都へと至ったのである。
他のいかなる城壁よりも一層高く積み上げられたソムールの都市壁は、さながら世のはじめより一個の廃墟であったというようにそびえたっていた。いったいなぜこんなにも壁を高くするのだろうかと当時の私には疑問だった。そう言うとアレクセイは、都市壁は人と獣を峻別するものだと言った。しかし、いかなる獣を彼らは恐れているのだろう。今にして思うに、夜の闇とともに都市壁はその実在を失い、暁の光とともに再構成されるというのに。
だが私のそうした感想は、門の内側を垣間見るとただの感傷に過ぎないことがわかった。外の寂寥とはうって変わって、きわめて繁栄した都市がそこにはあった。
「今日は市はもう終わってしまった。商売をするなら明日の朝まで待て。ところで、魔道具商人の同業組合の証は持っているか?」我々を見て商人だと判断した門の衛兵が、職務上の熱心さでもって声をかけてきた。
「持っていません」
「だったら、都市内部での商売は禁止だ。組合員以外は門の外でしか商売をしてはいけない。この都市法を破ったら重い罰金が科されることになっているからな。それから、荷馬車は都市の外において門をくぐれ
衛兵の脅しはもちろん嘘ではないようだった。我々はまず荷馬車を近くの農家に預けることにした。アレクセイが近くの農家に赴いて荷馬車を置くための交渉をしようとすると、家から出てきた男はアレクセイの姿を見るなり、ぶるっと身を震わせて上着のポケットの中に片手を突っ込んだ。私は、おそらく男がポケットの中の馬蹄かなにかに手を触れたのだと思った。馬蹄は幸運のお守りで、なにか不吉なものを見たときにそれに触れるのが習わしだったからだ。しかし交渉自体はうまく運び、我々の荷馬車はその農民がいくらかの金銭の代わりに預かることになった。
ガラクタと商売道具を入れた長櫃を持って、私とアレクセイは都市門をくぐった。
市そのものはとうに終わっていたが、ソムールに己の店を構えた商人たちは商いを続けていた。大通りに軒を連ねるその店先には、ありとあらゆる護符、装身具、薬、彫刻、雑多な品物、果ては大部の書籍まで並んでいた。棚や布をかぶせた台にさりげなく置かれている品物の全てが魔術的に意味のある奇怪な意匠を装飾されているので、私はわくわくとした気分で見ても見飽きぬ光景に心を躍らせていた。詮のないことではあるがそれの一部を列挙してみれば、店の壁からつり下がった色とりどりのつづれ織は伝説上の王からわれわれの時代にまで至る、ほとんど複雑で理解不可能な家系図のごとくであり、護符に刻まれた浅浮き彫りは蛇女神、半鳥女、天馬、多頭竜、三日月、一角獣、悪鬼、水精、牧神など写本の挿絵に描かれるようなあらゆる怪物と天体の図をその意匠としていた。読み解くこともあたわぬ麗々しい書籍が敷きつめられた露台を私は賛嘆の目で見つめ、この内容すべてが理解出来たらいいのにとも願ったほどだったが、まだこれは序の口で、これらの品物はこの都市にとっては一般的な品物にすぎないとアレクセイに言われて私は後ろ髪をひかれる思いでその場から立ち去った。
親愛なる読者よ、あなたがたは私が以前記述した事件について、いかばかりかは覚えていることだろう。そして、私はその次なる出来事についてもここに記そうと思う。
かくして私はアレクセイとともに広い平原を旅することとなった。驢馬に引かせた荷馬車が我々の交通手段であって、アレクセイが御者の役目を引き受ける一方、私は荷台に乗ってこまごまとした荷物が揺れる荷馬車から落ちないように見張っていた。
我々は街道にそって存在する村々に立ち寄りながら旅を続けた。平凡な道中で、なだらかな平原に生えた樹木が若芽の緑に燃えあがり、青い空の高みに鳥が音もなく滑るのを見て、私は春の訪れを感じた。故郷を離れて長い時が経つが、故郷のそれと変わらない風景は私の心を落ち着かせた。背に暖かな日差しを受けるのも快く、私はそれまで感じる余裕のなかったくつろぎに浸っていた。アレクセイはというと、私がどんな状態であるかにかかわらずただ驢馬を先へと進めていた。最初のうちは夜でさえも移動を続けていたが、私が驢馬が潰れてしまうのではないかと言うとさすがにそれはやめて、野営をするようになった。真夜中に旅をするというのがどれだけ恐ろしいことであるかを、旅慣れした彼がそれほどわかっていないというのは何とも奇妙なことだった。
村に入るとアレクセイはただちに商売をはじめて、寡黙で質素な生活に慣れた農民たちを相手に護符やその他いわくありげな品物を売りつけようとした。
私の想像を裏切って、農民たちは幸運の護符や得体の知れぬ動物の体の一部を欲しがった。私の故郷の農民たちよりもこの地の農民たちのほうが迷信深いのか、あるいはこれらの護符が本当に効力を発揮するからなのかはさだかではなかったが、それをアレクセイに聞くと、おそらく我々はともかくとして品物が正規の職人の手によるものだからだろうということだった。たしかに、アレクセイが聞こえのいいとは言えない方法で商人から譲り受けた品物は粗悪ではなかった。粗悪であるどころか、その外見からすれば質がいいであろうと思われるものだった。
アレクセイはこれらの品物を売りつける代わりに、食料と金属のかけら、木材の切れはし、布や革の切れ、色とりどりの石、骨、その他ありとあらゆるガラクタを買い集めてきた。そのあげく商売用の品物より二回り大きいガラクタの山が荷台に積み上げられることになり、私は呆れて言った。
「一体こんなものを買い集めて何をするんです?」
「見てわかるとおり、これは素材だよ。これに手を加えて商品にするんだ」
アレクセイは首をすくめてそういうだけだった。そう言われると私は仕方なくひきさがるしかなかった。結局、アレクセイが食料のほか貰ってきたものの大部分はガラクタで、価値のあるものと言えば長櫃ひとつと鞘のついたナイフ一つくらいしか、めぼしいものを受け取ることはなかった。
我々が商売を始めてしばらくすると、私は村々の住民がしきりに「ソムール」という名称を口にするのに気付いた。ソムールというのは都市の名前で、そこで魔法に関わる道具の市が立つというのが村人の弁だった。
アレクセイはそれを聞くと、さっそくそのソムールに行ってみようと言った。都市のほうが農民相手の商売よりもずっと実入りがいいと彼は私に語り、村人からかの都市への道のりを訊くとすぐに出発した。
そのようなわけで、我々は魔術と悪徳の都へと至ったのである。
他のいかなる城壁よりも一層高く積み上げられたソムールの都市壁は、さながら世のはじめより一個の廃墟であったというようにそびえたっていた。いったいなぜこんなにも壁を高くするのだろうかと当時の私には疑問だった。そう言うとアレクセイは、都市壁は人と獣を峻別するものだと言った。しかし、いかなる獣を彼らは恐れているのだろう。今にして思うに、夜の闇とともに都市壁はその実在を失い、暁の光とともに再構成されるというのに。
だが私のそうした感想は、門の内側を垣間見るとただの感傷に過ぎないことがわかった。外の寂寥とはうって変わって、きわめて繁栄した都市がそこにはあった。
「今日は市はもう終わってしまった。商売をするなら明日の朝まで待て。ところで、魔道具商人の同業組合の証は持っているか?」我々を見て商人だと判断した門の衛兵が、職務上の熱心さでもって声をかけてきた。
「持っていません」
「だったら、都市内部での商売は禁止だ。組合員以外は門の外でしか商売をしてはいけない。この都市法を破ったら重い罰金が科されることになっているからな。それから、荷馬車は都市の外において門をくぐれ
衛兵の脅しはもちろん嘘ではないようだった。我々はまず荷馬車を近くの農家に預けることにした。アレクセイが近くの農家に赴いて荷馬車を置くための交渉をしようとすると、家から出てきた男はアレクセイの姿を見るなり、ぶるっと身を震わせて上着のポケットの中に片手を突っ込んだ。私は、おそらく男がポケットの中の馬蹄かなにかに手を触れたのだと思った。馬蹄は幸運のお守りで、なにか不吉なものを見たときにそれに触れるのが習わしだったからだ。しかし交渉自体はうまく運び、我々の荷馬車はその農民がいくらかの金銭の代わりに預かることになった。
ガラクタと商売道具を入れた長櫃を持って、私とアレクセイは都市門をくぐった。
市そのものはとうに終わっていたが、ソムールに己の店を構えた商人たちは商いを続けていた。大通りに軒を連ねるその店先には、ありとあらゆる護符、装身具、薬、彫刻、雑多な品物、果ては大部の書籍まで並んでいた。棚や布をかぶせた台にさりげなく置かれている品物の全てが魔術的に意味のある奇怪な意匠を装飾されているので、私はわくわくとした気分で見ても見飽きぬ光景に心を躍らせていた。詮のないことではあるがそれの一部を列挙してみれば、店の壁からつり下がった色とりどりのつづれ織は伝説上の王からわれわれの時代にまで至る、ほとんど複雑で理解不可能な家系図のごとくであり、護符に刻まれた浅浮き彫りは蛇女神、半鳥女、天馬、多頭竜、三日月、一角獣、悪鬼、水精、牧神など写本の挿絵に描かれるようなあらゆる怪物と天体の図をその意匠としていた。読み解くこともあたわぬ麗々しい書籍が敷きつめられた露台を私は賛嘆の目で見つめ、この内容すべてが理解出来たらいいのにとも願ったほどだったが、まだこれは序の口で、これらの品物はこの都市にとっては一般的な品物にすぎないとアレクセイに言われて私は後ろ髪をひかれる思いでその場から立ち去った。