La Phrase
「何かを始めるのに早い遅いは関係ないよ。問題は、その人がどれだけ真剣に取り組めるかどうかだと僕は思う」
彼は立ち上がり、あともう少しで見えなくなる光に向かって、シャッターを切り始めた。
「一日二日でどうにかなるものなら、そういうのは止めたほうがいい。自分が最後まで好きだと言えるものを、まずは見つけなきゃね」
自信に満ち溢れた瞳はとても輝いていて、アタシは素直に綺麗だと思う事が出来た。
が、
「でも、まさか君にここで会えるとは思わなかったな、玲ちゃん」
………………は?
彼の口から出た自分の名前に驚く間もなく、
「なんや。やっぱりここにいたんか」
という、今一番聞きたくなかったヤツの声が聞こえてきて、アタシは目一杯落胆した。
キッ、と思いっ切り相手を睨みつけてから、
「なんでアンタがここにいるの?」
と、すごんで見せるが、ヤツは、
「アホ。兄さんが好きやった場所くらい知っとるわ」
と、人を小馬鹿にしたかのように溜息をついてきた。
けれどアタシは聞き逃してしまいそうだったその一言を、もう一度聞き返していた。
「……父さんが好きだった?」
「あぁ。兄さんは前から、この土手から見える日の入りがずっと好きやて言うとった。……特にお前と行く時は最高やとも」
「…………え?」
「知らんかったやろ? 何で兄さんがここにお前連れて来とったか。……それはな、自分が好きな場所を、大切なお前にも好きになってもらいたかったからや」
「父さんがそんな事を……?」
隣にいる青年の事も忘れて、アタシはヤツの言葉に聞き入っていた。
放任主義の両親は、成績が悪くても滅多な事では怒ろうとしなかった。
毎日毎日、残業ばっかりの二人は、仕事が一番大事だと思っていた。
学校の話もしなかったし聞きもしなかった。
だから彼らは、アタシに関心がないのだと思い込むようになってしまっていた。
でもそれが愛情の裏返しで、アタシに自由に生きて欲しくてああいう態度をとっていたのだとしたら……。
そしてアタシは、「お前は勘違いしてる」と速水に言われた事を思い出した。
全部、アタシの思い込みだった。
愛されていた。
アタシは二人に大事に育てられてきたんだ。
そう思った瞬間、
「…………っ」
涙がポトリと頬を伝った。
人前で、しかもヤツの前で泣くのが不本意で、必死に止めようとしたけど、一度溢れ出たものは、そう簡単には引っ込まなかった。
アタシが顔を伏せて涙を拭っていると、
「なんや。女の子らしく泣く事も出来るやないか」
という言葉と共に、頭に優しく手が乗せられた。
子供扱いするな、と思ったけれど声にはならず、自分のしゃくり声だけが、いつまでも耳に残っていた。
沈んだ太陽が何故か愛しく思えた。
4.possibility
が、それで終わると思っていた事は、それだけでは終わらなかった。
あの後、隣にいた写真青年が、やたら親しげに速水に話しかけていたから、
「知り合い?」
と尋ねたら、
「俺の弟や」
と、あっさり返された。
つまりアタシの叔父に当たる人だったのだ。
無論、驚きに目を見開き、叫び返す事は忘れなかったが。
……絶対、大学生ぐらいだと思ったのに。あの若さで三十歳なんて詐欺だ……。
何とも妙な――もとい、信じられない事に、ヤツの職業はカメラマンだった。
いつも部屋に籠もっていたのは、奥にある暗室で写真を現像していたからだという。
結局、これもアタシの勘違いだった。
そして……。
「あのさ。アンタがアタシに初めて会ったのって、父さん達の葬式の時じゃないの?」
その日、青年――名前は速水貢(はやみ みつぐ)といった――と別れて家に戻ってきたアタシは、早速その事を聞いていた。
何となくだが、気になっていたのだ。
「はぁ? 何言うとんねん。…………ははぁん、なるほど。だからあんな事言うとったんやな?」
「え?」
「『アタシに興味がない』云々」
「あ、あれは……! つーか、どうなんだよ?」
「うーん。答えてやってもええねんけど、その前にその男言葉直さんかい。…………お前には似合わへん」
ポツリと付け加えらた一言に何故か分からないが胸が高鳴った。
「…………分かった」
「よし。…………まぁ、結論から言うと違う」
「じゃあ、いつ?」
「……ほんまに覚えとらんのか?」
「うん」
アタシが即答すると、ヤツは盛大に溜息をついて、続きを話してくれた。
「俺がお前に初めて会うたんは三年前や」
「……三年前?」
「あぁ。お前がちょうど中二のガキん時やな」
「ガキって言うな」
ムッとして言い返すが、
「ガキはガキや。ガキにガキって言うて何が悪い」
と、平然な声で返されてしまった。
もう一回反撃しようとしたけど、ヤツの無言の目が続きを話したそうだったので、アタシは仕方なく黙ってやった。
「俺が兄さんの所に遊びに言った時、お前がいたんや。挨拶もろくすっぽせんと部屋に籠もってしもうたがな」
「……それだけ?」
「いや。その後、何度が家に行ったんやけど、お前は俺の事を見ようともせんかった。……『あぁ。こいつは自分以外の人間の事には興味がないんやな』と思った」
「…………」
全く記憶がなかった。
あの頃のアタシも、今と同じだった。
全然変わっていなかったのだ。
……少しは変われたと思っていたのに……。
「俺はそん時、生まれて初めて他人に興味を持った」
「……え?」
驚いて顔を上げると、そこには薄く微笑むヤツがいた。
格好良かった。
メチャクチャ様になっていた。
「お前の言う通りや。俺も他人の事に関心はなかった。持とうとも思わんかった。……あん時までわな」
まただ。
コイツは時々、こんな風に人の心を射るような言葉を使ってくる。
不意打ちだよ。
「お前に――玲に会うて、俺も少し変わったんかな……」
自分に言い聞かせるように苦笑し、コーヒーを口に運ぶ。
初めてまともに名前を呼ばれた事に赤くなったいたアタシはそれを隠すように、ヤツと同じく既に温くなったカップに口をつけた。
そして、ふと疑問に思った事を聞いてみる。
「アタシを引き取ったのは、どうして?」
どんな答えが返ってくるのかとドキドキして待ってると、
「あぁ。それはやな………………。何や、面白そうやったからや」
と、にっと口の端を吊り上げ、意地悪そうに微笑んだ。
瞬間、
「何だよ、それ!!」
……という、アタシの怒りが爆発したのは言うまでもない。
人が人を恐れるのは、人がそれぞれ違う性格をしてるから。
人が人を好きになるのは、そこに確かな個性が存在しているから。
限りなく、無限の可能性を秘めているから。
-END-