里美ハチ犬伝
「嘘を言わないの。川の中に入っていたのなら、服は濡れているんじゃないの?」
「だ・か・ら。服が濡れたから、家まで戻って着替えに……」
言い訳を重ねる掛布に対して、めったに怒らないと評判の二宮先生も流石に、
「言い訳をしない! 遅刻は遅刻。三年生になったんだから、ちゃんとしっかりしなさい」
厳しい口調で掛布に注意を述べる。
「それに廊下を走らない。さっき走ってきたでしょう!」
「だって、走らないと間に合わないと思って……ってか、なんだよ先生。さっきは遅刻はするなと言ったクセにさぁ、廊下を歩いてきたら遅刻しちゃうよ」
「走っても遅刻しているんでしょう! 十分前登校を守っていれば、遅刻はしないでしょう!」
二宮先生と掛布のやり取りが漫才のようで、クラスメート達から呆れた笑いが出る。
「掛布くん、相変わらずだね〜」
そう宏子が里美に耳打ちをすると、里美は笑って返した。
二宮先生は少しグッタリとし、これ以上掛布との押し問答する時間が無いと半ば諦めがちに、「もういいから」と席に着くようにと促すと、掛布は素直に二宮先生の言う事に従った。
二宮先生は教師になって、早七年。
毎年、掛布みたいな問題児は必ず一人は居るものである。そんな生徒に対して上手く対処していくことが教師として宿命であるが、流石に毎年続くのには疲れるものだ。
さっきも申した通り二宮先生はまだ二十九歳ではあるが、心の年齢は三十路を超えて、四十歳を過ぎているようだった。
「静かに!」
二宮先生は掛布の所為で、騒がしくなっていたクラスに一喝した。
決して、地の文を読んだからではない。
自分にも言い聞かせるように発した言葉で、自分の心を落ち着かせる。
そして、いつもより強く掛布の欄に、クッキリと出席簿に遅刻マークを記入し、中断された出席確認を再開した。
そんな朝の光景をよそに“招かれざる客”が、四本足で里美たちの小学校に近づいていることに、当然ながら誰も知る由は無かった……。
「ワン」