ココロの距離
【2】
試験期間2週目の水曜。
3時限目の試験が終わった後、柊は学生会館内にあるサークル部屋に向かった。
部屋とは言っても、学内にサークル・同好会の類は非常に多いので、複数の団体で一室を共有する規則になっている。それでも部屋を使えればまだ良い方で、小規模サークルだと利用申請をしても通らないケースは珍しくないらしい。
柊が入っているのは、活動名目はテニスだが、実質は何でもサークルである。つまり学生が寄り集まって、春は花見・夏は海や山などの季節イベント、一年を通しては飲み会やボーリング大会などを行うのが通常活動という所だ。時には本当にテニスもするというが、柊はまだ企画を聞いたことがない。
今日は、11月にある大学祭で出す出店の詳細を詰めるために招集がかかっていた。2週目も半ばを過ぎると早ければ全科目終了している者もいるし、そこまでいかなくても大半の科目は終わっている時期である。
サークルに割り当てられている部屋に入ると、誰もいなかった。試験が終わったら順次集まるという話だったが、どうやら柊が一番早かったらしい。共有団体は何かの研究会だったと思うが、今日は活動していないようだ。
並べてある長椅子に腰掛け、誰かが置きっぱなしにしていた漫画雑誌をパラパラとめくっていると、部屋のドアが開く音がした。
振り向くと、同じサークルの同期である木下が入ってくるところだった。
「あれ、羽村ひとりか?」
「ああ、まだみたいだぞ。来た時電気ついてなかったし」
「一番乗りか……つまり、俺たちが一番ヒマってこと?」
「別にヒマじゃねーよ。まだ語学1個残ってるし」
「俺も明日締切の経済学レポートあるんだって。何してんのかね、他の奴ら」
しゃべりながら木下は長椅子に近づき、柊の隣に座った。そして、
「なあ、ところでさ」
と言っていったん口をつぐみ、ドアの方角に顔を向ける。どうやら部屋に近づく人物がいないか確認しているらしい。今のところ誰も入ってこなさそうだと思ったようで、再び話し始めた。
「……文学部の沢辺奈央子、おまえの幼なじみだったよな」
いつもよりも抑えた声音でそう聞く。
「そうだけど。なんだよ、いきなり」
「彼氏いるのか?」
「――あ?」
「あ、じゃねーよ。彼女に付き合ってる男がいるのかいないのか、って聞いてんだよ」
間の抜けた(柊としては正直な)反応に、木下は妙なほど突っかかってくる。訳がわからず反射的に少し理不尽さを感じたが、答えないとまずい気がして、ともかく考えた結果を口にする。
「……さあ? 少なくとも話は聞いてないけど。たぶんいないんじゃないのか」
「その頼りない言い方はなんだよ。それぐらい知らないのか?」
何か心外なことを言われたようで、ムッとする。
「それぐらいって……あのなあ、なんで俺があいつの男関係をいちいち知ってる必要が」
「興味ない、ってか?」
先に結論を言われて、柊は口ごもった。
その様子を観察して、木下はなにやら納得したような表情になる。しきりに頷きながら、
「まあなあ、おまえは望月さんがいるからなー……それとも、近すぎて気づかないってやつか」
「何が言いたいんだよ」
「彼女を狙ってる奴が結構いる、ってことだよ」
「はあ?」
先ほどの反応よりも数倍、間の抜けた言い方だった――と、柊は後から思い返す。
しかしその時は、本心から訳のわからない気持ちだったのだ。
「――――奈央子を?」
「そうだよ。まさかおまえ、ほんとに気づいてないのか? 彼女がかなりレベル高いってこと」
答えない柊に、木下は懇切丁寧に解説し始めた。
「そもそもがかなりの美人だろう。スタイルもいいし。入試の成績上位に入ったのもかなり噂になってるけど、そういうこと鼻にかけてるって印象は全然ないし、ガリ勉っぽい暗い感じもしないし。それに笑った顔がとにかく可愛いしなあ」
「……って、木下?」
「俺以外に、うちのサークルで最低2人は目をつけてる奴がいると思うぞ。学部の知り合いにも聞かれたことあるし」
そして、柊の目を見ながら、わざとらしい様子でため息をつく。
「あんな子が近所にいたら、俺だったら速攻で付き合うけどな。もったいないよなー」
ほんとにもったいない、と木下はなおも呟いている。返す言葉を思いつかないでいるうちに、廊下から数人の話し声が近づいてきた。
声からすると、サークルの同期の連中らしい。
木下と二人でそちらを振り向くとほぼ同時に、ドアが開く。思った通りの面々が入ってきて、先ほどの話題に対する柊の思考はいったん中断した。