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春の大風

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くしゃみと鼻水がとまらなくなったので、花粉症になっちゃったのかな、などと友達に話していたのだった。今日は昼まで眠ってしまって、普段こんなことはないのでおかしいなあと思い、頭がどうもぼんやりするので思いついて熱を測ったら、平熱より二度も高かった。まさか花粉症で熱はないだろうと思いながら友人に電話を掛けてみると、あんたそれ風邪だよ、と言われた。やっぱりそうか。そうだよ。バイトあるのになあ。寝てなよ馬鹿。
 ひとりぐらしをしているのでこういうとき世話をしてくれる人はいない。多分寝ていればいいんだろうなと思う。昔から熱を出すとものすごく気分があかるくなって派手なことがやりたくなるのだが、体の方はそれについていけなくてゆっくりとしか動けない。頭の中に綿がどんどんどんどん詰め込まれていっているような感覚だ。痛いというより、むずがゆいのだ。
 ここ何日かひどく寒い日が続いたので、風邪を引いたのはそのせいだろうと思う。もう三月になるのにちっとも暖かくならない。昨日は雪まで降った。その暖かくならないぐずぐずとした天気が綿化して頭の中にもぐりこんでいるような気がする。
 寝てろよと言われたのでバイト先に電話をして、それからずっとこたつにもぐりこんで一日中眠っていたら、夕方目が覚めて喉が渇いていた。あまりにも喉が渇きすぎて気持ちが悪いくらいだ。台所に行って水を二杯慌てるように飲んだ。そうすると今度は何か食べたくなったが、冷蔵庫の中は見事に空っぽで、仕方がないので出掛けることにした。
 いつのまにか外はもう暗かった。いささか季節外れだが、足元まであるロングコートをねまきの上に着込んだ。ぼさぼさの頭を何とかとかしつけて毛糸の帽子をかぶる。これでマスクでもしたら完璧だろうが、マスクなんて部屋のどこにもないのでこれでよしとする。だいたいこれにマスクとサングラスがついたら犯罪者か変質者のどちらかだ。
 ぼんやりした頭と財布を抱えてコンビニに行ったが、どうも食べたくなるようなものがなくて、仕方がないので目に付いた棚から目に付いた者をひとつづつ拾い上げて買った。焼き鳥とタコスとコーヒーゼリーと黒酢飲料という奇妙な取り合わせになった。どれも刺激物のような気はする。
 コンビニを出て空を見上げると星が見えた。びゅうっと風が吹く。熱のせいで体が尖鋭になっていて、うわあ死ぬ死ぬ、と思わず呟きながら足を踏み出して、固まりながらゆっくり歩いた。歩いていく道には人気がなく、寒い暗い道を一人でゆっくり歩いた。
 妙なものを見たような気がして、足を止めた。
 道のむこうで、赤い服を着たまるっこい人ががたがたと家の扉を揺さぶっている、ようだった。どうしてそれがひどく奇妙に思えたのかよく分からなかった。その人がいったい何のために何をしているのかもよく分からなかった。とりあえず近寄って、聞いた。
「……大丈夫ですか?」
 そういえば泥棒かもしれないのになにやってんだろうわたしと思いながら聞いた。どうも頭の働きが悪くなっていた。赤い服の人は、小柄なおばさんだった。パーマをきつくかけた短い髪をしていた。振り返ってじろじろ見られた。
「それがねえ大変なのよ。扉が開かないのよね。ほら見ての通り古い家だから」
じろじろ見たあと口を開くと、ざあっと背景に効果音がかかりそうな勢いでまくし立てた。額にくるりと巻いた髪の毛が落ちているが、両手は扉の取っ手から離さない。
「鍵、ないんですか」
「鍵あけたんだけどあかなくってねえ」
 のろのろと聞くと、機関銃のように返される。なんとなくそうしないといけないような気がして、手伝いましょうか、といった。
 横に開く和式の扉で、多分かみ合わせが悪くなっているんだから力任せにひっぱったのではいけないのだろうとは思った。だけど頭が上手く働かなくて、まあいいやと思い、おばさんと並んで同じ取っ手に手をかけた。おばさんが、それ! と言った。一緒にひっぱった。
 がたん、と音がした。
 力を込めすぎたのが動いて、転びそうになってあわてて手をはなして、反動で二三歩たたらを踏んだ。転ばないですんだ。おばさんはあいたわあいたわと嬉しそうに笑った。
「まあありがとうねえ助かったわ」
「いえ……」
 頭がくらくらする、と思いながら、コンビニのビニール袋を抱えなおした。おばさんが顔をじろじろ覗き込んできた。
「あら風邪?」
「はあええまあ」
「まあ大変大変」
 ちょっと待ってなさいねと言っておばさんは、家の中に駆け込んでいった。置き去りにされてぼんやりしていると、またぱたぱたと帰ってきた。ビニール袋の中に小さな壜を押し込んできた。なんですかこれ。
「カリンはちみつ」
「はあ」
「喉にいいのよ!」
「……有難うございます」
 アタシがつくったのよ、お湯で飲んでねえと言う赤い丸い影をおきざりにして、有難うございますと手を振って、家に帰った。喉は痛くないんだけどなあと思いながら帰った。湯に溶かしてカリンはちみつを飲むと、甘ったるい味がした。その甘さを抱えたまま焼き鳥を食べて寝た。


 夜の道を歩いていた。歩いていた、のかどうかはよく分からない。さっきコンビニへの往復の時のように、歩くたびに頭にずしりと響く感じは、今はなかった。するすると足を使わないで三センチくらい浮いて飛んでいるような気がした。
 古ぼけた門が開きっぱなしになっていた。ああこれおばさんちださっきの。そう思った。引き戸も開きっぱなしだった。するすると上がりこんだ。失礼じゃないだろうか、などとは、どうしてだか思わなかった。
 廊下をまっすぐ進んでいくと階段があり、階段をのぼっていくと突然視界が開けた。随分広い所に立つことになった。上も右も左も何もなかった。下を向くと、やっぱり何もなかった。あれっと思った。下もないってなんなんだ。
 うしろには階段がまっすぐあって、そのずっと先に入ってきた扉も見えた。
 前には机。
 机の上におばさんが立っていて、あらぁとこっちを見て言った。
「どうしたの」
 どうしたのときかれても困る。黙ったままでいると、来ちゃったのねえしょうがないわねえどうしたのかしらねえと、とても他人事の口調で言った。
「手伝って」
 上を指差すので、何かと思って、見た。そこには入ってきたのとそっくりな扉がぺらんと張り付いていた。ぼんやりと声が出ないままで、それを見上げて、それからおばさんに手を引かれて、机の上にあっという間に乗っていた。とても簡単だった。自分から重みがなくなったようだった。
 今度は鍵はもとからついてないの、とおばさんが言った。
「こじ開けなきゃね」
 ふらふらと指を伸ばしてひっぱった。二人で両手をあわせて、ひっぱった。よーいしょ! おばさんが掛け声をかける。よーいしょ! それ! だめねえこれ。
「今年は寒いから重たいわ」
 わけの分からないことを言われた。
「あったかいこと考えて」
 じろっと顔を見られて、そう言われた。
「あったかくて春っぽくて、何かが始まる予感みたいなものについて」
 そう命令されて、ふっと浮かんだのは猫の出産だった。そんなもの見たことはないのになんでだかそれが浮かんだ。
作品名:春の大風 作家名:哉村哉子