ぼくらは軍隊
佐々木くんは気の抜けた声のまま言った。
それから、部屋の電気をつけた。
佐々木くんは今でも三等兵である。
ふんふんふんふん、と鼻歌を歌いながら坂の下のスーパーに入る。見なれた白い頭に紺色の軍服を見つけて、佐々木くんはひらひらと手を振りかけるが、思いなおして(仕事中に話しかけたらきっと怒られる)手を降ろす。手を降ろして、働く高橋さんをしばらく眺めた。高橋さんはうろうろしている。うろうろしているのが仕事なのだろうが、佐々木くんにはうろうろしているだけのように見える。
高橋さんと佐々木くんは一緒に暮らしている。そろそろ一か月になる。新年がきても佐々木くんはまだ自分の荷物を積んだままで、高橋さんも荷物をこたつの横に置いたままで、どちらが高橋さんの部屋に荷物を移動させるかでふたりは時々喧嘩をする。結論は出ないままで、でも、喧嘩をすること自体が前進かなと、佐々木くんはよくわからない満足の仕方をする。
将軍は今でも将軍で、けれどスーパーでは特に偉そうではない。ふつうのおじさんである。佐々木くんが話しかけるときだけえらそうだ。高橋さんは仕事を見つけたが、佐々木くんは正社員を狙ってまだ職安に通っている。
なんで軍隊なんですか。それはまだ聞けずにいるが、でも佐々木くんは軍隊でもまあいいかとは思っている。別にそれで嬉しくはないのだけれど。テレビの向こうではまだ戦争をやっている。高橋さんはそれを見るときひどく厳しい顔をしている。もっとも高橋さんはいつも厳しい顔をしているのだが。
お義父さんはえらそうですよね。正月にテレビを見ているとき、そう言った。こたつにもぐりこんで、いつものようにみかんをむきながら向かい合って座っていた。ふん。高橋さんは鼻を鳴らした。偉いんだからいいんですけどね。佐々木くんは続けてそう言った。ばかものッ。高橋さんは鋭く言って、ふんと鼻を鳴らし、それから出がらしのお茶を注いでくれた。
スーパーでうろうろしている高橋さんは佐々木くんを見つけると、声に出さずに口の形だけでこっそりと、ばかものッ、と言ってみせた。佐々木くんは少し笑う。こういうときに笑うと怒られるよなあと思いながら。
そしてふと、昨日、こたつでした会話を思い出す。高橋さんは、好きな人が出来たら紹介しなさい、と言った。それは父親の言い方ではなく、ともだちの言い方でもなく、たぶん将軍の言い方でもなかったように思う。
佐々木くんは、そんな気の早い、でも、好きな人ができてもとりあえずここに住みますよ、と言い返した。
佐々木くんは何も買わずにスーパーを出る。高橋さんが買って帰ってくれるのでなにも買わない。スーパーを出て坂道を上がっていると、白いものが目の前を過ぎていった。白くて小さなもの、目の、ほんの数センチ前を通っていった。幻覚だろうかと目をぱちぱちさせて、それから空を見上げた。
雪だった。
ああ初雪だ、と思う。坂道の途中で空を見あげてじっとした。空の曇天がはがれて落ちてくるようだ。あとからあとから降りはじめるちいさなかけら。佐々木くんはすこし嬉しくなった。何か嬉しくなった。小さな白いかけらは、曇天と同じ色をしているくせに、光っているように見えた。
佐々木くんは雪を見上げ、それから坂の上を見上げる。坂の上には紺色の屋根のアパートがあって、そこは佐々木くんの家だ。佐々木くんはそこまでゆっくりと歩く。光っているようなちいさなかけらの中で。坂の上を見あげると沢山の屋根があり、その中で行われるひとつひとつを幸せと呼んだり戦争と呼んだりしている、たとえば。
佐々木くんは鼻歌を歌う。きみとぼくとで軍隊さ、ちいさなものからおおきなものまで動かす力だ、ぼくらは軍隊。
しょうがないから一緒にいる。
テレビで見ている限りでは遠い国での戦争はまだ終わらないが、昨日の電話で聞いたようすだと、兄夫婦にはどうも子どもが生まれるらしい。
佐々木くんは今日ミワ子の墓に参って、にいちゃんとこのこどもを守ってやってくれよと祈っておいた。
(2004/冬)