八国ノ天
そして製氷機。一八五〇年代に登場したアンモニア吸収型冷凍機を参考に試行錯誤の末、キアラは製氷機を完成させた。この製氷機で作られた氷は各地で利用され、食べ物はより長く保存できるようになり衛生面も向上した。何よりも嬉しかったのは木沙羅に作ったアイスクリームやケーキを気に入ってもらえたことだ。食材を揃えるのは大変だったが。
茶屋に行く途中、通りの中央にたくさんの人が集まっていた。
ティン・ホイッスル、アイリッシュ・フィドル、イリアン・パイプス、ブズーキの音が心地よい。アイルランドの伝統音楽の音色だった。
これら楽器や楽曲はキアラがもたらしものでは無かった。はるか昔、遺跡から掘り起こされたものである。
外来文化の中には、このようにカムイの力でなく人間の手によって復活したものもあった。
ふと目をやると、木沙羅がキアラの顔をじっと見ていた。何を言いたいのかは、わかっている。
「キアラ、踊ろうよ!」と、言いながら木沙羅はキアラの淡い緑色の袖に自分の腕を絡ませ歩き出す。
皆が踊っている中、二人は位置について向かい合うと軽くおじぎする。
ティン・ホイッスルの歌のような笛の音とブズーキの軽快な伴奏に合わせ、両腕をだらりとさせて木沙羅が二度ステップを踏む。
アイリッシュ・フィドル、イリアン・パイプスが四分の四拍子で音を重ねていく。
つま先やかかとを使ってキアラが地面を打っていく。ブロンドの短かい髪が軽やかにはずむ。
木沙羅が滑らかにステップを踏み、脚を交差させてつま先を伸ばす。黒い髪が翼を広げるようにはばたく。
周りで見ていた子供たちも真似して踊っている。西蔵もリズムをとっている。
四つの音色が一つになって臨場感を盛り上げていく。
二人は手をつないで、ぐるぐると回る。
心と体が一つになって幸福感が高まっていく。
踊っている皆も笑いながら回っている。
店先の風車も回っている。
そよ風にのってメロディが青空へ広がる。
橋の上からは大小さまざまな形をした船が見える。
船の上で海鳥が居心地悪そうに羽を休めていたが、それをよそに、船たちは波に揺られながら踊っていた。
「楽しかったね」
木沙羅は茶屋の前に設けられた席で洋菓子をほおばりながら、隣に座っているキアラに言った。
キアラはそうだね、と笑顔で答え、
「だけど食べるか話すか、どっちかにしないとね」キアラはキサラの顔に手を伸ばす。
「ん……」木沙羅は鼻高々によろしく、と言わんばかりに目をつぶってキアラに顔を差し出す。
そして、キアラは木沙羅のえくぼに付いた菓子のかけらを指で払う。
「えへっ……ありがと」木沙羅は目を開け、微笑んだ。
「あいかわらず見事でしたな。木沙羅さまの踊りは軽やかで見ていた私どもも楽しかったですぞ」西蔵だけでなく、少し離れた場所で立っていた護衛も頷いていた。
「そういえば、西蔵さまも少し踊っていましたね」
「おっと、見られていましたか。これは参りましたな」西蔵は頭を掻いた。木沙羅は両手で大きなカップを持ち喉を潤していた。
キアラはお茶を飲みながら、しばらくの間、二人のやり取りを眺めていた。
はたから見ると、西蔵と木沙羅の様子は仲の良い親子のようにも見える。
(妹……か、……愛耶愛……)
時折、吹き抜けるそよ風が心地良い。
「この熱いお菓子も美味しいね」
いつの間にか、物思いにふけってしまっていたらしい。キアラは気を取り直した。
「あぁ、これはね。アップルパイというんだ」
「どうしたの?」
「いや、何でもないよ。少し考え事をしてた」
「そうなの?」心配そうに見て、「最近、そういう顔をよくしているよねキアラは」
「そうかな?」
「そうだよ」
「それは多分、可愛い妹が何かしでかさないか、心配だからなんだろうな」ごまかした。
「え〜っ、私しっかりしてるよ。キアラの方が心配だよ。ねぇ、お兄ちゃん」木沙羅はほんの少しだけ、不満そうな顔で念を押すように言った。しかし、目まで隠すことはできない。目は嬉しそうだった。
そんなやり取りをしつつ、キアラは木沙羅にアップルパイの材料や作り方を説明した。
「本当に美味しい……佳世にも食べさせてあげたいな」
キアラはそうだね、とだけ答えた。
(佳世……不思議な子だった。君は今、どこにいるんだ)
店の前には人だかりができていた。皆、甘い匂いのするこの珍しい食べ物と飲み物の評判を聞いて集まってきていた。
「あまり長居はできそうにありませんね」西蔵は言った。
「ね、キアラ……私、これから赤間竜宮に行ってみようと思うんだけど、いいかな?」
「佳世の絵馬だね」
「うん」
反対する理由は無い。木沙羅は赤間竜宮で佳世とおぼしき絵馬を見つけてからこの三年間、ずっと通い続けていた。それが佳世のものだと信じて――。
「わかった。俺はこれから、西蔵さんと王の警護に向かうから一緒に行けないけど、なるべく早く戻ってくるんだよ。祭典は夜まで続くからね」
「赤間竜宮にも警備兵がおりますが念のため、この者たちも同行させましょう」
キアラと木沙羅は、西蔵に礼を述べた。
キアラたちが店を出た頃、空は赤く染まろうとしていた。
3
官兵衛たち一行が綾村大橋に到着したのは夕方前だった。
通行の邪魔になるといけないので荷馬車は宿屋に預けていた。よって、いつものごとく官兵衛は皆の武具を持っていた。
「賑わってるねぇ。夜は花火が盛大に打ち上がるそうだな」
「へえ、そうなんだ。楽しみだね」十真がポニーテールを揺らしながら、十夜にも意見を求める。
ちなみに、ポニーテールは櫛に結ってもらったものだ。
「それまでにお腹空かないようにしないとね」十夜が人差し指を立てて言う。話が別な方向にとびそうだったので、十真は何も言わないことにした。うん、とだけ頷いた。さっき食べたよね……。
「しかし、この国は三年前からして、ずいぶんと変わったな」
官兵衛が港を見渡す。遠くで鳶が夕陽を背に上空で螺旋を描いていた。
「料理とか道行く人たちの格好とか、ね」十夜がまわりを見る。
昔ながらの草鞋に袴姿の人もいれば、靴や木綿や絹で作られた様々な時代の小袖、浴衣、朝服、礼服を着た者もいる。しかし十夜が言った道行く人たちとは、そういった人ではなかった。
「ウチは木霊の格好がそうだよね」後ろを振りむきながら十真が言った。
三人のすぐ後ろで櫛と木霊が頭を並べて歩いていた。
木霊は丸襟の白い服に身を包み、下は黒い靴にもんぺのような黒地のズボンを穿いていた。そして全身を覆うようにして黒い立ち襟の手穴の無い外套に身を包んでいた。顔は見えないように頭から黒のヴェールを被っていた。正面から覗いても褐色のあごと桜色の唇が見えるだけである。
木霊の服は櫛が綾羅木国で通りがかった仕立屋で買ったものだった。
「木霊の服、気になるの?」櫛は言った。
「うん。ね、櫛。木霊の服とか、あの人やあの小さい子の格好って、やっぱり旧時代にあったものなの?」道行く人を指差しながら十真は櫛に尋ねた。