八国ノ天
第三章 覚醒
1
八国地方の村久野国と長州五国地方の綾羅木国は、海峡を挟んで西と東に隣接している。その海峡の名前は関門海峡と呼ばれ、旧時代の名前がそのまま使われていた。
海上はもちろんのこと、陸上交通も整備され、旧時代から使われ続けている橋梁「綾村大橋」によって互いの国はつながっている。
両国は長年の同盟関係によって、交易も盛んで他国との大きな争いも無く内政は安定していた。
佳世たち一行が狗奴国を出発してから一か月。
一行は綾村大橋を渡り、綾羅木国に入っていた。
「うぅ……、今日も、王女たちの手掛かりはなしか……」
重苦しそうに官兵衛は言った。
武具や食器、寝装具など旅道具一式を背中に担いでいた。自分の武器だけでなく櫛の長巻きや杖、十真の弓といった大型の装備品を持つのも彼の役目である。なぜだか、わからないがいつの間にか、そうなっている。
どこでこうなった?
「そうだ! ねえ、官兵衛。櫛」
十真が前を歩く二人に声をかける。
「ん?」
官兵衛が少し疲れた面持ちで後ろを振り向いた。
「なあに? その顔? それじゃ、まるで私たちが『赤間竜宮』に寄って行くのに反対しているみたいだよ」
「赤間……、え? いやいやいや、そんなの初めて聞いたぞ」
「あ、それいいかも」
官兵衛の辟易した横顔をよそに、女性陣は賛同していた。
官兵衛は、ふう、とため息をつくと佳世を見てから、
「仕方ないな。すぐそこだし、もしかすると木沙羅王女とキアラに会えるかもしれないしな。うし、行ってみるか」
女性陣が元気よく歩きだす。
追い抜かれざま、官兵衛は一人一人に声をかけるように言った。できるだけ失礼のないように――彼なりに。
「そうだ。少しの間だけでも、自分の荷物を持ってみないか?」
佳世だけが心配そうに振り向いてくれた。しかし、佳世の両腕には梟の手が絡みつき、官兵衛との距離は遠のいていくばかりだった。
赤間竜宮は、綾村大橋からそれほど離れていない場所にある神社だった。歴史ある建造物でもあり、それは旧時代にまで遡ることができる。
白壁に朱塗りの大きな門が一行を出迎える。
門をくぐり手口を清め、人が行き交う中、本殿へと続く階段を昇る。朱塗りの大きな鳥居が見えてくる。
昇りきると境内が四方に広がり、旅人や行商人など多くの人で賑わっていた。
「人でいっぱいですね」
「ここは、参拝以外にも旅人や商人の情報交換の場だったり、商いの場だったりするからね」
珍しそうに辺りを見回している佳世に、十夜が答える。
「俺は情報を集めてくるから、みんなは先に行っててくれ」
「わかったわ。じゃあ、私たちは参拝してから願掛けに行きましょう」
そう言って、櫛は皆を連れ官兵衛と別れた。
夕暮れ近い空に、蝉の鳴き声が境内に響き渡っていた。
「すごい絵馬の数ですね。それに絵馬と一緒に色々と結び付けているものがありますね。これは何ですか?」
「これは無事に旅から帰ってこれますように、そして、大切な人と再びこの場所で会えますように、って自分の大切なものを絵馬と一緒に結び付けているんだよ」
佳世の問いに十真が答える。
「それにね、この絵馬を見て」十真に続いて、十夜が二枚一組になっている絵馬を指差す。
佳世が手にとって見ると、一枚は無事に旅から帰って来て欲しいという願いが書かれたものだった。そして、もう一枚にはそれに対する返事が書かれていた。
「ここに結び付けられた絵馬はね、ずっと残るの。再会を果たすまでね。今見た二枚の絵馬のように、たとえお互いこの地の人でなくとも、ここに来れば帰ってきた事が確認できるから、伝言の代わりとして使われていたりもするわね」
「そうなんですね」
櫛を見てそう答えると、佳世は他の絵馬を熱心に見始めた。
櫛、十夜、十真の三人はしばらくの間、佳世の様子を見ていたが、目を合わせると、
「佳世……」
不意に背後から両肩に手を置かれ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。佳世が見上げると、櫛が微笑んでいた。
そして佳世を挟むようにして、十夜と十真の二人が熱心に絵馬を見ていた。
櫛は、にこやかに言った。
「私たちも王女の絵馬を探すわね」
しばらくして、
「やはり、見つからなかったですね。うまい話って、そうあるものじゃないですよね」
「でも、何もしなかったより良かったと思うよ」
「はい。それに無ければ、私が絵馬を奉納すれば良いだけ――」
そう言って、佳世は絵馬に祈願の内容と日付け、名前を書き入れていく。
書き終えると、佳世は髪を結ぶための紐を手に取った。
「紐? 紐なんかどうするの?」
佳世は少し照れたように十真に微笑むと、腰のあたりまで伸びた髪を手で束ね紐で括る。
――そして、
護身用の小刀を手に持つと髪をばさっと切り落とした。切り落とされた髪束の長さは佳世の手の大きさほどだった。
三人は驚いた。しかし、佳世の真剣な眼差しを見ると何も言えず、ただ見守るしかなかった。
佳世は髪束を絵馬に結び付け、奉納した。
佳世は絵馬をじっと見つめていた。その後ろに三人が立ち並ぶ。
櫛は佳世の両肩に手をのせると、
「会えると、いいわね」
「櫛さん……」
櫛は佳世の髪の毛先を撫でた。
「あとで、揃えてあげるわね」
2
一行は赤間竜宮を離れ、海沿いの大きな街道を歩いていた。
街道は海と緑豊かな山に挟まれ、人、鬼、天狗といった様々な人、荷馬車などが行き交い賑わっていた。
官兵衛が言うには、このあたりの景色は江戸時代の絵巻物に描かれている風景に近いものがあるとのことだった。ただ、佳世にはそれがどういった感じのものなのか、わからなかった。この時代、残っている最も古い文献は一〇〇〇年前のものである。
「もうそろそろ、今日の宿を決めないとね」
両腕を軽く振りながら、櫛の軽快な声。
「そうだな。なんと言っても、早くこの荷物を……」
「頑張ってね」
「……」官兵衛は愛情に満ちた櫛の笑顔を見つめた……が、なぜか心に響くものが何もなかった。
すると、目の前に通り過ぎて行く一台の荷馬車――心に響くものがあった。
更に道なりに沿って進むと、林の方からひぐらしの声が聞こえてくる。
官兵衛と櫛の後ろでは、佳世を挟むようにして十夜と十真が海を見ながら歩いていた。
「海といえば、佳世は聞いたことある? 海の向こうの話しなんだけど」十真は言った。
「海の向こうの話ですか? どういったものなのですか?」
「官兵衛の話では昔、日本と呼ばれる一つの大きな国だった時代、日本以外にも世界にはたくさんの国があったんだって」
「初めて聞きました。海の向こうかぁ」興味深そうに海を見つめる。
「だけど、今は誰も海の向こうに行けないんだって」
「どういうことなのでしょうか?」
「どこまで行っても果てしなく、海は続くばかりで、陸地に辿り着けた人はいないらしいよ。しかも不思議なのは何日もかけて船を走らせたはずなのに、なぜか帰りは一日か二日しか、かからないんだって」
「不思議な話ですね。でもそうすると、この国は閉じ込められているみたいですよね」
「それが佳世の言うとおりなんだよね。官兵衛が言うには三五〇〇年前にそうなったらしいけど」