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空閃 飛音
空閃 飛音
novelistID. 10210
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卵の記憶

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「うん! ばっちり! 何か手伝おっか?」
「いや。もう終わるから座って待ってなさい」
「うん。分かった」
言葉通り、香絵はそれから間もなく戻って来た。
「さぁ。食べようかね」
「あ。……ねぇ、ばあちゃん」
「ん? 何だい?」
手を合わせ、「いただきます」と箸を持った彼女に、渉は声を掛けた。
「昨日はごめん」
「いいんだよ。大事に巻き込まれなかっただけでも」
にっこりと笑い掛けてくれた香絵に、渉も「ありがと」と、笑い返した。
「……それから、俺、嘘ついてた」
「え?」
「本当は山の中になんか行ってないんだ」
自分に向けられた怪訝な顔に、罪悪感を感じ、段々と小さくなる声で言葉を続けた。
「隣の家の子と話してたら遅くなって……」
「隣?」
「ほら、向こうに建ってる大きなお屋敷の事だよ」
言って指差した方に視線を向けながらも、香絵は眉を寄せた。
「何を言ってるんだい。あそこには誰も住んどりゃせんよ」
「え?」
だが、彼女が口にした言葉は、渉が予想だにしないものだった。
「あのお屋敷だろう? 確か……もう三十年以上、空き家の筈だよ」
「……嘘」
まるで、死刑宣告をされたかのようだった。
疑問と恐怖が頭の中を駆け巡る。
「でも、俺、あそこに住んでいる人と話たんだよ?」
「そんな筈はないがねぇ……。夢でも見たんじゃないのかい?」
「……嘘だ」
香絵の方が自分を騙しているような錯覚に陥いる程、困惑していた。
「だって、また会おうって約束したのに!」
「渉……?」
「そんなの絶対、信じない!」
「渉!」
いきなり立ち上がり、渉は家から飛び出していた。
(嘘だ。嘘に決まってる。……あれが夢だったなんて……!)
屋敷に向かって走る距離が、何だか長い。
「はぁはぁ……」
ようやく門の前に辿り着いた渉は、息を整えながら、手を伸ばすが、
「開かない……?」
扉は、冷たく重かった。
「……どうして?」
必死に開けようと門を揺らすが、誰も出て来る気配はない。
「まだ早いから起きてないんだ……」
そう思い込み、渉はそこで待つ事にした。
もう少しすれば、驚いた顔の小野坂が出て来て、温かい眼差しで屋敷に入れてくれるのだと信じて……。
だが、一時間経っても二時間経っても、誰も出てこなかった。
村人が、座り込んでいる渉を不思議そうに眺めながら、屋敷の前を通り過ぎていく。
そこに誰も住んでいない事を知っているかのように。





何時間経ったのだろう。
自分の前に影が出来たのに気付いて、渉は顔を上げた。
「……ばあちゃん」
そこには、柔らかな微笑を浮かべて祖母が立っていた。
「帰ろう、渉」
「……」
優しく手を差し伸べてくる香絵に、渉は小さく頷いて、その手を取った。
「話して頂戴。渉がここで体験した事を」
「ばあちゃん……」
小さな手をぎゅっと力強く握り返し、反対の手で渉の頬をゆっくりと撫でる。
それは涙を拭う仕種だった。
泣き顔を見られるのが恥ずかしいのか、戸惑うように顔を伏せる。
「泣きたい時は泣かないとだめだよ、渉。でないと、いつまでも苦しいまんまだからね」
「……ん……うん……!」
止めどなく溢れ出る涙に我慢が出来なくなり、ついに大声で泣き出てしまう。
香絵はそんな少年の小さな体を抱き締め、彼が泣き止むまで頭を撫でていた。
それから渉は、ぐしゃぐしゃになった顔で昨日の事をぽつりぽつりと話し始める。
屋敷の大きさに驚いた事。ケーキが美味しかった事。優しい笑みを返してくれた少年の事を……。
渉が話している間、彼女は黙って耳を傾けていた。そして全てを話し終えた渉に、一言だけ口を開いた。
「忘れるんじゃないよ、その事を」
と……。
香絵の言葉に、渉はただ頷くだけだった。
(バイバイ、望)
心の中で、今は居ない友人に別れを述べながら……。





4、少年が残したもの



その一年後、祖母が亡くなった。
あんなに元気だったのに、と母は泣いた。
渉も、泣いた。
そして、時間は過ぎていく。
大学入学が決まった渉は、両親には内緒で香絵の住んでいた村に行く事にした。
彼女の家は、既に空家になっていて、ほとんど手入れはされていない。
伸びきった草が、時の流れの速さを教えているようだった。
一通り村を見て回った後、目的の場所に辿り着く。
数年前までは門にも届かなかった身長は、高校に入って急速に伸び、今では二m近い壁にも腕が届くようになった。
試しに軽く押してみたが、やはり門は固く閉ざされている。
「よっ」
仕方なく、渉は勢いをつけて壁を乗り越え、地面に降り立ち玄関へと向かう。
あれから、渉はこの屋敷の事を調べた。
三十五年も前に売りに出されていた屋敷は、だが、買い手が見つからずそのままの形で残された。百年前に建てられた事と、売りに出される直前、主が亡くなったのだという事も。
主の名は、観月望。
そう。渉が出会ったあの少年の名前だった。
今になっても、何故あんな幻を見たのかは分からない。
夏の暑さが見せた、唯の幻だったのか……。
執事が入れた紅茶の味も、少年の笑い声も、まだこの耳に残っているというのに……。
唇を噛み締め、屋敷の奥に進む。
廊下を歩いていると、その記憶通りの場所に二人が話した応接間があった。
埃の被った取っ手を回し、ドアを開ける。
中はぼろぼろになったカーテンが閉められている為、あまり光は差していない。
渉は五年前、自分が座ったソファに腰掛け、ふと目に入ったものに顔を向けた。
「……あ……」
望が大事そうに扱っていた、あのイースター・エッグが、それだけ埃を被らずに輝いていたのだ。
蓋を開け、中に入っていたものに、首を傾げる。
「紙?」
そこには、四つ折に畳まれた紙が入っていた。
渉はそれを手に取り、開く。
「望……?」
中には写真が挟まれていた。
少年が、中央で椅子に座り笑っている。
自分に見せた穏やかな笑みを浮かべて。
一瞬、記憶があの日に戻った気がした。
涙目になりながらも、紙の方にも視線を向け、再び目を見開く。


『親愛なる我が友・渉へ
  このエッグを君に捧げる。

 
 追伸
 渉に会えて良かった。本当にありがとう。

               観月 望』


少年の性格が表に出たような丁寧な字でそう書かれてあった。
「俺もお前に会えてよかったよ、望」
渉は写真と手紙をエッグの中に仕舞い、ゆっくり蓋を閉じてから、思いを振り切るようにその場を後にした。



目を閉じれば思い出す。
あの少年の微笑を……。







『インペリアル・イースター・エッグ』
天才細工師、カール・ファベルジェ(1846〜1920)が、ロシア皇室のために製作した宝飾品。ロマノフ王家が信奉した東方正教会の祭典・イースター(復活祭)において贈り物とされる、美しく彩色された卵を、ファベルジェが、己の宝飾技術を用い、作ったもの。
イースター・エッグは、多少の違いはあるものの、ほぼ卵と同じ大きさで、表面には精緻な細工が施され、本体や内部には、精巧な仕掛けが内蔵されている。
五十六個製作されたと言われているエッグは、ロマノフ王朝の崩壊(1917)によって、世界各地に分散した。




-END-
作品名:卵の記憶 作家名:空閃 飛音