FLASH
37、傷あと
「私まだ、鷹緒さんのこと好きだもん!」
とっさに出た言葉に、鷹緒も驚いたが、沙織自身も驚いていた。ユウとつき合い始めてから、鷹緒のことを意識したことはほとんどない。それは鷹緒が帰国してからも変わることのなかったことで、沙織には、鷹緒のことは過去の話になっていたはずだった。
「あっ……違う。好きっていっても、恋とかそういうんじゃなくて……」
言い訳のように沙織が続けた。沙織の心臓はバクバクと音を立てるように、激しく動いている。そんな沙織に、鷹緒が笑った。
「馬鹿だな。本気にするかっての」
そう言う鷹緒に、沙織は少し傷ついた。だが焦りを隠すように、沙織は言葉を並べる。
「と、とにかく、追い出そうとしたって駄目よ。病人は病人らしくしてなさい。じゃあ、病院へは明日連れて行くとして、今日はもう寝なきゃ駄目だよ。はい、早く寝室行って」
沙織は鷹緒の服を軽く掴んで、寝室へと連れていった。そして鷹緒をベッドに寝かせると、濡れたタオルを額に乗せてやり、市販の薬を飲ませてやる。
「今日はこのくらいしか出来ないけど、明日は病院行ってね。私もついていってあげる」
横になった鷹緒に、沙織がそう言った。
「いいよ……子供じゃないし、一人で行ける」
「一人だったら行かないでしょ。そのくらい、わかるもん」
「ハハ……そっか。沙織、お母さんみたいだな」
軽く笑いながら、鷹緒がそう言った。沙織の脳裏に、知る限りの鷹緒の過去が浮かぶ。実の母は亡くなり、厳しい父と再婚相手。再婚相手に子供が生まれた時、鷹緒はどんな気持ちだったのだろう。両親が当たり前のようにいて、喧嘩しつつも仲の良い兄を持つ沙織は、想像するだけで寂しくなった。沙織の心は、重く沈む。
「……沙織?」
そんな沙織に、鷹緒が声をかけた。我に返って、沙織は鷹緒を見つめる。
「え? あ、ごめんなさい……なんか、ぼうっとしちゃった」
「大丈夫か? 風邪、移るなよ」
「うん、平気。そういうんじゃないし……」
そう言いながらも心が晴れるはずもなく、沙織は黙りこんだ。鷹緒は沙織を見つめると、静かに微笑んで口を開く。
「……本当にどうした?」
目を泳がせながら、沙織は思い切って尋ねることにした。
「こんな時に……変なこと聞いてごめん。でも、すごく気になって……」
「なに?」
「……鷹緒さん、家族には会ってるの?」
沙織が尋ねた。本当は違うことが聞きたかった。子供の頃の心境を聞いてみたかった。鷹緒がどんな少年時代を過ごしたのか、鷹緒の口から聞いてみたい。
だが、鷹緒の過去を聞くことは禁句だと思った。それなのに聞いたのは好奇心に過ぎなかったが、沙織は鷹緒を好きだった頃のように、鷹緒のすべてが知りたいと思った。
「……なんで、そんなこと?」
怪訝な顔をして、鷹緒が尋ねる。素直に返事をもらえなかったことで、沙織は諦めがついた。
「ごめん。やっぱり、なんでもない……」
「……伯母さんに、何か言われたのか?」
ゆっくりと口を開き、鷹緒が尋ねる。
「え?」
「何か知ったから、聞きたいんじゃないの?」
鷹緒は起き上ると、曲げた膝に頬杖をついて沙織を見つめた。その目は綺麗だが、どこか寂しそうで、目を逸らせないほど鋭く沙織を貫いている。
「知ったっていうか……私ね、家族の大切さとかってあんまり考えたことなくて……鷹緒さんから家族の話とか聞いたことないし、おばあちゃんと一緒に暮らしてたこと聞いて、もし私が鷹緒さんと同じ境遇だったらって考えちゃうんだけど、想像つかないっていうか……」
正直に沙織はそう話した。鷹緒に見つめられ、何を言ったらいいのかわからず言葉にはなっていなかったが、それを聞いて鷹緒は静かに微笑んだ。
「……俺の親父が、政治家だってのは知ってる?」
「うん、聞いた……」
鷹緒の言葉に、沙織は頷く。
「親父は昔から厳しくて、成績が少し下がったくらいでも、めちゃくちゃ叱られた……それでも、母親がいた頃は全然よかった。厳しいのは当たり前だったし……でも母親が死んで、親父が再婚して、子供が生まれて……その時、思ったんだ。『ああ、俺は何のためにここにいるんだろう』って……」
沙織は目を見開いた。祖母伝手に聞く話とは、まるで違う現実感が伝わる。鷹緒は話を続ける。
「今まで散々勉強して、それなりに仲の良かった家庭だったのに、同じ家の中で新しい家族が生まれていくのを目の当たりにして、俺は邪魔者なんかじゃないかって……」
「……」
「べつに再婚相手が嫌だとか、そういうんじゃなかった。優しい人だったし、自分の子と俺を差別しないように接しようとしてくれてたと思う……だけど俺はやっぱり駄目で、家に帰らない日が続いた。親父は世間体を気にしてたから、俺を家から出さないようにしたけど、それは逆効果だ。俺も無茶やってたし、親父もとうとうさじを投げてね……それから、伯母さんの家に引き取られたんだ。親父の家系には、知られたくなかったんだろうな……」
鷹緒は淡々と話していた。互いに目も合わせず、独り言のように鷹緒の過去が溢れ出す。そんな話に耳を傾けながら、沙織は何も言えなくなっていた。
「それ以来、ほとんど親父には会ってないし、連絡も取ってない。籍抜いてくれたってよかったけど、それも出来ないのは、やっぱり世間体だろうな……まあ、勘当同然だ。だから俺も家族と思ってないし、正直どういうものを家族っていうのかわからないんだよな……」
「……」
「だから伯母さんの家で、まだ小さいおまえらと会った時……幸せそうでムカついた」
その言葉に、沙織は驚いた。
「え?」
「おまえらの家族は、俺が理想に描いてたような家族だった……優しい母親と、家族のために働く父親。仲のいい兄妹。夏休みの度に祖父母の家に遊びに来て、毎日楽しそうだった。そんなおまえたちが羨ましかったよ……いや、それが普通なのかもしれないけど、当時の俺にはまったくわからない世界だったから……」
「鷹緒……さん」
沙織はそう言いかけた。だがその先、なんと声をかければいいのかわからない。
そんな沙織を尻目に、鷹緒はベッドに寝そべった。
「憧れてた。そんな家族を作ることに……俺の家族は誰もいない。いるとすれば伯母夫婦だと思ったけど、それも違う。そんな時、理恵と会って……理恵が言った。『じゃあ、新しい家族を作ろう』って。でも駄目だったからな……」
寝そべった鷹緒を見つめ、沙織はその話を聞き続ける。
「なんか漠然としてるんだ。家族の記憶も薄れてて……おまえたち家族を見本にしようとしても、わからない。変にひねくれてて、あいつが離れていく時も、自分の方が邪魔者なんだって思ってた。あいつを追いかけることもしなかった。そんな俺が家族なんて求めちゃいけないんだって、後で気付いた……だからもう家族とかそういうのには、憧れないようにしてる……」
鷹緒の言葉に、沙織の目からは涙が溢れ出ていた。止め処なく溢れる涙に、沙織は顔を隠す。
そんな沙織に気付いて、鷹緒はもう一度起き上がった。ベッドのそばに立っている沙織は、声を潜めて泣いている。
「……暗くてつまらない話だろ?」
苦笑しながら鷹緒が言う。そんな言葉に、沙織は何度も首を振った。