FLASH
32、夢の共演
鷹緒が日本を発った後、沙織は主にモデルとして活躍の機会が広がっていった。後にその多くは、鷹緒が取ってきた仕事だと知った。学校が始まった頃には、沙織はちょっとした有名人で、友達からも写真を強請られるようなこともある。
沙織は、“頑張る”という鷹緒との約束を胸に、与えられた仕事をこなしていこうと張り切っていた。
それから一年後。鷹緒からの連絡は、沙織宛てには一度もなかった。ただ、たまに事務所に入るらしい連絡で、鷹緒のニューヨークでの活躍を聞いていた。
そんなある日――。
「え、BBと?」
事務所で、沙織が驚いて言った。目の前には、副社長であり、すっかり沙織のマネージャーと化した理恵がいる。
「そうなの。前にBBと話したことがあったんですって? これも鷹緒伝手の仕事だけど、そのBBからオファーなの。新しい飲料水のCMで、BBが起用されることになったんだけど、その相手役にどうかって」
理恵の説明に、沙織の目が輝いた。
BBは未だに人気歌手グループであり、沙織もファンで何度かコンサートにも行っている。鷹緒の伝手で、コンサートの打ち上げにも行ったことがあり、BB本人たちと少しだけだが話したこともあるのだ。そんな過去が一気に噴き出す。
「やりたいです!」
沙織が言った。鷹緒と離れてから、沙織は今までになかったやる気を見せていた。仕事を始めて消えかけていたミーハー心も、BBと聞けば盛り上がる。
「じゃあ、返事しておくわね」
微笑みながら、理恵が言った。
夏休み中の沙織は、いつもより忙しかった。受験も控えているのだが、乗っているこの時期に仕事を疎かにするわけにもいかず、事務所で受験勉強に励むこともしょっちゅうだ。
そんな中で、沙織の初めてのCM撮影が開始された。しかも共演はBBという、未だ人気絶頂の歌手グループと組むということは、沙織にとっても大きな前進となることを意味する。
「沙織ちゃん!」
撮影現場で一番最初に声をかけたのは、BBのリーダーであるユウであった。
「ユウさん」
少し躊躇いながらも、気さくに話しかけてくれるユウに、沙織も笑顔で応える。ユウは笑顔で言葉を続けた。
「すっかり有名人だね。こんなふうに君と共演出来るなんて嬉しいよ。シンコンで準優勝したのは知ってたけど、会う機会もなくて、お祝いも言えずにごめんね」
「知っててくださったんですか? そんな、こちらこそ……」
久しぶりの本物のユウを前に、沙織はまだ緊張していた。それに構わず、ユウは気さくに話を続けてくれる。
「もちろん、覚えてるよ。諸星さんが売り込んでたからね。諸星さんとは連絡取ってるの? ニューヨークなんてすごいけど、残念だな。僕らまだまだ諸星さんに撮ってもらいたかったんだよ。今度、ニューヨークで写真集撮ろうかなんて話もあるくらい」
「へえ、そうなんですか! いえ、私は全然連絡取ってないです……事務所の方には、たまに連絡あるみたいですけど……」
「あはは。諸星さんらしいな……とにかく、これからよろしくね、沙織ちゃん」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
二人は握手を交わした。
その後、BB全員が集まり、スタッフも交えての打ち合わせが始まった。CMについての説明やコンセプトが伝えられる。
新しい飲料水のCM出演者は、BBと沙織の五人で構成される。炎天下でバスケットボールを楽しむBBに、沙織が飲料水を差し出す。沙織は、飲料水を差し出す時に言う、「ハイ」の一言のみの台詞だが、BBと共演し、またその一言だけという台詞が、印象づけるであろうことは間違いなかった。
打ち合わせが終わると、早速撮影が始まった。演技や台詞をほとんどやったことがない沙織は、緊張のし通しだったが、BBのメンバーがサポートしてくれた。特にリーダーのユウは、よく気遣ってくれるので、沙織は徐々にコツを掴んでくるのだった。
「沙織ちゃん」
撮影が終わるなり、ユウが沙織に声をかけた。
「ユウさん。ありがとうございました!」
「こちらこそ。初めてなのに、うまかったね」
「いえ、そんな……足を引っ張っちゃってごめんなさい。なかなかオーケー出なくて……」
「そんなことないよ。それより、これなんだけど……」
そう言って、ユウが封筒を差し出す。
「え?」
「一枚だけだけど、今度やる僕らのコンサートチケット。よければ観に来て。あと、よかったらこれ、僕の携帯番号……早くもCM第二弾やること決まってるみたいだし、これから会う機会もあると思うからさ」
「え、いいんですか?」
頬を染めて、沙織が驚いて言った。憧れのユウの携帯番号である。沙織は震える手で、それを受け取る。
「もちろん。あ、でももちろん、友達とかには教えちゃ駄目だよ」
「はい、もちろんです。あ、私の携帯は……」
二人は携帯電話番号を教え合った。目の前にいる人気歌手と知り合いになれた驚きと喜びが、沙織を包んだ。
BBコンサートの当日。仕事があったため、沙織は少し遅れて会場に到着した。すでに、いつも通りのすごい熱気である。席に着いた沙織は、ファンたちに混じって声を上げる。たまには一人でこういうのもいいと思った。
前回、鷹緒の仕事で連れて来てもらったことを思い出す。まだただの女子高生だった沙織が、今では目の前でスポットライトを浴びるBBと共演している。不思議な感覚が沙織を襲い、酔ったようになる。
コンサートが終わると、ぞろぞろと人が帰ってゆく。それに混じって、沙織も腰を上げた。楽屋に行こうとも思ったが、BB直々の誘いとはいえ、今回は鷹緒もいない。裏に入れるはずがないと思い、礼は今度しようと考え、沙織は会場を後にした。
しばらくして、駅へと歩いている途中、沙織の携帯電話が鳴った。画面には、BBのリーダーであるユウと映し出されている。沙織はびっくりして電話に出た。
「は、はい」
『沙織ちゃん? 来てくれたんだね。ステージから見えたよ』
「ユ、ユウさん、もう電話して大丈夫なんですか? さっき終わったばっかりなのに……」
ぞろぞろ歩いているファンの目を気にして、小声で尋ねる。
『うん、もう慣れたもんだよ。ツアーだから今日が終わりじゃないし。もうみんな、さっさと帰り支度してるところ。もし時間があるなら、一緒に食事でもどう?』
あまりにも軽い誘いに、沙織は相手が人気歌手ということを一瞬忘れそうになる。
「え、あ、はい。構いませんけど……」
しどろもどろで、沙織が答えた。プライベートで男性から食事に誘われたことはあまりない。
『よかった。今、どこにいるの?』
「駅に向かって歩いてるところです」
『じゃあ、駅の裏手で待っててくれる? えっと……出待ちの子がいるからもう少しかかるけど、すぐに向かうよ』
そう言って電話は切れた。
突然のデートの誘いに、沙織も否応なしに盛り上がる。相手は憧れていた歌手である。沙織のミーハーな部分が、久々に露になっていた。
人気のない駅裏は、酔っ払いしか通らない。そんな薄暗い道路に、一台のスポーツカーが停まった。中でユウが会釈する。沙織は嬉しそうに駆け寄った。
「どうぞ、乗って」
ユウが窓を開けて言った。
「じゃあ、あの……お邪魔します」