FLASH
21、過去への扉
回想――。
「はい、諸星です」
数年前のある日、電話の受話器を取って、鷹緒がそう言った。
『ヒロだけど』
相手は、広樹である。
「ああ、なに?」
『またオファーが入ったよ。この間紹介した、デカイ仕事』
「お、マジで? サンキュー」
『でさ、おまえ今日、暇?』
広樹が尋ねる。
「夜は空いてるけど、なに?」
『この間のギャラも預かってるし、飯でも食いに行かない? 理恵ちゃんも誘ってさ』
「ああ、いいけど……あいつ今、出かけてるんだ。今日は遅くなるらしいから、一緒は無理だな」
『そっか。じゃあ仕方なく、野郎二人で飲むか。七時に駅でいいか?』
「ああ。じゃあ、後でな」
鷹緒は電話を切り、出かける支度を始めた。
広樹より早く着いた鷹緒は、駅で広樹を待ちながら、座り込んで煙草に火をつけた。そして、行き交う人並みを見つめながら、持っていたデジタルカメラで、徐にシャッターを切り始める。
その時だった。ファインダー越しに、鷹緒の目が奪われた。カメラから目を離して立ち上がると、一人の女性が立ちすくんでいる。理恵であった。隣には内山がいる。二人は腕を組んでいて、どこから見てもカップルであった。
「鷹緒……」
理恵はすぐに内山から離れ、明らかに動揺していた。
「……なに。どういうこと?」
二人を交互に見つめながら、鷹緒が言った。理恵は押し黙る。
「今日は仕事だったんじゃ……?」
そう言いながら、鷹緒の頭は混乱していた。
「うん、仕事よ……豪と一緒……」
しどろもどろで理恵が言った。その時、内山が不敵に微笑んだ。
「なに言ってんですか、先輩。この状況、見てわからないんですか?」
「ちょっと、なに言うのよ、豪!」
内山の言葉に、慌てて理恵が止めに入った。しかし、内山は言葉を続ける。
「だって、この状況だよ? 認めちゃおうぜ。先輩、僕たちつき合ってるんですよ」
「……なに言って……なに言ってんだ、おまえ」
目を丸くさせ、鷹緒がやっと状況を察して言った。
「見ての通りです。今だって、ホテル帰りですよ。ほら」
ホテルのライターを見せ、内山が言った。そのライターを、無言で鷹緒が振り払う。
「あーあ。落ちちゃったじゃないですか」
そう言ってしゃがみこむ内山は、くすりと笑った。
「でも、お気楽な人ですね。今まで本当に気がつかなかったんだ……僕たち、もう三ヶ月もこの状態なのに」
内山の言葉に、鷹緒が逆上した。その途端、内山の頬に鷹緒の拳が飛ぶ。
「うわ!」
勢いよく内山が倒れた。それと同時に、行き交う人の目も釘づけになる。
その時、広樹が走り寄ってきた。
「なにしてんだ、鷹緒!」
尚も殴ろうとする鷹緒を、広樹が必死に止めようとする。だが鷹緒は、内山を離そうとしない。
「うるさい!」
「やめろって! 何があったか知らないけど、こんなところでなにやってんだ! 仕事だってなくなるぞ」
体当たりで止める広樹に、鷹緒が理恵を見つめる。理恵は怯えた表情をしたまま、何も言おうとはしない。そんな理恵に、鷹緒は背を向けた。
「鷹緒……」
理恵が、やっとそう口にする。
「どっか行けよ……もう、おまえの顔なんて、二度と見たくない!」
鷹緒はそう言うと、その場から去っていった。広樹は理恵の方を見つめながらも、鷹緒について去っていった。
「鷹緒!」
早足で歩く鷹緒を、追いかけながら広樹が言う。だが鷹緒は、無言のまま歩いていく。
「鷹緒、待てよ。何があったっていうんだ?」
「……あいつら、つき合ってるんだとさ」
険しい表情で、苦笑しながら鷹緒が言った。その言葉に驚き、広樹は一瞬、言葉を失った。
「まさか、そんなこと……」
「……飯、食いに行こうぜ」
二人は、近くの料理屋へと入っていった。
「……確かなのか?」
料理を口にしながら、広樹が尋ねる。聞きにくい状況でありながらも、放ってはおけない。
鷹緒はうつろな表情をしながら、重い口を開いた。
「……考えてみると、思い当たる節がいくつもある。最近あいつ、仕事と言っては遅くなってたし……」
「でも……」
「……もういいんだ。しょせん俺たちは、水と油。こうなる運命だって、俺たちが結婚した時から、おまえら言ってたじゃん」
苦笑しながら、鷹緒が言う。
「それは、冗談でだよ。本気で言うはずが……」
「……もういいんだ」
「いいって、おまえ……」
「いいんだ……それより、飲もうぜ」
日本酒を注ぎながら、鷹緒が言った。広樹もそれ以上、何も言えなかった。
夜中十二時をとっくに回って、鷹緒は自宅マンションへと帰っていった。しかし、部屋に人の気配はない。ふと見ると、リビングから繋がった隣の部屋の明かりが漏れているのが見える。
同じマンションに二部屋持つ夫婦は、互いに家を持っている感覚で、プライベートも別々である。それは、互いの生活リズムがあまりにも違うということからだったが、今となっては空しさだけが残っていた。
一方、理恵もリビングにいながら、鷹緒が帰ってきたことを悟っていた。しかし、今は合わせる顔がない。話はしたかったが、何を言ったらいいのかわからない。
二人は互いの気配を感じながらも、今日は顔を合わせることはなかった。
次の日。鷹緒は朝早くから仕事に出かけた。理恵と内山のことが気になって仕方がないが、今は忘れようと思う。先のことは、まったく考えられなかった。
その日も遅くに帰ってきた鷹緒の部屋に、今日は理恵が待っていた。
「おかえりなさい……」
少し怯えた様子で、理恵が出迎える。
「……ああ」
返事をするものの、鷹緒は理恵を見ようとはしない。
「あの……話があるの」
「悪いけど、明日から出張なんだ」
顔を背けたまま、鷹緒が答える。
「時間は取らせない……だけど、話しておきたいの」
「なにを? 言い訳なら聞きたくない」
「言い訳じゃないわ」
「じゃあなんだよ。俺を説得するつもりか。別れ話か? もうどうでもいいんだよ、おまえのことなんか」
鷹緒の言葉に、理恵が深く傷ついた顔をする。しかし、理恵はすぐに口を開いた。
「言い訳なんかしない……鷹緒に何を言われたって、私が傷つく権利なんかない……」
そう言いながらも悲しさに震える理恵は、必死に涙を堪えているように見えた。
鷹緒は小さく溜息をつくと、冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、ソファに座った。理恵はその前に座る。
「……私が全部悪いの……だけど、わかって。私、鷹緒が嫌いなんじゃない」
理恵が言った。鷹緒は俯く理恵を見つめ、静かに口を開く。
「……でも、豪が言ってたことは、本当なんだろう?」
「……うん」
「三ヶ月前からって言ったな……それから今日までずっと、俺に隠れて会ってたことは事実なんだろ?」
「……う……ん」
自分のしたことに後悔し、理恵は涙を流していた。鷹緒はきつく拳を握ったまま、冷静を保とうとしている。
「……きっかけは?」
「……三ヶ月前のショーの時……豪と一緒にモデルやってて、打ち上げに行ったの。鷹緒も仕事で遅くなるからって、はしゃいでた……鷹緒、もうずっと忙しくて、最近寂しいって。豪にそれを打ち明けた……豪、親身になって聞いてくれて……」
「だから浮気したのか?」