FLASH
7、暗雲
次の日。沙織は、また事務所へと足を運んだ。事務所入口の近くにある応接スペースでは、鷹緒が書類を広げているのが見える。
「あ、沙織ちゃん」
受付に座っている牧が出迎える。その声に、鷹緒は顔を上げた。
「おう」
「鷹緒さん……事務所に居るなんて、珍しいね」
沙織はそう言って、鷹緒のそばへと歩いていった。
「まあな」
鷹緒はそっけなくそう言い、仕事を続けている。
「沙織ちゃん。紅茶でも入れるから、座ってて」
受付から立ち上がり、牧がそう言った。沙織は慌てて牧に駆け寄る。
「いいですよ、牧さん。自分でやります」
「いいのよ。沙織ちゃんは、撮影現場を助けてくれた恩人だもの。事務所としても、仕事がストップしないで本当に助かったわ」
牧がそう言って給湯室へと入っていったので、沙織は鷹緒の前に座った。
少しすると、牧が紅茶を沙織に差し出した。
「ありがとうございます」
「いいえ。もう、鷹緒さん。ここで仕事するのやめてくださいってば。来客用のスペースなのに」
口を尖らせながら、牧が鷹緒に注意する。
「んー……」
そんな鷹緒は生返事で、話を聞いていない様子だ。。
「もう、鷹緒さんったら」
「……もうすぐ終わるから」
鷹緒はそう言うと、真剣な眼差しで仕事を続けている。
「牧さん。今日は何か手伝うことありますか?」
鷹緒の態度に苦笑している牧に、沙織が言った。
「うーん、今日は大丈夫みたい。みんな風邪でダウンしてるから、仕事も手がつけられないのよね。ゆっくりしていって」
牧はそう言うと受付に戻り、自分の仕事にかかり始める。沙織はソファに座ったまま、そばにあった雑誌を取り、時間を潰した。
しばらくして、鷹緒がテーブルの上の書類たちを片付け始めた。
「終わり?」
見ていた雑誌から目を離して、沙織が尋ねる。
「一通りな」
「ねえ、お寿司は?」
「今日か?」
沙織の言葉に、鷹緒が言った。
「駄目?」
「いいけど……じゃあ、もう少し待てるか?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、ちょっと待ってて。牧。俺、JM雑誌でチェックしてから、印刷会社へ入稿してくる」
「わかりました」
鷹緒は牧にそう言うと、事務所を出ていった。
「鷹緒さん、いろんな仕事あるんですね……」
残された沙織がぼそっと言った。牧は仕事を続けながら、苦笑している。
「まあねえ。鷹緒さんは、カメラマン業だけじゃないから……あんまり助手も使わない方だしね」
その時、沙織の携帯電話が鳴った。画面には、彼氏である篤の名が浮かんでいる。沙織はすぐに電話に出た。
「もしもし」
『沙織? 俺』
「うん。どうしたの? バイトじゃなかったの?」
篤は毎日アルバイトをしていて、沙織とは学校以外で会うことはほとんどなかった。学年も違うため、最近はあまり会う機会もない。その分、沙織はこのところ、頻繁に事務所に顔を出していたのだった。
『バイトだったんだけど、今日は早上がり出来ることになってさ。これから会わない?』
その言葉に、沙織は少し戸惑った。
「あ、ごめん。今日はちょっと、用があって……」
沙織は鷹緒と食事をするため、篤の誘いを断ることにした。鷹緒と食事というのは滅多にない上に、すでに約束もしてしまっているからだ。
そんな沙織に、篤は強引なまでに誘いをかける。
『用って? 最近あんま会えなかったからさ、ちょっとでも会いたいんだけど……』
「私もだよ。でも、約束あるし……ごめん」
『そうか……じゃあ、帰ったらメールくれよ』
「うん、わかった。そんなに遅くならないと思うから……じゃあ、後でね」
沙織は電話を切って、鷹緒の帰りを待った。
数時間後、鷹緒が事務所に帰ってきた。もう牧も帰っており、事務所には奥にスタッフが数人居るだけで、沙織はソファに座って雑誌を読み続けていた。
「悪い。遅くなって……」
沙織に向かって、鷹緒が言う。沙織は少し膨れっ面で、自分を見下ろしている鷹緒を見つめた。
「本当、遅いよ」
「悪い。でも食事なんて、いつでもよかったのに……」
「でも、鷹緒さん忙しいから、いつになるかわからないじゃない」
「そりゃあそうだけど……悪かったな。腹減ったろ? 食いに行くか」
「うん」
鷹緒の言葉に、沙織が立ち上がる。二人はそのまま事務所を出ていった。
「車じゃないの?」
駐車場とは別の方向に歩く鷹緒に、沙織が尋ねる。
「寿司なら、近くに美味い店があるんだ」
鷹緒はそう言うと、事務所近くの寿司屋へと入っていった。カウンターに座る鷹緒の横に、沙織は小さくなって座った。
「なんか……場違いじゃない? 私、制服だし」
「べつに平気だよ」
鷹緒は気にせずそう言って、壁にかけられたメニューを眺めている。沙織も店内を見渡すと、壁には有名人の色紙が、所狭しと飾られている。
「すごい。サインでいっぱい」
「おまえはミーハーだったな……時間によってだけど、ここに来れば誰かしらいるよ、芸能人」
「いらっしゃい、諸星さん。女子高生連れ込むなんて、らしくないじゃない」
その時、カウンターの向こうから、板前がそう言った。鷹緒も常連らしく、親しげに笑う。
「違うよ。こいつ、俺の親戚」
「またまたー」
「ハハハ、本当だって。とりあえず、今日のおすすめを適当に握ってください」
「かしこまりました」
鷹緒の言葉に、板前がネタを握ってゆく。そして差し出された寿司は、美味しそうに輝いていた。
「うわあ、すごい。大きいネタ」
目の前に出された寿司に、思わず沙織が言った。鷹緒は笑いながら、すでに食べ始めている。
「じゃんじゃん食えよ」
「いいの?」
「ああ」
「いただきます!」
二人は寿司を堪能し、やがて車で沙織の家へと向かっていった。
「ありがとうございました。ごちそうさまでした」
車から降りるなり、沙織が言う。
「いえいえ。じゃあな」
相変わらず、鷹緒は淡々として答える。
「あ、うん……」
「なんだよ、その顔」
沙織の残念そうな顔に、首を傾げて鷹緒が尋ねる。沙織は首を振りながらも、説明しがたい寂しさに、目を泳がせるだけだ。
「だって……」
その時、向こうから人影が近付いてきた。そこには、息を切らした篤がいる。
「沙織……!」
「篤……」
思わぬ人物に、沙織は驚いた。だが状況を把握する間もなく、篤は怒ったように口を開いている。
「おまえ……なんなんだよ。用があるって、そいつのことなのか?」
ひどく怒っている様子の篤に、沙織は何が起こったのか、どうすればいいのかわからない。
「そいつって……鷹緒さんだよ、親戚の。それより、どうして篤がこんなところに……」
「表の店で時間潰してたんだ。最近会えなかったから、今日は会いたいと思って、すぐに出られるところにいた。そしたら、車に乗ったおまえが見えて、走って……何が用事なんだよ! 俺より、その男との約束が大事なのか?」
沙織に面と向かって、篤が怒鳴った。
「ち、違うよ! それは……」
「話中悪いけど、こんなところで喧嘩はやめろよ」
そこへ、車の窓から顔を出した鷹緒が言った。鷹緒のその言葉に、篤は更に逆上する。
「親戚だかなんだか知らねえけど、何も知らないくせに首突っ込んでくるなよ!」