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七篠奈々子
七篠奈々子
novelistID. 10468
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骨の釈迦

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骨の釈迦

 男は骨壷のふたをそっと開けた。あと一時間で四十九日が終わってしまう。仏教では、四十九日は魂の来世の行く場所が決まる、最も重要な期間なのだそうだ。つまりあと一時間で、自分の恋人は本当に己の手の届かない世界へ行ってしまう。――もっとも、彼女は死んでいるのだから、すでに男の手の届かない存在になっているが。けれど、魂のようなものが自分と同じ世界にまだ存在しているのではないか。男はそんな気がしていた。――明日は墓に骨を納めに行く。明日のために遠くから彼女の両親も来てくれたのだ。骨壷を前にしてもう何度目の最後の別れをしたかは分からないが、これで本当に最後にする。だから恋人の姿を見ておきたいと骨壷の中を見ようとしたのだった。しかし、彼女の両親が起きている時に骨壷の中身を見るというのは、なかなか後ろめたいものがある。安置された骨壷のふたを開けるのはもしかすると、墓荒らしと同じことをしているのかもしれない。何分、骨壷の中を見ようという気持ちになったのはこれが初めてで、罰当たりなことなのかどうかすら良く分からない。二人に姿を見られたら非常識だ、と非難されてしまうかもしれないだろう。だからこうして彼らが寝静まるのを待っていた次第であった。
 もう主のいなくなってしまった部屋は、彼女の両親と共に粗方片付けてしまいすっきりと、悪く言えばがらんとしていた。彼女が生きていたときには狭いと思っていた部屋が、今ではひどく広く感じる。室内は肌を突き刺すような冷たい空気が流れていた。外がどんよりと曇っているために部屋の中はカーテンが開ききっていても暗かった。電気をつけるわけにも行かず、手探りで物音を立てぬように男は注意して仏壇の前まで歩く。部屋には線香と菊の花のが入り混じった、何ともいえない寂しげな香りが漂っていた。柔らかな笑顔を浮かべる恋人の遺影の前にどっしりと置かれた骨壷は、触れるとひんやりと冷たかった。畳の上に手に取った骨壷のふたを置き、意を決して男は壷の中を覗き込む。

***

 男の恋人が交通事故で死んだ。「今日の夕飯は何がいい?」「んー……。何でもいいや」「もう!いっつもそればっかり!嫌いなものにするからね!」そんな、いつも通りのやり取りをしてから彼女は買い物に出かけていった。そしてそのまま帰ってこなかった。酔っ払った運転手が運転するトラックにはねられたのだそうだ。外傷は奇跡的に殆どなかったものの彼女は脳死状態となり、そして二週間後に意識が戻ることは無いまま静かに息を引き取ったのだ。
 男は恋人と近々結婚をするつもりだった。もともと結婚を前提に彼女と付き合っており、四年間の付き合い、そして三年間の同棲生活を経て、残るは男のプロポーズだけだった。恋人は男のプロポーズを心待ちにしていて、彼自身それを重々承知していた。そして先日ようやくプロポーズの言葉も、そのための指輪も用意したのだった。こつこつと貯めてきたお金で買った指輪はポケットの中に、月並みなプロポーズの言葉は頭の中に大切にしまってあった。彼女が交通事故にあったあの日。帰ってきたら、雰囲気もへったくれもない、この小さな家でプロポーズをしようと思っていたのだ。
 どうして、どうしてこんなことに――。男は拳を握り締め、唇を強く噛んだ。目の前では、木棺の窓蓋が開けられて、恋人の親族や知人が彼女との別れを済ませていた。これから彼女は燃やされてしまうのだ。
「貴方も、顔を見てやってちょうだい」
恋人の母親が、ハンカチで濡れた目じりを何度か押さえながら、鼻声混じりの声で男に話しかけて、彼の背中を押した。男は言われるまま棺の傍による。開かれた窓蓋から、沢山の花々に包まれた恋人の顔が見えた。血色のよかった彼女の顔が青白くなっていることを除けば、彼女はまるでただ眠っているだけのように見えた。
(……人形みたいだ)
そう、例えば蝋人形とかリアルなフィギュアとか、そういうものを見ているようだった。見ていて、こんなにリアルにつくれるんだ、へぇ〜すごいな。と感心してしまうような。ああ、これは実はたちの悪いドッキリで、本当は彼女は生きているんじゃないだろうか。それとも自分は夢を見ているのかもしれない。このまま家に帰って眠りについて、目が覚めたら今までと同じように朝ごはんを作っている彼女の背中を見て、やはり夢だったのだとほっとして――そして食卓について、お前が死んじゃった夢を見たよとご飯を食べながら笑い話として彼女に語る。悪い夢だった、と最後にそう付け加えて。漠然とした頭の中で、男はふとそんなことを考えた。恋人が死んでしまってから、あっという間に時間が流れてしまい、現実に彼の頭が追いついていないのだった。
「それでは、これより火葬を執り行います。喪主さまはこちらへどうぞ」
棺が火葬炉の中に飲み込まれていく。大きかった棺がすっぽりと炉の中に入ると、静かに扉が閉められた。
 恋人が燃やされる。燃やされてしまう。後ろ髪を惹かれる思いで男は、親類や知人と共に火葬炉の前から去っていった。分厚い火葬炉の扉の向こうからは、ごおごおと燃え盛る炎の音がほんのわずかだったが聞こえてきた。それが現実だった。それが彼に突きつけられた事実だった。彼女は死んだ。
 火葬が完了するまでおよそ一時間ほどかかる。その間、火葬場についてきた人達は控え室で飲み食いをしながら雑談をしていた。たまに生前の恋人の話を聞こうと話しかけてくる者もいたが、男は返事をする気にもなれなかった。燃やされた彼女のことを考えていたのだ。彼女の肉体は骨になり、もう生前の姿を見ることは出来ない。そして、何時か自分の記憶も曖昧になり、彼女の顔も声も性格も、それどころか場合によっては存在さえも忘れてしまうのだろう。それが男にとってひどく恐ろしいことに思えた。
 係員から火葬が終了した旨が伝えられるまでの間、彼はグラスに注がれたビールや出されたつまみに一口も口をつけることなく、ただじっと椅子に座ってうつむいていた。
 火葬炉から運び出されたのは、誰のものとも分からぬ白い骨だった。係員が手際よく骨と燃えカスとを種わけすると、これが足だのそれが腰だのと早口で骨の箇所について説明をする。けれど、男には全て同じようにしか見えなかった。そんな中、ひときわ目立つ骨を見つけた。角度を変えてみれば、座っている人間の姿にも見える。
「この骨は何処の骨なんですか?」
「ああ、珍しい。これは、のど仏ですね。ほら、こうして置くとお釈迦様がお祈りをしているように見えるでしょう?しかも袈裟つきです。これは本当に珍しい。滅多に見ることの出来ないものなのですよ。現世をまじめに生きた方は、このようにきれいなのど仏を残すといわれています」
「あ……ありがとうございます」
お世辞でも恋人のことをほめられたことがうれしくて、男は口の端を吊り上げて少しだけ笑った。彼女が死んでから、初めて笑ったような気がする。死してなお、彼女は彼にとって誇れる存在だった。最後に彼女が貴重なものを見せてくれたように思えた。
 男は名残惜しそうに恋人の骨を見つめた。釈迦はそこで祈ってくれているのだろうか。ゆっくりと骨壷のふたが閉じられた。

***
作品名:骨の釈迦 作家名:七篠奈々子