薄桃色のメモリー
絵を見つめながら筆記用具を探っていると、表に出していたペンなどを、豪快に落としてしまった。
「ああ……」
やれやれ、だ……最近、何もかもがうまくいっていない気がする。それが自分のせいだとわかっていても、簡単に受け入れたくはない。
椅子から立ち上がり、私は床にしゃがみ込む。
今日はほとんどの社員が休みなので、この醜態があまり晒されなかったことに感謝だ。
「消しゴム、貸してくれない?」
突然だった。
時が巻き戻るスイッチのように、その言葉は私の思考を刺激する。
「住友さん……」
不思議と、顔が上げられなかった。
何度同じ夢を見ただろう。顔を上げても、目当ての顔はそこにはない。
だけど突然の夢は、やけに生々しい声である。
私は床を見つめたまま、深呼吸をして、状況を思い出した。
遠くに部長が座っているほかは、今はこの部署に誰もいない。拾うのに一生懸命になっていたこともあるが、人の気配にまったく気付かなかった。
「大丈夫? 住友さん」
覗き込んできた顔で、私の目に人の顔が映る。
そこには、間違いなく彼の姿があった。いつの日と変わらない笑顔が、そこにあった。
「梶、君……?」
彼は頷くと、拾い上げた私の消しゴムを握り、私が直していたデザイン画の上に置く。
「よかった。まだここにいたんだね」
そう言う彼が、まだ本物なのか区別すらつかない。
私は腰を抜かしたように床に座り込んだまま、震える手を彼に伸ばした。
「本物だよ」
すべてを察するようにそう言って、彼は私の手を取る。
私は涙を流した。
「会いたかった……」
「……待たせてごめんね」
言いたいことはたくさんあったが、彼の一言で、私はすべてが満たされていた。
彼が帰ってきた。私のもとに……それは、二人の未来を示している。
やがて私たちは、会社の会議室で、二人きりで話をした。休日の今日、ここなら誰も来ないだろうからである。
そこで、彼が独立してこちらに事務所を構えること、私の前の家へ訪ねてから会社へ来てくれ、私を探そうとしてくれていたこと、そして、やっと過去に気持ちの整理をつけられたということを教えてくれた。
「僕はこれからも、前の家族と君を比べることは出来ないと思う……この五年の間で、君が結婚したり幸せでいるなら、それを見届けようと思って来た。でも、君が僕を許してくれて、まだ少しでも僕を想っていてくれたなら……これからずっと、一緒にいてほしいんだ」
プロポーズだった。
なんの準備もない、不意の告白……それでも私は、死んでしまうかと思うほど嬉しかった。
「はい……」
私たちは、そこで初めてキスをした。
話したいことがたくさんあるのに、言葉が見つからない。それでも、わたしたちはもうわかり合えている気がする。
暖かなそよ風が吹き抜け、会議室の窓から桜の花びらが迷い込む。
春の訪れとともに、彼は私の前に現れた。
ほろ苦い思い出を、胸いっぱいに詰め込んで――。