ひまわり
夏休みが始まったばかりのある朝、まみはお母さんとケンカをしました。
「お母さんのわからずや!」
まみは家を飛び出すと、日差しの照りつける大通りを歩いて、駅までやってきました。
「お母さんなんか、いっぱい困らせてやる」
まみはもっていたお金で、できるだけ遠くの駅の切符を買うと、電車に飛び乗りました。
席にすわって、なにげなく反対側の窓の上に目をやると、まみの目はそれに釘付けになりました。
それは、線路沿いに咲くひまわりの中を、小さなディーゼル機関車が走っている観光ポスターです。
ひまわりの花は、まみが買ってほしかった水着の柄でした。
『花模様の水着をもっていないのはわたしだけなのに……』
友だちとプールに行く約束をしたまみは、新しい水着を買ってほしいとお母さんにねだりました。でもお母さんは、学校で使うスクール水着で十分だと言って、取り合ってくれなかったのです。
まみは六年生ですが、小柄なのであんまり服のサイズが変わりません。だから、わざわざ買うことはないというのがお母さんの言い分です。
友だちは毎年、サイズが合わなくなったと言っては買ってもらっているので、うらやましくて仕方がありません。
まみは、くちびるをぎゅっとかんでうつむきました。そのとき、がたんと電車が大きく揺れました。
「どうしたのかしら」
あたりをみまわすと、いつのまにか車内のようすが変わっています。
油のにおいのする木の床、すわっているのは四人がけのボックス席です。まみはたちあがり、ドアの方に駆け寄りました。
ガラス越しに見える景色は、見慣れたビルやマンションではなく、田んぼや畑です。
まみはいつのまにか、ディーゼル機関車に乗っていました。
かたたん かたたん
軽快なリズムで、汽車は線路沿いに咲くひまわりの花の中を進んでいきます。
やがて汽車は、駅員さんのいない小さな駅に着きました。まみは、おそるおそる、その駅に降りてみました。
古い桜の木が何本かホームの脇にあって、その下に、白いペンキを塗った木のベンチがあります。
真っ青な空と鮮やかな緑の山や田んぼ。線路沿いにはずうっとひまわりが続き、吹き抜ける風は草のにおいがします。
「空気がおいしい。気持ちいいなあ」
それまでの不安がいっぺんに吹き飛んで、まみは深呼吸をしました。
しばらくの間、まみは駅の周りを歩いて、いなかの景色を楽しみました。
けれど、真昼とはいえ、人っこひとりいない場所にぽつんといると、だんだん心細くなりました。
なにしろ、聞こえてくるのはせみの声ばかり。まるで世界中にたったひとりになってしまったような気さえしてきたのです。
急に悲しくなったまみは、駅にもどると、力なくベンチにすわりました。
「そこは日差しが強いわ。これ、貸してあげる」
ふいに声がして、目の前にひまわりの花が現れました。よく見るとそれは造花です。
きょとんとするまみに、水色のワンピースを着た知らない女の子が、麦わら帽子を差し出しています。
小柄でやせっぽちのその女の子は、にっこり笑って、まみの頭に帽子をのせました。
「よく似合うわ」
そして、くりくりした目にいたずらっぽい笑みを浮かべて聞いたのです。
「ねえ、あなた。もしかして、お母さんとけんかした?」
まみはちょっとおどろきましたが、こくんとうなずいて肩をすぼめました。
「やっぱりね。わたしも、なの」
と、女の子は自分のことを話し始めたのです。 家出の理由はまみと同じで、ほしいものを買ってもらえない不満でした。
二人とも六年生で、ひまわりの花が好きなことや、水泳が大好きなこともぴったり同じです。
そうしてすっかり気があった二人は、思い切りお母さんの悪口を言い合って、気分をすっきりさせました。
でもそのあとで、なんだかお母さんの方が正しいように思えてきたのです。
「わたしたちって、ばかばかしいことで家出したのね」
顔を見合わせて笑うと、同時に言いました。
「帰ろうか!」
二人は、やがてやってきた汽車にいっしょに乗り込むと、窓の外にならぶひまわりをみながらおしゃべりを続けました。
「わたしの先生ってね、コメディアンのサルタにそっくりでね。おもしろいの」
「わたしの先生は、ギョロバチよ。目がぎょろっとしてコワイ顔だけど、やさしいの」
かたたん かたたん かたたん
汽車の走る音と振動が心地よく、おしゃべりもはずみます。
ちょっと気になるクラスの男の子のこと、背が低くてミニバスケットの選手になれなかったこと……話の種は尽きません。
鉄橋を渡って、林の中を抜けると、ゴゴーッと音がして、汽車はトンネルに入りました。車内は電気がつかず、真っ暗です。
「こわいわね。真っ暗で」
まみは女の子に声をかけましたが、返事がありません。不審に思っていると、あたりがぱっと明るくなりました。
するとそこは、もとの電車の中で、もうすぐ隣の駅に着くところです。女の子の姿はありません。
(わたし、夢を見ていたのかしら?)
まみは顔を上げました。そのとき、さっきみたポスターが目に飛び込んできたのです。
一瞬、小さな汽車の中から、女の子が手を振っているのが見えたような気がしました。
(え? まさか?)
切符を見ると、ポスターの町の名前と同じ駅の名前が書いてあります。
まみは狐につままれたような気持ちで、隣の駅であわてて降りると、家に帰りました。
台所で昼食の支度を始めたお母さんは、汗だくで真っ赤な顔をしてもどってきたまみをみて、くすっと笑うと、何事もなかったように言いました。
「おかえり」
まみは照れ笑いをしてテーブルのそばにいきました。見ると、いすの上に、ひまわりの花のついた帽子がおいてあります。
「これは?」
お母さんは、包丁を持つ手を休めることなく、まみに背中をむけたまま答えます。
「子どもの時のお気に入りだったの。あなたにあげる。ひまわりの水着のかわり」
「え? 何で知ってるの?」
「買い物の時、スーパーの前のお店で見たの。これだなってぴんときたわ」
「でも、だめなんでしょ。どうせ」
「残念ながら、あなたには大きすぎるの」
「しょうがない。これでがまんする」
まみは帽子を手に取りました。
お母さんはよほど大切に使っていたのでしょう。少しも汚れや傷みがありません。
鏡の前で帽子をかぶってみたまみは、どきっとしました。さっき出会った女の子と自分の顔が似ているような気がしたからです。
それだけではありません。
「あら、似合うじゃない」
そういって笑ったお母さんの顔に、あの子の笑顔が重なって見えたのです。
まみは思い切ってお母さんに聞きました。
「お母さん。ひまわりの花って好き?」
「ええ、大好きよ」
「昔、水色のワンピースもってた?」
「え? どうだったかなぁ」
お母さんが考えている間、まみは心臓の音が聞こえてきそうなほどどきどきして、思わず両手で胸を押さえました。
「ああ、もってたわ。そうそう、それをきて家出したのよね。お小遣い全部もって」
「そ、それで? それで?」
「冒険のつもりで、知らないローカル線の汽車に乗り換えて、ちっちゃな駅で降りたっけ」
「お母さんのわからずや!」
まみは家を飛び出すと、日差しの照りつける大通りを歩いて、駅までやってきました。
「お母さんなんか、いっぱい困らせてやる」
まみはもっていたお金で、できるだけ遠くの駅の切符を買うと、電車に飛び乗りました。
席にすわって、なにげなく反対側の窓の上に目をやると、まみの目はそれに釘付けになりました。
それは、線路沿いに咲くひまわりの中を、小さなディーゼル機関車が走っている観光ポスターです。
ひまわりの花は、まみが買ってほしかった水着の柄でした。
『花模様の水着をもっていないのはわたしだけなのに……』
友だちとプールに行く約束をしたまみは、新しい水着を買ってほしいとお母さんにねだりました。でもお母さんは、学校で使うスクール水着で十分だと言って、取り合ってくれなかったのです。
まみは六年生ですが、小柄なのであんまり服のサイズが変わりません。だから、わざわざ買うことはないというのがお母さんの言い分です。
友だちは毎年、サイズが合わなくなったと言っては買ってもらっているので、うらやましくて仕方がありません。
まみは、くちびるをぎゅっとかんでうつむきました。そのとき、がたんと電車が大きく揺れました。
「どうしたのかしら」
あたりをみまわすと、いつのまにか車内のようすが変わっています。
油のにおいのする木の床、すわっているのは四人がけのボックス席です。まみはたちあがり、ドアの方に駆け寄りました。
ガラス越しに見える景色は、見慣れたビルやマンションではなく、田んぼや畑です。
まみはいつのまにか、ディーゼル機関車に乗っていました。
かたたん かたたん
軽快なリズムで、汽車は線路沿いに咲くひまわりの花の中を進んでいきます。
やがて汽車は、駅員さんのいない小さな駅に着きました。まみは、おそるおそる、その駅に降りてみました。
古い桜の木が何本かホームの脇にあって、その下に、白いペンキを塗った木のベンチがあります。
真っ青な空と鮮やかな緑の山や田んぼ。線路沿いにはずうっとひまわりが続き、吹き抜ける風は草のにおいがします。
「空気がおいしい。気持ちいいなあ」
それまでの不安がいっぺんに吹き飛んで、まみは深呼吸をしました。
しばらくの間、まみは駅の周りを歩いて、いなかの景色を楽しみました。
けれど、真昼とはいえ、人っこひとりいない場所にぽつんといると、だんだん心細くなりました。
なにしろ、聞こえてくるのはせみの声ばかり。まるで世界中にたったひとりになってしまったような気さえしてきたのです。
急に悲しくなったまみは、駅にもどると、力なくベンチにすわりました。
「そこは日差しが強いわ。これ、貸してあげる」
ふいに声がして、目の前にひまわりの花が現れました。よく見るとそれは造花です。
きょとんとするまみに、水色のワンピースを着た知らない女の子が、麦わら帽子を差し出しています。
小柄でやせっぽちのその女の子は、にっこり笑って、まみの頭に帽子をのせました。
「よく似合うわ」
そして、くりくりした目にいたずらっぽい笑みを浮かべて聞いたのです。
「ねえ、あなた。もしかして、お母さんとけんかした?」
まみはちょっとおどろきましたが、こくんとうなずいて肩をすぼめました。
「やっぱりね。わたしも、なの」
と、女の子は自分のことを話し始めたのです。 家出の理由はまみと同じで、ほしいものを買ってもらえない不満でした。
二人とも六年生で、ひまわりの花が好きなことや、水泳が大好きなこともぴったり同じです。
そうしてすっかり気があった二人は、思い切りお母さんの悪口を言い合って、気分をすっきりさせました。
でもそのあとで、なんだかお母さんの方が正しいように思えてきたのです。
「わたしたちって、ばかばかしいことで家出したのね」
顔を見合わせて笑うと、同時に言いました。
「帰ろうか!」
二人は、やがてやってきた汽車にいっしょに乗り込むと、窓の外にならぶひまわりをみながらおしゃべりを続けました。
「わたしの先生ってね、コメディアンのサルタにそっくりでね。おもしろいの」
「わたしの先生は、ギョロバチよ。目がぎょろっとしてコワイ顔だけど、やさしいの」
かたたん かたたん かたたん
汽車の走る音と振動が心地よく、おしゃべりもはずみます。
ちょっと気になるクラスの男の子のこと、背が低くてミニバスケットの選手になれなかったこと……話の種は尽きません。
鉄橋を渡って、林の中を抜けると、ゴゴーッと音がして、汽車はトンネルに入りました。車内は電気がつかず、真っ暗です。
「こわいわね。真っ暗で」
まみは女の子に声をかけましたが、返事がありません。不審に思っていると、あたりがぱっと明るくなりました。
するとそこは、もとの電車の中で、もうすぐ隣の駅に着くところです。女の子の姿はありません。
(わたし、夢を見ていたのかしら?)
まみは顔を上げました。そのとき、さっきみたポスターが目に飛び込んできたのです。
一瞬、小さな汽車の中から、女の子が手を振っているのが見えたような気がしました。
(え? まさか?)
切符を見ると、ポスターの町の名前と同じ駅の名前が書いてあります。
まみは狐につままれたような気持ちで、隣の駅であわてて降りると、家に帰りました。
台所で昼食の支度を始めたお母さんは、汗だくで真っ赤な顔をしてもどってきたまみをみて、くすっと笑うと、何事もなかったように言いました。
「おかえり」
まみは照れ笑いをしてテーブルのそばにいきました。見ると、いすの上に、ひまわりの花のついた帽子がおいてあります。
「これは?」
お母さんは、包丁を持つ手を休めることなく、まみに背中をむけたまま答えます。
「子どもの時のお気に入りだったの。あなたにあげる。ひまわりの水着のかわり」
「え? 何で知ってるの?」
「買い物の時、スーパーの前のお店で見たの。これだなってぴんときたわ」
「でも、だめなんでしょ。どうせ」
「残念ながら、あなたには大きすぎるの」
「しょうがない。これでがまんする」
まみは帽子を手に取りました。
お母さんはよほど大切に使っていたのでしょう。少しも汚れや傷みがありません。
鏡の前で帽子をかぶってみたまみは、どきっとしました。さっき出会った女の子と自分の顔が似ているような気がしたからです。
それだけではありません。
「あら、似合うじゃない」
そういって笑ったお母さんの顔に、あの子の笑顔が重なって見えたのです。
まみは思い切ってお母さんに聞きました。
「お母さん。ひまわりの花って好き?」
「ええ、大好きよ」
「昔、水色のワンピースもってた?」
「え? どうだったかなぁ」
お母さんが考えている間、まみは心臓の音が聞こえてきそうなほどどきどきして、思わず両手で胸を押さえました。
「ああ、もってたわ。そうそう、それをきて家出したのよね。お小遣い全部もって」
「そ、それで? それで?」
「冒険のつもりで、知らないローカル線の汽車に乗り換えて、ちっちゃな駅で降りたっけ」