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乾燥夫のはなし

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スガノの仕事場は地下にある。
 地下という曖昧な指定しかできないのも、一週間に一度、会社から送られてくる茶封筒に入った地図と住所をもとに、一見ただのマンホールにしか見えない都市の『穴』からスガノは仕事に入るからである。
 その『穴』は開発途中のニュータウンにあったり、ゴミが捨て散らかされた繁華街のスナックの裏にあったり、時にはその市花までが、ご丁寧に刻まれていることすらある。スガノは人目を避けた深夜にそこまでやってきて、よっこらしょと蓋を外し、一人乾いた靴音を響かせながら下りていく。
 募集要項には、『一日中日光を浴びない生活をしたとしても気が狂わない者歓迎』と明記されていた。夜間働く為、昼間は睡眠を取ることになるというのである。
 実際スガノは晴れの日より雨の日が、昼間より夜が嗜好に合う人間だったので、その点問題なかったのだが、さすがにこの意味不明な会社方針を不思議に思い、人事担当者だというごくありふれた姿壮年男性に尋ねてみたことがあった。
 返ってきた答えは、

「外敵に知られては遺憾であるからです」

 それは当然ですねとスガノは答えた。
 今日は、とある知事選挙立候補者の事務所裏からとの指定だった。
 スガノは選挙権を持つ年齢に達してひさしいが、昨今の現代人の例にもれず、政治に関心がなく、その候補者の勇ましい形相のポスターを見ても、彼の熱意を感じることもなかった。
 デイパックからハンディライトを取り出し、梯子の横にあるスイッチを入れると、たちまち垂直トンネルは光で満たされ、スガノは慣れた調子で梯子を下りる。
 底まで辿り着くと、錆び一つない鉄扉が構えている。よく見かける清掃業者のロゴシールが貼られているのを見つけ、スガノはこんな地下にまで進出しているのはさすが大手だなと感心する。
 ハンディライトのスイッチを切って、形の割に重量はない扉を開くと、そこがスガノの仕事場だ。
 ドーム状の壁面いっぱいに、無数の円い窓がついた扉が閉められている。
 半球体の空洞の中心に、スガノが預り証などを処理する、どこにでもある灰色の、角の尖った事務用机が一つ置かれている。
 このかまくら型の部屋の構造についても、人事担当者に質問したことがある。
 返ってきた答えは、

「球体というのは、最も外からの衝撃に強く、また、潰れにくい形なのです」

 大震災が再来してもここにいれば安全ですねとスガノは答えた。
 ただのクリーニング屋はこの国にごまんとある。
 スガノの仕事は、やんごとなき事情でそういった堅気の世話になれない者たちを客層とする、『何でも』請け負う、乾燥夫である。









 水色のエプロンを付けて、六十九ある乾燥機の覗き窓から、リモート可動式脚立を駆使して洗濯物の有無を確かめるのが、スガノの仕事始めの風景だ。
 本来なら、上のどこかで世間に溶け込み営業している、洗濯夫のアオヤマという男から、
『何番の乾燥機に誰々の何を洗濯して落としました』
 という通知メールが届くはずなのだが、彼はどうやらずぼらで、三回に一回しか報告をしてこない。
 おかげでスガノは床から天井の隅々まで、あるかどうかも分からない洗濯物を探さなくてはならなかった。幸いにして高所恐怖症ではないスガノである。
 アオヤマの性質はともかく、仕事はいつでもきちんとこなされていて、今まで一度として汚れが残っていたことはない。彼の首はまだ切れる気配はないようだ。
 今日は早くも十一番の乾燥機から、一組、洗濯物の入った袋を発見した。
 しかし、それ以降は靴下一足見つからなかった。
 脚立から下りて、その場で袋の口を開ける。
 スガノは出てきた物を見て口をぽかんと開いた後、思わず苦笑を漏らしてしまった。随分あくの強い物が出てきたからである。
 まず、大半が高そうなスーツスーツ、スーツ。
 二十着くらいあるのではないだろうか、明らかにオーダーメイドである証拠に、裏地を返すと『KOUDA』という金の縫い取りがどれにもしてある。依頼主の名前だろう。
 白がまばゆい国旗が二枚。
 赤や青や、子ども達に人気のアニメキャラクターがプリントされたネクタイ。
 女性物の品の良いパーティドレス。
 そして何よりもスガノがしげしげと観察したのが、なんと二・五メートル程もある大きなトラの毛皮だった。外国映画に出てくる、富豪屋敷のソファの上に、掛けられていたり下に轢かれていたりする、あの顔のないトラの抜け殻である。
 小さな丸い耳がてっぺんに付いていて、その左右に牛乳パック三本分の太さはある足が伸びて、べろりと長い胴体の終わりに、スガノの足の長さくらいの尻尾と後ろ足が無造作に投げ出されている。
 いくらかくたびれてはいるが、見紛うことのない金の体毛と黒い独特の縞模様が、生前の彼の立派な出で立ちを思わせる。
 スガノはつい職務を忘れて、まだ石鹸の香りと湿り気の残る彼の上に寝そべったり、前足を持ってダンスを踊ったりと、気ままにはじめてのトラの抜け殻を堪能した。
 それからくるくると器用に丸めて、残りのスーツやらと一緒に乾燥機の中に放り込んだ。
 ぼんやりと事務机で頬杖を付いて乾燥機を見守っている頃、鉄扉を小さく外から叩く音がした。
 乾燥機の稼働音以外に音がしない地下室なので、本来聞こえないはずの小さな音でも聞き逃すことはない。
 ここに来る人物は二種類しかいない。
 会社の人間か、出来上がった預かり物を受け取りに来た依頼主である。

「はい、はいはい」

 スガノは机を離れると、小走りで鉄扉まで近づき、恭しく扉を開いた。

「いらっしゃいませ、コウダ様」

 額に玉のような汗を浮かべて肩で息をしていたその男は、現れたスガノに目を向けた。随分鋭い目つきだな、とスガノは思った。

「あ、あの、わ私の洗濯物は……」

 ドームの天井を落ち着かない様子で見上げていたコウダが、意を決したようにスガノの方へ向き直るのに三分近くかかった。
 スガノも他人が落ち着くまで必要と思われないことに関して口を開くつもりは毛頭ないので、この三分、ただにこにこと笑みを浮かべて側に控えているだけだった。

「あちら、十一番乾燥機にて、乾かしている最中です。今しばらくお待ち下さい」

 客という時点でスガノよりも立場が上であるはずのコウダは、それにしてはうわずった唇をどうにかこうにか動かしているという感じで、

「あ、あ、そう」

 と視線を泳がせながら答えた。
 上がっていた呼吸はおさまったものの、額から流れる汗は止まらなかった。
 痩せた身体からそんなにも水分を放出しては、残るものは皮だけになるのでは、という疑問を、スガノは持参のミネラルウォーターのペットボトルを差し出すというサービスに替えた。

「この、窓みたいなの、へえ、全部乾燥機かい? 洗濯は別のところで……?」

 スガノが勧めた事務用椅子に腰掛け、水を一口含むと、コウダは少し落ち着いたように口を開いた。
 しかし折り曲げた足はせわしなく揺すられている。生来の小心者のようだ。
作品名:乾燥夫のはなし 作家名:めっこ