幻想
「私が二人いればいいのに」
CDラジカセのフタを閉じながら私は思った。
ヤリタイコトガ、オオスギル。
聴きたい曲が、今すぐに聴きたい曲が、次に聴きたい曲がいくつもある。
一つしか選ぶことができない。
パラレルワールドがあって、同時にいくつもの曲を聴く私がいて、聞き終えたらすべての私にその記憶が残ればいい。
ああ、そのために神は、これだけの人間を作ったのだ。
やりたいことが多すぎて、
一つだけを選ぶ決断がつかなくて、
シミュレーションのように人生を過ごす人間という生き物をこんなにも。
私がもう一人、隣に立っている。
彼女は私が自分自身であると知っている。
本来彼女は私と同時に別の曲のCDを入れて聴き始めるべきだ。
そのために“増えた”のだから、私は。
しかし私は自分自身が“こんな姿”をしている事に驚き、私に注意してきた。
「髪、跳ねてるし。」
「姿勢悪いし」
「その服ダサいし。」
その姿をした者が「自分」でなかったら、そんなことは気にしないだろう。
しかし私には「理想の私」があった。理想どおりにはなれないことも判っていたが、いくらなんでもそれは怠けすぎだろうという部分が気になって仕方ない。
たしかに昔、鏡ではなくもう一人の自分が生身の自分を見て服や化粧をチェックしてくれればよいのにと思ったことがあったものだ。
しかしもう一人の自分の目というのは厳しいものだ。まるでテレビ画面で芸能人でも見ているように、こちらの都合も疲れもお構いなしに、残酷に「みっともない」「だらしない」と、見たままの印象を胸に抱いてはその感情を流し込んでくる。
忙しいとき、家事と仕事と趣味と人付き合いとを同時にこなそうとすると、経験と学習の都合からいつも同じ私が担当するのが効率的であることが判ってきた。すると役割の分担から職業の分担のようなスペシャリストが生まれてくる。料理がどうにか作れる私と、魚をさばいたことなどない私。
面白いことに、出かけて疲れた私のために、肩を叩いたり足を揉んだりする私を作ると、その私のためにまた、癒し係の私が必要になる。
癒し系の本を読み、それを実戦するようにと勧めてくる私。情報を集めて知らせてくれる私。
私の分化はどんどん数を増すばかりだった。
しかし、無限というわけでもなかったようだ。
同じ人間だから、趣味の方向はある程度決まっていたし、ある私が知らない情報、ある私が出会わない人、ある私が体験しないこと、そういったものに差が生ずるにもかかわらず、なんとなく、「方向性」のようなものは依然としてあるのだ。
無限の可能性を前にしても、絶対的に私を性格づけているそれは、たとえば性別であったり、たとえば日本に生まれたということであったり、たとえばどんな親から生まれたかという事実であったりする。
日本に生まれ、日本に育ち、日本語を使って日本語で生活する日本人の私であっても、それが留学しようが国際結婚をしようが、それでも変わらないものというのが、私という人間に可能性のキリを作っているようだった。
それもやがて変わってくる。
私が誰と出会い誰と結婚するか多様になったおかげで、私の子供の存在が「ある」と「ない」とに分かれ始めた。
家庭や子供の存在そのものが、あったりなかったりしている世界というのは、親戚の顔ぶれもまるで違う。
子孫が「私」の世界とは別の世界を作り出しているのは明らかだった。
「私」という存在と「子供」という存在の間に、決定的な世界の層がある。
「私」という存在と「夫」という存在の間以上に、それははっきりと目に見えるのだった。
世界の中心がどこにあるかは証明できない。でも、世界のキリはどこにあるか分かった。それは自分と自分の子供の間。自分と親の間にある。
そして、同世代を共有している子供や夫との間にはキリがないが、共有していない世界の子供と自分の間にのみそれはある。
自分自身の中には、すべての可能性に対してキリはないけれども、さまざまな別世界との切れ目を持っていることは確かだった。
ひとつではない。自分以外の他者のうち、いま目の前にいて同じ世界を構成している他者との間には隔壁はないのだ。
いま目の前にいない、同じ世界を共有しない自分同士にも隔壁はない。
いま目の前にいなくて、同じ世界を共有しない他者との間に、隔壁がある。
そこが世界の果てだ。
その逆を言うならば、いま自分自身であって、この世界にいる私こそが、世界の中心なのだろう。
中にある心だから、中心なのだ。
親や祖父母の代から見れば、私という子孫が存在する世界としない世界がある。
子孫の私から見て、この私につながっている歴史を持ち、結果が目に見え名に聞こえる祖先こそが、同じ世界の人間だ。
そこに隔壁はない。
つまり、それは、私だ。私の選択だ。私が増やした私はすべてこの世界からしか生まれないのだ。
無数に思える私の可能性が、最初からゼロである世界がある。
その世界に、私は生きていない。
そこへ思いを馳せるため、そこに視点を移動するために、祖先返りが必要だ。
隔壁のない道を通って、直接には見られない別世界を見ることが初めてできるようになる。
そのために、祖先や子孫を、あるいは友人たちを活用するのだ。
祖先へと返り、かつていた未来を眺めるとき、私は別世界における私が全くちがったものを構成してやはり存在していたことに気付く。
それが何によって組み立てられ、何によって編まれているかが、異なる世界では組み替えられてあった。
直ぐ隣にある異世界。隔壁は水晶のクラックのように、同じものの向こう側を見えなくする。隔壁のないエリアに来てみると、どちらにも透明の空間が続いていることが分かるけれど、それは距離と角度が変わらないと見えてこない世界の裏側だ。
つながっているひとつのものに、切れ目が入る。他者の目、他者の体が自分の心と同じ流れに浸っていると気付いたとき、私は、私にできないあらゆる事を、他人に任せて良いのだと思った。
そして私は、慎重に、一つずつ、かつて増やした私を消していくことにした。
私よりも、それの得意な別の者に頼んだ方がずっと良いもの……優れたものを作り出したり、多くのものを作り出せたり、楽しんで、喜んで作っているように思える人々に、私の作るべき分までも依頼してあやかる。
私はその経験を積むことはできなくなるが、それよりも私のしたい事を経験する時間は増えるのだ。
すべてのことを自分一人で賄えるのは、たしかに素晴らしいことではある。そのように生き方を選ぶ権利ももちろんある。
だが、それを選ぶよりも、他者を自分の人生に組み込んで一体となって生きる道を、私は選んだ。
料理好きで、料理が旨くて、料理を作っている間いかにも幸せそうな彼女たちの自慢の料理に舌鼓を打つことにして、私は「何もできない自分」に落ち込むのではなく、それは自分の選択だと、きっぱり切り捨てることにした。
移動が好きで、運転が上手く、混む道、近道、景色の良い道、あらゆる旅を仲間に体験させたくて運転手をしている彼のために、「無駄遣いする自分」をさげすむのでなく、それは自分の選択だと、しっかり納得してタクシーに乗り込むことにした。
CDラジカセのフタを閉じながら私は思った。
ヤリタイコトガ、オオスギル。
聴きたい曲が、今すぐに聴きたい曲が、次に聴きたい曲がいくつもある。
一つしか選ぶことができない。
パラレルワールドがあって、同時にいくつもの曲を聴く私がいて、聞き終えたらすべての私にその記憶が残ればいい。
ああ、そのために神は、これだけの人間を作ったのだ。
やりたいことが多すぎて、
一つだけを選ぶ決断がつかなくて、
シミュレーションのように人生を過ごす人間という生き物をこんなにも。
私がもう一人、隣に立っている。
彼女は私が自分自身であると知っている。
本来彼女は私と同時に別の曲のCDを入れて聴き始めるべきだ。
そのために“増えた”のだから、私は。
しかし私は自分自身が“こんな姿”をしている事に驚き、私に注意してきた。
「髪、跳ねてるし。」
「姿勢悪いし」
「その服ダサいし。」
その姿をした者が「自分」でなかったら、そんなことは気にしないだろう。
しかし私には「理想の私」があった。理想どおりにはなれないことも判っていたが、いくらなんでもそれは怠けすぎだろうという部分が気になって仕方ない。
たしかに昔、鏡ではなくもう一人の自分が生身の自分を見て服や化粧をチェックしてくれればよいのにと思ったことがあったものだ。
しかしもう一人の自分の目というのは厳しいものだ。まるでテレビ画面で芸能人でも見ているように、こちらの都合も疲れもお構いなしに、残酷に「みっともない」「だらしない」と、見たままの印象を胸に抱いてはその感情を流し込んでくる。
忙しいとき、家事と仕事と趣味と人付き合いとを同時にこなそうとすると、経験と学習の都合からいつも同じ私が担当するのが効率的であることが判ってきた。すると役割の分担から職業の分担のようなスペシャリストが生まれてくる。料理がどうにか作れる私と、魚をさばいたことなどない私。
面白いことに、出かけて疲れた私のために、肩を叩いたり足を揉んだりする私を作ると、その私のためにまた、癒し係の私が必要になる。
癒し系の本を読み、それを実戦するようにと勧めてくる私。情報を集めて知らせてくれる私。
私の分化はどんどん数を増すばかりだった。
しかし、無限というわけでもなかったようだ。
同じ人間だから、趣味の方向はある程度決まっていたし、ある私が知らない情報、ある私が出会わない人、ある私が体験しないこと、そういったものに差が生ずるにもかかわらず、なんとなく、「方向性」のようなものは依然としてあるのだ。
無限の可能性を前にしても、絶対的に私を性格づけているそれは、たとえば性別であったり、たとえば日本に生まれたということであったり、たとえばどんな親から生まれたかという事実であったりする。
日本に生まれ、日本に育ち、日本語を使って日本語で生活する日本人の私であっても、それが留学しようが国際結婚をしようが、それでも変わらないものというのが、私という人間に可能性のキリを作っているようだった。
それもやがて変わってくる。
私が誰と出会い誰と結婚するか多様になったおかげで、私の子供の存在が「ある」と「ない」とに分かれ始めた。
家庭や子供の存在そのものが、あったりなかったりしている世界というのは、親戚の顔ぶれもまるで違う。
子孫が「私」の世界とは別の世界を作り出しているのは明らかだった。
「私」という存在と「子供」という存在の間に、決定的な世界の層がある。
「私」という存在と「夫」という存在の間以上に、それははっきりと目に見えるのだった。
世界の中心がどこにあるかは証明できない。でも、世界のキリはどこにあるか分かった。それは自分と自分の子供の間。自分と親の間にある。
そして、同世代を共有している子供や夫との間にはキリがないが、共有していない世界の子供と自分の間にのみそれはある。
自分自身の中には、すべての可能性に対してキリはないけれども、さまざまな別世界との切れ目を持っていることは確かだった。
ひとつではない。自分以外の他者のうち、いま目の前にいて同じ世界を構成している他者との間には隔壁はないのだ。
いま目の前にいない、同じ世界を共有しない自分同士にも隔壁はない。
いま目の前にいなくて、同じ世界を共有しない他者との間に、隔壁がある。
そこが世界の果てだ。
その逆を言うならば、いま自分自身であって、この世界にいる私こそが、世界の中心なのだろう。
中にある心だから、中心なのだ。
親や祖父母の代から見れば、私という子孫が存在する世界としない世界がある。
子孫の私から見て、この私につながっている歴史を持ち、結果が目に見え名に聞こえる祖先こそが、同じ世界の人間だ。
そこに隔壁はない。
つまり、それは、私だ。私の選択だ。私が増やした私はすべてこの世界からしか生まれないのだ。
無数に思える私の可能性が、最初からゼロである世界がある。
その世界に、私は生きていない。
そこへ思いを馳せるため、そこに視点を移動するために、祖先返りが必要だ。
隔壁のない道を通って、直接には見られない別世界を見ることが初めてできるようになる。
そのために、祖先や子孫を、あるいは友人たちを活用するのだ。
祖先へと返り、かつていた未来を眺めるとき、私は別世界における私が全くちがったものを構成してやはり存在していたことに気付く。
それが何によって組み立てられ、何によって編まれているかが、異なる世界では組み替えられてあった。
直ぐ隣にある異世界。隔壁は水晶のクラックのように、同じものの向こう側を見えなくする。隔壁のないエリアに来てみると、どちらにも透明の空間が続いていることが分かるけれど、それは距離と角度が変わらないと見えてこない世界の裏側だ。
つながっているひとつのものに、切れ目が入る。他者の目、他者の体が自分の心と同じ流れに浸っていると気付いたとき、私は、私にできないあらゆる事を、他人に任せて良いのだと思った。
そして私は、慎重に、一つずつ、かつて増やした私を消していくことにした。
私よりも、それの得意な別の者に頼んだ方がずっと良いもの……優れたものを作り出したり、多くのものを作り出せたり、楽しんで、喜んで作っているように思える人々に、私の作るべき分までも依頼してあやかる。
私はその経験を積むことはできなくなるが、それよりも私のしたい事を経験する時間は増えるのだ。
すべてのことを自分一人で賄えるのは、たしかに素晴らしいことではある。そのように生き方を選ぶ権利ももちろんある。
だが、それを選ぶよりも、他者を自分の人生に組み込んで一体となって生きる道を、私は選んだ。
料理好きで、料理が旨くて、料理を作っている間いかにも幸せそうな彼女たちの自慢の料理に舌鼓を打つことにして、私は「何もできない自分」に落ち込むのではなく、それは自分の選択だと、きっぱり切り捨てることにした。
移動が好きで、運転が上手く、混む道、近道、景色の良い道、あらゆる旅を仲間に体験させたくて運転手をしている彼のために、「無駄遣いする自分」をさげすむのでなく、それは自分の選択だと、しっかり納得してタクシーに乗り込むことにした。