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正直者の末路

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誰もが私のことを正直者と言った。
 だが、私は私のことを正直者と言ったことは一度もない。
 私は、正直者と呼ばれるにふさわしくない。
 屋敷と呼ぶにふさわしい私の家には、私のほかにもう一人、使用人が住んでいる。無口で無愛想で、面白みの無い女性だ。
 彼女のことを、名で呼んだことは無い。故意ではない、名を知らないわけでもない。ただ呼ぶ機会が無いだけだ。
「朝食が出来上がりました」
 床に臥せたままの私に、今日も彼女が暖かな食事を持ってきてくれた。
 時刻は七時を少しまわったあたりだろうか、気持ちの良さそうな陽光と、軽やかに飛ぶすずめの夫婦とが、眼前の庭で踊っている。
 今私の部屋には、日本家屋特有の大きな戸は開け放たれており、外界の風が直に吹き込んでくる。
「ありがとう」
 できれば私は私の体温に染められた布団を抜け出し、今すぐにでも外に出て、空を仰ぎたいと思う。なに、叶わぬ夢なんかではない。ただ今の私にはそのようなことをする勇気が無いだけだ。
「下がっていていいぞ、食べ終わったころにまた呼ぶから」
「はい」
 淡々とした口調で彼女は頭を下げると、静かに立ち上がり、部屋を出た。
 彼女は普段割烹着を着ている。それは以前私の母が着ていたものであり、私が彼女に作業着として与えたものだった。
 今の時代に割烹着だなんて、と思う。彼女は嫌だろうかと思う。なのに着させている私は、驚くほど自己中心的な人間に違いない。
 今日の献立は、和食であった。
 白飯にかぼちゃの味噌汁、こんぶの佃煮にきゅうりの浅漬け。どれも絶品である。
 小鳥のさえずりのみが響く小さな部屋で。布団から出ることなく一人食事をする。寂しいとは思わない。母が逝去してからは、ずっと一人だったから、もう慣れてしまった。
 きゅうりの浅漬けを、一つだけ残して、彼女を呼ぶ。タイミングを見計らい、彼女が開けたところで口に入れるのだ。ごちそうさま、と言う以外にありがとうを伝えるために、私が考え出した手段だ。もちろん、ただの独りよがりではある。
「ごちそうさま」
 膳と彼女の前で手を合わせ頭を垂れる。私は特に八百万の神を信仰していたり、古くからの教えに忠実になっているわけではない。ただ私がしたいことをしているだけなのだ。これもまた、独りよがりな習慣である。
作品名:正直者の末路 作家名:にぼし