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circulation【番外-バレンタインのお話】

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「ほら、バレンタインよ」

そう言って、デュナが差し出した試験管には、チョコレート色の丸い物体が五つ入っていた。
「えーと……これは……チョコなのか?」
首を傾げつつも慎重に受け取るスカイ。
落としたら爆発でもするのではないかというその警戒ぶりが、何故か当然のように思えてしまう。
「チョコだとは言ってないわ」
デュナにきっぱりと否定されて、スカイはほんの少し目を泳がせた。

じゃあ何だろう。私とフォルテは顔を見合わせる。
とりあえず、体にいいものだとは思えないが。
「いいから、食べてみなさい」
「い、いますぐ!?」
「もちろんよ」
「えーと、いやでも、こういう物は後からゆっくり……」
じりじりと、スカイが後ずさる。
額には、確実に目前に迫っている生命の危機への恐怖からか脂汗がにじんでいた。
「後になればなるほど、辛いわよ」
「何がだよ!!」
そのチョコレート色の小さな物体は、今も何か発酵のような活動を続けているのかもしれない。
「私のあげたチョコ(のような物体)は食べられないって言うつもり?」
デュナが詰め寄る。
「いやいや、その小声で言った部分がなければすぐ食べるって!!」
じりっと後ずさるスカイの後ろはもう壁だった。
「あら、そうなのかしら?」
「え」
壁に張り付くようにしているスカイに、顔を近づけてデュナが囁く。
「あんたが甘い物苦手だって、今ここでバラしてもいいのよ?」
チラとデュナの視線がフォルテに流れる。
視線を追いかけたスカイの表情がギシっと固まった。頬を冷たい汗が伝い落ちる。
私とフォルテの場所からでは、デュナの言葉は聞き取れなかったが、その動きでスカイが何を言われたのかが何となく分かった。
まったく。いつまでもくだらない意地を張るから、こういう時につけ込まれるんだよ……。

フォルテは、この日のために何日も前から準備をしていた。
お金をためて、ラッピングの準備をして、大量のチョコを買い込み。
巨大なクマのシルエットをした殺人的なサイズのチョコレートを作り上げ。
それを今、私の隣で大事そうに抱えている。
板チョコを、箱で3箱分使われたというそのクマは、フォルテが必死に抱えているところを見ても、相当重そうだ。
甘い物が好きな私でも、これを貰うとなると、素直に喜べるか分からない。

しかし、フォルテは違う。
フォルテは、自分が貰って嬉しいものを精一杯考えて、その結果、このクマを作ってきた。
つまり、今この瞬間も、スカイに喜んでもらえると信じて重いクマを抱えているのである。

当然、その気持ちはスカイにも伝わっていた。
そして彼は、こんな状況で、その期待を裏切るはずのない人物だった。
「くっ!」
スカイは小さくうめくと、意を決したように。いや、どちらかというとやけくそに、試験管の中のチョコのようなものを五つ一気に口に入れた。
デュナが素早く距離を取る。
これは、近いと危ないという事なのだろう。
私も倣って、フォルテの襟元を引き摺り数歩下がる。
「うっ……ぐ……」
スカイがその場に膝をつく。
「スカイ!」
フォルテが心配そうな声をあげる。
「五つ同時だと、ちょっと火力が強すぎるかもしれないわね……。まあ、実験としてはアリだけど」
メガネを輝かすデュナの表情は、いつもと変わらなかった。
とりあえず、スカイに命の危険はなさそうだ。と判断する。
「ラズ達、もうちょっと下がってなさい」
デュナの指示に従って、スカイから大分離れた位置に三人で集まる。
私達を背中に庇う形で立つデュナの周りに、大気の霊が数人顔を覗かせている。
どうやら、いつでも障壁が張れるよう、既に魔術の構成を完成させていたようだ。
ふと、今頃になって、チョコを屋外で渡そうと言い出したのはデュナだったなと思い出す。
「ごはっ」
スカイが荒く咳をする。
その口から黒い煙が立ち昇った。
「ごほごほっごほっ!」
次々と、咳と共に吐き出される黒い煙。
火薬の匂いが漂ってくる。
「なかなか時間がかかるわね……」
デュナが呟いたその時。
スカイが火を噴いた。

ごうっと力強い音を立てて、瞬間的に立ち上る火柱。
スカイの長い前髪にも火が着いたように見えたのは気のせいだろうか。
スカイが上を向いていたので、火柱はほぼ真上に上がり、こちらに被害はなかったが、デュナは一応障壁を発動させていた。
障壁を張り終え仕事を完了させた霊達が、ほくほくと彼女の精神力を食べて帰ってゆく。
ちなみに、こういった霊の姿を目に出来るのは、ごく一部、霊感があるとか言われる類の人間だけだったが、私はその少数派だった。
取り得の少ない私としては、唯一に近い能力だが、今のところ何の役にも立ってはいない。

「うおおおおおおお! 燃えてる!!」
火を吐き終えたスカイが、チリチリと焦げて短くなった前髪をつまんで嘆いている。
「火を吐くまでに大分時間がかかったわね。火力はまあ、五つであのくらい出せれば十分だけど」
ジャリジャリと砂の音をさせながら、高いヒールをものともせずデュナがスカイに歩み寄る。
「ちょ、ま、ねーちゃん、まだなんか出……」
苦しそうにデュナから顔を背けて、スカイがげぷっと小さな火の玉を吐いた。
「あら? 体内に残存できるわけないと思ったんだけど……。もう残ってないかしら?」
デュナにバシバシと力いっぱい背中を叩かれるスカイが何だか哀れだ。
「スカイ、もう大丈夫かな……」
心配そうにフォルテがこちらを見上げる。
「うん、行ってみようか」
二人でそろそろと近付いてみる。
「ええと、スカイ、回復要る?」
一応聞いてみる。外傷は無さそうだったが、体の中はどうなっていたのだろうか。
口の中は火傷したりしていないんだろうか。
「回復でさ、髪って戻るかな……」
「も、戻らないんじゃないかな……」
「そう……か……」
黒いクジラが、がっくりとうなだれた。
「口あけて、舌出して」
デュナに指示されたスカイが口を開く。
ついつい、三人で覗き込んでしまったが、なんともなさそうだ。
「はい、閉じていいわ。 これなら発動時間さえもうちょっと短縮できれば実用出来そうね」
そのままブツブツと何かを唱えながら、足早に部屋に帰って行くデュナ。
この調子では、数時間後には改良品を持ってスカイの前に現れかねないなぁと思いつつ、その背を見送った。

まだ座り込んだまま、焦げた前髪をいじっていたスカイの目の前に、フォルテがちょこんと座り込む。
「スカイ、どこもいたくない?」
「ああ、大丈夫だよ」
ニッコリといつもの笑顔でスカイが答える。その口端は黒く煤けていたが。
「ご飯食べたりもできる?」
「ああ、問題ない……よ……」
答えつつ、その質問の意図に気付いたらしいスカイの顔色が見る間に青くなる。
その視線は、フォルテの抱えるクマに突き刺さっていた。
「それ……さ……もしかして、全部チョコレート?」
「うん♪」
さっきはチョコじゃないと言われて流れた汗が、今度はチョコだと言われているにもかかわらず流れ落ちた。
「そっ……か……」
「スカイにあげるね。これ」
フォルテに差し出されたクマを、震える両手で受け取るスカイ。
「いつもありがとう、スカイ♪」