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式部の噂

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プシューーーッ



半泣きでもんもんと首を振っていたら、もうバス停に着いてしまった。

はぁ…。


…私は父さんに会ったことがない、でも母さんと父さんは法律的には夫婦だ。
いわゆる別居婚。
今のご時世そう珍しくないけど、新婚初日から17年間別居ってのはそうそうないと思う。
しかもその間彼女たちは一度も再会していないのだ。
それってなんか…意味あるの?

と、私は聞きたいけど聞けない。

母さんみたいにはなれない。


そもそも顔付きからして駄目である。
母は小さな顔に切長の瞳にすぅっととおった鼻。
品よくパーマをかけたショートの髪。
そして167センチの長身で細く引き締まった体をもつ。
見た目だけでも「あぁかっこいい…」だ。

おまけに大型トラックの免許をとっているかと思えば茶道では免許皆伝だったりする。

背筋をぴしっとしてサクサク歩く姿は、娘ながらもう…。


あぁ、それなのに。



私は汗をかきかきぺたんぺたんと歩いた。

なぜか私の足音は何を履いていようとぺたんぺたんなのだった。


風は全然吹かない。


…また涙が出そうになる。




あぁ、私ときたら…。


多分母のDNAは体が細いってところだけでみんな使いつくしちゃったんだ。

背は低いし鼻は丸いしほっぺもふくふく。

目は丸目で足も遅い。…おまけにしょっちゅう転ぶ。


勉強だけは母の教え通り頑張ったけど、運動音痴は無理でした。


それになんてったって泣き虫なのだ。


寒くて泣く。おじいさんがおばあさんとデートしてるの見て泣く。安田生命のCMで泣く。転んで泣く。バナナの筋がぶちぶちに剥けて泣く。らっきょう食べてまずくて泣く。


…そんな自分が情けなくてまた泣く。


あぁいやだ。

もういやだ。


私は涙と汗を拭きながらちらりと腕時計を見た。

…皮の本格使用の華奢な腕時計だ。

母さんはよく
「自分が愛す物なら例え直感的な愛でも、どんなに高くともどんなに安くとも胸をはって買いなさい。逆もまたしかり。どんなに高くともどんなに安くとも妥協したものは絶対買うな。」
と演説している。

だから私は中2から誕生日も高校合格祝いもその他全般なにか貰えるチャンス全て断って先月の誕生日にやっとこの時計を買ってもらったのだ。

愛。

愛です。


…この時計があれば、少しは勇気づけられる。


それに、父さんと会うって決まった日、母さんも言っていた。

「ある程度歳のいった男と会う時はね、最高の服より最高の時計つけてくといいわよ。男ってそんなもんだから。」

と。

よくわかんないけど母さんが言うならそうなんだろう。



母さんが言うことはいつもみんな正しい。
最初は変だと思っても、最後にはちゃんと正しいんだ。

子供のころからそうだったから、我ながらすっかり母に頼りきっていた。

でも今日はそんな母もいない…。


ぺたんぺたんぺたんぺたん…


目的地はまだ着かない。


(おかしいな…)

私は少し焦ってきていた。

確かにバス停からしばらく真っ直ぐ歩いたら緑屋っていう床屋があるからそこを右、って言われたのに…。

バス停からもう20分も歩いてる。

私は辺りをきょろきょろ見渡した。


(あ…)


緑の看板!!


私は意気揚々と右に曲がった。



そう、正真正銘の馬鹿だったのだ。

そこが緑の看板の「床屋 岡田」であることも知らず、本物の赤色の看板を掲げた「床屋 緑や」をとうに過ぎていたことにも気付かなかったのだから…。



作品名:式部の噂 作家名:川口暁