式部の噂
法さんは美しく歩く女の人だった。
サクリサクリ、正確に。
それは人の溢れる街中で、いやおうにも目立たせる歩き方だった。
分かるよね?
あの、法さん歩き。(と、僕は呼ぶ。)
特に目立つ風貌でもないのに、でも必ず皆一度は彼女を見てしまう。
そして慌てて目をそらし、もう一度こっそりと見る。
その時にはもう彼女はとっくに歩き去った後で、そこにはきらきらとした美しい静寂しか存在しないんだ。
そこで彼等はやっと、はたと彼女の強烈な個性に気付く。
法さんはとても足が速い。
文字通り、魚の様にするすると、游ぐ様に僕の前を進んで行く。
けれども僕はちゃんと彼女に着いて行けた。
僕も足は速い方だからね。もちろん理由はそれだけではなかったけれど。
20歳になりたての若僧は考えた。
自分は一体何処に向かっているのだろうと。
果たしてこの女性に着いていっていいのか?
悪くはないだろう。
でも何かがぐるりと変わってしまう気がする。
変化は嫌いじゃない。
でもあくまでそれは環境の話だった。
もっと根本的な変化を受け入れるのは、ひどく体力を必要とする。
僕はそれがとても苦手だった。出来れば避けたいことの一つだった。
自分の人生が自分の知らない間に勝手に方向を変えられているみたいで、どうしても好きになれなかった。
今ならわかる。自分の人生は自分のものだけではないことに。
だから大切にしなくてはならないんだと。
それは良しにしろ悪しにしろ、どんな些細なことにしろ、ましてやそれを受けた本人が気付かないほどのことにしろ、でも絶対に確実なことだ。
人生は自分のものじゃない。
何かのためにある。
何かのためじゃないと、人は人として生きていけない。
それはもちろん特定の人間とは限らない。
もしかして犬かもしれないし、全人類かもしれないし、ネジなんてことも有り得る。
とりあえずその頃の僕にはまだそんなものがなかった。
僕の世界は僕のものだった。
だからさも人生をわかりきった人間の様に、「しっかりしろ!お前の人生はお前のもなんだから。」とよく自分を叱りつけていた。
―…おかしいね、人生をわかりきった人間なんてこの世に存在しないのに。
あぁ、何も悪いことじゃない。確かに選択的な意味で言ったら人生は自分のものだ。ただ『何のために』ということが必要なんだ。ゾンビにならないためには。
要するに、そう、僕はゾンビだったんだ。