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虹と蜜柑と疫病神

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 しゃがんで、足元に擦り寄ってくる子猫に触る。順之輔が好きなら離れなければ、この家から出て行かなければと思うのに、いざそうしようと思うとどうしても足が動かない。
 思い出したことがある。なごは今までずっとこうやって、人に泣きついて縋りついてきた。そしてなごに気に入られた人間には、いくらも経たないうちに例外なく悪いことが起きて、皆ごめんねと謝りながらなごを置いていってしまうのだ。
 にぃ、と小さな鳴いた子猫を抱いて、俯く。
 ――ばさっ、と後ろから何か砂のようなものを掛けられて、なごはびっくりして振り返った。
「……どうして……っ!」
「と、よ……さん……?」
「どうして順兄さまに憑いたのよ!?」
 目の前には小さなつぼを持ったとよはなごを見下ろしていて、目いっぱいに涙を溜めたその様子に、ぎゅっと胸が詰まった。
 彼女は目が見えないはずなのに、とは、なごは思わなかった。彼女の目が本当は見えていることを、なごは知っていたのだ。彼女の目が、自分のような存在の正体を正確に捉えてしまうのだということも。
「あんたのせいで順兄さまは村中の笑い者よ! どうしてくれるの!? あんな……っ!!」
「え……?」
「傷物の所に入り婿だなんてどんなに間抜けな男だろうって、村中が噂してるそうね。あんたのせいよ! あんたが順兄さまに憑いたりするから……っ!!」
 上ずった悲鳴のような声でぶつけられる非難――その奥にある悲しみ、悔しさと、やりきれない思い。
 とよはそうしている間にも、なごに向かって塩をまき続ける。彼女はなごが疫病神だと知っているのだ。
「あんたのせいよ……あんたのせいよ、この疫病神っ!」
 一体何度自分で噛み締めた言葉だろう。
 絶望的な気持ちになりながら、口の中に広がる塩の味が惨めで、なごは子猫をぎゅっと抱き締めた。



「精が出ますね」
 畦道から声を掛けられ、穂を束ねていた順之輔は汗をぬぐいながら声の主を見上げた。
 日の光を背に仰いだ男は弁柄色の上等な着物を着ていたが、笠をかぶっているせいか顔はよく見えない。しかし笠の端を持つ手は皺だらけだったから、たぶん年寄りなのだろう。
「……旅の方ですか?」
「いいえ。ちょっとそのあたりを散歩しているだけですよ」
 旅人でないと言うわりに、肩に担いだ荷物が妙に順之輔の目を引いた。この男をどこかで見た気がするのだが、気のせいだっただろうか。
 しかし不躾に問いかけるわけにもいかず、順之輔は手ぬぐいで汗をぬぐうと、そうですかとだけ答える。

「とんだ騒ぎになってしまいましたね」

 面白がるような声が妙に耳障りで、順之輔は別の山に伸ばしかけた手を止めた。
「“石原のお人好し四男坊は、狂人の妹の面倒を見させられて、良い仲の娘っ子一人いやしない。挙句に傷物の入り婿にさせられるなんてなぁ。気が優しいだけに気の毒な話だよ”」
 投げかけられた言葉に思わず睨むような目で相手を見ると、男は笠を少し上げて顔を見せ、順之輔に微笑んでみせる。
 眼鏡をかけた男は予想通り年老いていたけれど、顔に刻まれた皺ほど体の方は老いていないらしい。妙に彫りの深い面立ちをした、見慣れない顔の老人だった。
「小作人に慕われているんですね」
「何なんですかアンタ」
 にっこりと細められた男の目からは、何もうかがえない。
 順之輔は途中で止めていた手を伸ばし、作業を再開した。雲行きが怪しいのだ。降りだす前に、せめてここにある分だけでも片付けてしまわないと。
「先日、子供と一緒にいましたね?」
 しかし男は無視を決め込んだ順之輔にかまわず、言葉を重ねる。
「あの子は?」
「なんでアンタにそんなこと話さなきゃならんのです」
「あの子の能力(ちから)は強すぎます」
 ざぁ、とひときわ強い風が吹いて、順之輔の腕からわずかに穂がこぼれた。
「あなたはあの子の側にいない方がいい」
「……なんでアンタにそんなことを言われなきゃならんのだ」
「“狂人の妹”を見ていれば分かるでしょう。皆の中で生きていきていくのに、皆に馴染めない力があるなら、そんなもの持たない方がいい」
「とよは狂ってるわけじゃない、ただ俺たちに見えないものが見えるだけで――っ!」
 つい怒鳴ってから、まずかったと順之輔は口をつぐんだ。顔を合わせていきなりこんな立ち入ったことを言う老人など、まともに相手をする必要もないのに。
 こぼれた穂を拾い集めて、ひとつに括る。
「私はあの子を知っています」
「じゃ、なごが最初泥だらけで転がっていたのはアンタのせいですか」
「あの子が自分で逃げてきただけでしょう。私はあの子を追ってきたわけじゃない」
「へぇえ?」
 まとめたものを担いで、ひさしのある場所に置きなおす。急に雨が降っても一応は大丈夫だろうが、さっさと俵にしてしまわないと。
「……噂の、傷物の嫁とは?」
 ぽつりと、順之輔の足元に一滴の雨が落ちた。
「……長く付き合っていた許婚に捨てられたそうですよ。それが何です?」
「あなたはそれで構わないんですか?」
「構うも何もありゃしません。第一、恋人がいたってことは他人(ひと)を大事に思える娘さんだってことでしょう? 今は別れたと言うなら信じるしかないし、別れたのなら俺に文句はありませんよ……あんたもどっかの軒に入ったらどうです。お若くないんだから、そのままじゃ風邪をひく」
 降り始めた雨は地面に染み込み、土が少しずつ濃い色に変わっていく。
 振り返って付け加えられた順之輔の言葉に、男は少し驚いたように目を見開いたが、表情を綻ばせると首を横に振った。
 それ以上構う気にもならず、順之輔は何も言わずに屋敷へ戻ろうとその場に背を向けた。

 男は順之輔の後姿をしばらく眺めていたが、だんだん強くなってきた雨に笠を深くかぶりなおすと、雨宿りに手ごろな木を探すべく畦道を歩き出した。
「……彼がああだから妹さんも……あの子も、というわけか……」
 呟いた男の口元が歪み、小さな溜息が漏れる。
「……意地悪で言ったんじゃあ、ないんですけどね」
 いよいよ強くなってきた雨に男は走り出すと、道沿いの林の奥へ消えた。



「……順兄さまだけだったのよ。私におかしな物が見えても、少しも嫌がらなかったのは」
「とよさん……」
「お願いよ」
 降り注ぐ雨の中で、汚れるのも構わず地面に座りこんだとよは、両手を放り出して俯いたまま、呟くように訴える。
「お願い……」
 泣いているのか彼女の声は細かく震えていて、そんな彼女の姿が辛くて、少しでも温めてやりたくてなごは手を伸ばした。
 触れる直前のところで逆に手を伸ばされ、拒まれるかと思って肩を強張らせる。しかし予想に反して伸ばした手を取られて、なごは息を飲んだ。
「……幸せになってほしいのよ……っ!」
 触れたとよの頬から熱いものが指先を伝って、なごの目からもとめどなく涙があふれる。

「……ごめんなさい……」

 どうしても順之輔と離れたくない自分が嫌で、身を切られるような辛さが自分の我侭だと思うと、苦しくて悲しくて仕方がなかった。
作品名:虹と蜜柑と疫病神 作家名:葵悠希