虹と蜜柑と疫病神
【序】
婿入りの話がある、と。
「……は?」
なんだか落ち着かない気分で両親の前に座った石原順之輔(よりのすけ)は、その言葉にしばらくの間ぽかんとしていた。
地主の四男坊として生れ育ち、跡継ぎというよりはむしろ労働力としてあてにされてきたらしいこれまでの人生を振り返ってみる。たしかに、やれ嫁だの婿だのという話が不自然なほど順之輔は若いわけではなかったけれど、だからといって結婚が自然なことかといえば、それも少し違う気がした。なんといっても順之輔は四男だし、必要のない結婚は負担でしかないだろうに。
どうにも腑に落ちなくてそのままの視線で両親を盗み見るが、二人は順之助の疑問に気づいていないらしい様子でにこにこ笑っていた。ほんの少しだけ、家を追い出されるような悪さを自分はしただろうかと考えたのだが、二人の表情を見るにその線も薄い。
持参金はどのくらい要りようかしらねぇと話しだした母親に、順之輔は思わず手を上げてそれを制す。相場はどのくらいですかね母上――っていやいや、そうじゃなくて。
相手は商家の一人娘で、気立ての優しい器量良しとのこと。
――聞かされたその話が本当だとしたら、どうして自分にそんな話が舞い込んでくるのかが、順之輔には分からないのだが。
「お話をいただいた時にねぇ、お前が一番いい年頃だったのよ」
「……そう、ですか……」
嬉しそうな笑顔でそう続けた母親に、それ以上言い返すのも気が引けて順之輔は黙った。
どちらにせよ否も応もない。いい仲の娘もいないのだから反抗する理由もなく、反抗したいと思わないのに渋ってみせる事もないだろう。
当主の重責を負うわりに穏やかな目をしている順之輔の父は、乗り気らしくはしゃいでみせる妻に何を言うでもなく、静かにその様子を眺めていた。目が合って、軽く微笑む父親に、どうしてか順之輔の頬もわずかに緩む。
順之輔は軽く頭を下げると、分かりましたと返事をして、そのまま両親の部屋を出た。
結婚と言われてなんだかよく分からない気分になった順之輔は、その足で屋敷の門をくぐり、表の参道に出た。さっそく声を掛けられて、挨拶で返す。
「坊ちゃーん! ぼんやり歩いて、溝に落っこちないで下せぇよー!」
「爺さんこそーっ! 若くないんだから、無理して重い荷を運ばんで下さいよー!? 腰やられますからねー!!」
いつも交わされる軽口に言い返すと、順之輔は腕を組んで考える姿勢をとった。
一番上の兄は、数年前に少し気の強い嫁をもらったけれど、それなりに幸せそうにしている。加えて今年の暮れには三人目の子供が生まれる兄夫婦は、きちんと跡取りとしての役割を果たしているのだろう。
はたして自分は婿に入った先で同じことができるだろうかと、考えても仕方がないことをちょっとだけ考える。
ふと、自分がこの家にいなくなったら、妹はどうなるのだろうと順之輔は思った。嫁の貰い手なんかないのだ、あれの方こそきちんと世話をしてやらないと。
山の上の神社に向かっていた順之輔は、ふと、立ち止まって空を見上げた。
季節がら高くなった空には薄く透けるような雲が広がっていて、大きく息を吸い込む。林からは緑の匂いが流れてきて、腐葉土の少し湿ったにおいが順之輔の胸に広がった。
目を細め、伸びをしたまま空から視線を逸らす。
「……ん?」
不意に、見慣れたはずの木が目に付いて、順之輔はそちらに顔を向けた。道の端に沿って植えてある木々から、はみ出した格好で植わっているひときわ大きなそれ――の、根元。
「……おい……っ!!」
それが何なのかを認めた瞬間、順之輔はその影に走り寄った。通行人が誰も足を止めないのが不思議で仕方がない。
一人の子供が横たわっているように見えたのだ。