ぼくらはいつも優等生
「・・・痛い・・・」
「やっぱり小石川さんか」
「どうして君しかいないの・・・部員ひとりもいないのに君がいるってびっくりだよ」
「今ちょっと出払ってんすよ。もうすぐ帰ってくるんじゃねーすか」
この学校の倫理社会の教師であり、自由すぎる軽音部の顧問でもある小石川誠がため息をつく。190センチの長身にとても三十路を過ぎているようには見えない童顔。
実はこの顧問も毎日来るわけではない。
正規メンバーがひとりもいないことなど、「いつものこと」でもあるのだが。
「あとドアどうなってるわけ」
「それは・・・」
「やっほーただいまー!うわーまこっちゃん久々じゃね!?」
「あいつがやりました」
完全なまでの濡れ衣である。
持っていたビニール袋を置いて首を傾げる、そのあたり空気の読めない部長は鈍い。
「ヒロ」
「ん?」
「お前濡れ衣着せられてるぞ」
「えっ嘘!?」
「ちっ」
悪どい顔で舌打ちした遼には目もくれず、携帯の買い物メモと袋の中身を照らし合わせる2人。
夕方の散らかった部室には何とも不似合いな、所帯じみた光景である。
「あ、トマト買ってなくない?」
「トマトは義兄さんが買ったから買わなくていいとメールが入っていた」
「・・・この組み合わせだとゆーの家の今日のご飯何なの」
「今日は俺じゃないからな、わからん」
ばたん、ドアの外れる音がした。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
一瞬訪れる完膚なきまでの沈黙。
「・・・あ」
「うわ」
「まじか」
「やばくね」
「直るのか」
「ゆーそこじゃない」
うっかり忘れてドアノブをひねったが最後、いとも簡単にドアが外れた。
廊下の壁に立てかけて何もなかったのように部室に入ってくる晴樹、その態度に倣ったのか全員が何事もなかったかのような顔をした。
「・・・さーて僕は仕事に戻ろうかなぁ・・・」
「あれ結局まこっちゃんは何しに来たの」
KYの本領発揮、である。
「部活やってるかなと思って見にきた結果がこれだよ!」
「えーでも今日やったよ?1回合わせたし」
「来週の新歓ライブ、忘れてないよね」
ここ、市井西高校では新年度、1年生のための部活紹介の一環として文化部連合が主催する新歓ライブなるものがある。
室内楽部や合唱部などの音楽系部活はもちろん、茶道部や華道部、書道部などのパフォーマンスも行われる。
文化部においては文化祭と同じくらい大きなステージ発表の場だ。
新入部員を獲得するきっかけになることもあり、そういう面ではこちらの方が気合いが入る、という説もあるが。
「忘れてないっす!」
「ならいいけど。それじゃ7時半には帰ってよ?」
「あいあいさー!」
顧問が去ったあと、通気性が驚くほど変わった出入り口に初めて突っ込んだのは遼だった。
「さっきの迫の顔・・・!!」
叩いた机ががたがたと音を立てる。
「あの、何だ、ドアなんてなかった、みたいな、顔が、もう・・・!」
「笑いすぎだろ!ああするしかなかったんだよ!」
「やべ、横隔膜攣る、」
「どんだけだよ!?」
遼と晴樹のやり取りも何でもないことのように、おもむろに廊下に出た結弦がドアノブを持ってがこん、と押し込む。
「ひとまずこれでいいだろ」
「「!?」」
「納屋のドアよく外れるんだっけ?そのうち用務のおっちゃんに頼めばいーよねー」
「お前らそんなんで・・・あー・・・そうだったヒロには言うだけ無駄だった」
「・・・まこっさん経由でバレる前に帰っか」
「だな」
片付けはやたらと早い。
コードを抜いた楽器をケースにしまい、アンプを部屋の隅まで転がす。
散らかるごみを目についたものだけごみ箱に入れれば完了だ。
薄っぺらいかばんとギターケースを持って窓を閉め、閉まらないが申し訳程度に鍵を差し込む。
この鍵を職員室に返せばそれで終わり。
・・・昼休みや更には授業中までここにいることがあるのだからあまり返却することはないのだが。
「俺の2点の小テストってさ、やっぱ再テあんのかね」
「当たり前だろ」
「・・・名前書けただけいいというか」
「・・・・・お前たまにヒロに対してさらっと毒吐くよな」
「まじであいつのこと好きなのか」
「黙秘権を行使する」
だらだらと駐輪場から自転車を引いて歩く。
それぞれの方向に別れてしまう彼らにとっては、校門から300メートルの横断歩道までが4人で通る帰り道だ。
「それじゃあまた明日!ゆーはあとでメールすんねー」
「了解」
「お前明日再テ頑張れよー」
「俺やんねぇから政経の宿題やってきて見せろよー」
「やだよこの他力本願!つか俺がやっても答え合ってないの知ってんじゃん!」
別れるときは意外とあっさりしている。
方向の違うそれぞれが曲がっていき、そしてその場所には先程までの喧騒はすっかり残らなかった。
作品名:ぼくらはいつも優等生 作家名:蜜井