Childlike wonder[Episode1]
だが、手数があまりにも多すぎる。右と思えば左、上と思えば下。体勢が悪かろうが、踏み込みが甘かろうが、とにかく手を出す。
普通、熟練者は有効打に成り得ない攻撃など最初から放とうとはしない。当然、受ける側もその前提で回避行動を取る。
だが、アッシュは我流であるが故に、そういう事など気にせずとにかく手を出す。ヴィクトワールは完全に自分のペースを崩されていた。
「よーいしょっ!」
ナターリヤが、指を広げた手を突き出す。わずかに光を反射して、ワイヤが飛んだ。
「!」
アッシュに気を取られていたヴィクトワールは、わずかに反応が遅れる。体に羽が触れたような感触が様々な場所に伝わってゆく。
「マイケル!」
ナターリヤが叫ぶと同時に、マイケルは両手をぐっと握って、一気に引いた。
「なっ……!?」
一瞬にして、ヴィクトワールの体にワイヤが食い込んで縛りつけた。服や皮膚にワイヤが食い込み、完全に身動きが取れない状態になってしまう。
「よしっ!」
アッシュはそれを見て、思わずガッツポーズを取る。
「ワタシのワイヤは切れないわヨ! 降参しなさい!」
ナターリヤが悪戯に微笑む。
「……ふふっ」
ところが。
ヴィクトワールは笑っていた。まるで、面白い冗談でも聞いたかのような、明るい笑いだった。
「思ったよりやるではないか」
「……?」
……あまりに不気味だ。
三人は動けなかった。
この状態でなぜ、そんなことを言うのだろうと。
「……不思議な能力を持っているのは、お前たちだけではない」
光があふれる。
そう、ヴィクトワールを中心に淡く白い光が、辺りを染めてゆく。
「な……っ!」
アッシュはその光景に思わず声をもらす。まるでその姿は、天使のように見えたからだ。白い光は翼を思わせ、それがあふれてゆく様は、まるで天使の羽が振り注ぐのを連想させた。
「"気高き誓い……円卓の騎士"」
ヴィクトワールが呟くと、光が彼女を中心に渦巻いてゆく。まるで竜巻でも起こったかのようにごうとうねり、次の瞬間、彼女が立つ直径一メートルほどの空間が、揺れた。淡い光が彼女を包んでゆく。
「……!」
彼女を縛ったワイヤが、ほどけてゆく。
いや、ワイヤが消えた。まるで綿菓子が口の中で溶けてゆくように。
空気のように霧散し、完全に消えた。
「どういうこと……?」
ナターリヤがため息を吐くように呟く。それもそうだ、単分子ワイヤがあっさりと断ち切られるなど、あり得ない。
「……ふふ、甘く見ていたか」
ヴィクトワールが呟く。それはアッシュたちに聞かせるためではなく、ただ思ったことを口にした、ただそれだけの言葉だった。
「今日はこれで終わりにしよう。だが忘れるな。アダム様に手を出す者は、我が剣の錆になるということを……」
ヴィクトワールが、飛んだ。だんと地面を蹴ったと思うと、ベランダから飛び出したのだ。
「!」
「おい!? ここ百階だぞ!?」
三人は反応するが、すでに遅い。ベランダから下を見下ろして、ヴィクトワールの姿を探す。彼女はすでに建物から五十メートルほど離れ、ゆっくりと落ちていっていた。その体は淡い光に包まれ、背中にはまるで翼のような光が伸びており、風をとらえながらゆっくりと降りてゆく。
「今回は勝ちを譲ろう。だが、次もうまくいくと思うな……」
ヴィクトワールはどこか楽しそうに微笑んで、独りごちていた……。
「ありがとう、子供たち。……あまり役に立てなくてごめん」
次の日の朝。
いつもの笑顔で、レス・レスがリビングへと姿を表す。テレビを見ていた五人は、それにゆっくりと振り向いた。
「別にいいヨ。レス・レスの力は無機物か幼い生命体にしか効果が無いし、戦えないの知ってるし」
ナターリヤのフォローのようでフォローになっていない言葉に、レス・レスは苦笑する。
「しかし、ヴィクトワールとやらの強さには参った」
バーニィが頭を掻きながら言うのに、QJが頷く。
「次は絶対負けねぇよ」
アッシュがすねたように言ってから、不意に思い出したように続ける。
「そういえばレス・レス。"賢者の石"とか、研究書類とかって、何のこと?」
「そういえば俺らも知らねぇ」
「うちにも教えてぇな」
バーニィとQJも、アッシュの言葉に反応してレス・レスに視線を向ける。
「……うん、いつかは話さなければいけないとは思ってたから。えぇと、僕の家系は結構古くて、五百年ほど遡る。クリスチャン・ローゼンクロイツというカルトのカリスマ的な人物の子供――歴史上では子供がいない事になってるんで、非公式な子供みたいだけど。とにかくそこに行き当たる」
真剣な子供たちに向かって、レス・レスはゆっくりと、しかしまじめな口調で続ける。口を挟めるような空気ではなかった。
「彼は西洋魔術と錬金術に長けていて、様々な研究を続けていた。その中で彼は、万物の源ともいえる"賢者の石"と呼ばれる霊薬を作る事に成功する。さらに彼はそれを自らの体に取り込む事で、この"聖なる導き"と呼ばれる、万物の構造を変える力を得る事に成功した。それで、代々子孫が"賢者の石"とその研究書類を受け継ぎ、自らもその能力を得てきた。そういうわけで、僕もその力を得た、というわけ」
子供たちがなるほど、と頷いてみせる。
だが、ナターリヤだけがどこか悲しい目で、静かにうつむいていた。
「――けど、三年前に"賢者の石"の残りと、研究書類全てがアダムに奪われたんだ。だから、僕はそれを受け継ぐ者として、アダムを倒してそれを取り返さなきゃならない」
レス・レスはできるだけ明るい顔で話そうとしているのだが、眉をよせて少し辛そうな表情を見せる。
「もちろんそれだけじゃなく、街の平和をおびやかす彼の行いを見捨てるわけにもいかない。……でも、実はそれだけじゃないんだ。全てが奪われた夜に、アダムは僕の一番大切なものも奪ったんだ。それは――」
そこで、レス・レスは口を閉じる。開きかけてまた閉じる、というのを三度ほどしてから。眉根を寄せたままで。
レス・レスはやっと次の言葉を綴った。
「僕の妻・ジュリエッタと、七歳になったばかりの息子・トマスを……僕の目の前で殺したんだ」
作品名:Childlike wonder[Episode1] 作家名:勇魚