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そこにあいつはいた。

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 俺の緊張などどこ吹く風といった様子の飯田に小さく頷き返し、覚悟を決めて襖を開けようと手を差し伸べたものの、伸ばした右手が微かに震えているのが分かり、一瞬躊躇して動きを止める。
 二、三度大きく深呼吸してから、再び手を差し伸べようとした、その時。
「いるね」
 背後から突然響いてきた低い声に、心臓が口から飛び出すかと思った。
 放出される寸前の叫びを無理矢理喉の奥に押し込め、勢いよく振り返って飯田を見る。
「い、いるって……」
「生物以外の存在が」
 そう言って飯田は、くっきりと陰影の施された頬をにいっと引き上げた。
「ただ、今襖開けたら消えちゃうと思うよ。そういうのって、多分光に弱いから」
「……光に?」
 飯田は頷くと、立ち竦む俺をやんわりと押しのけて襖にピッタリと寄り添った。
「動物霊じゃないね、やっぱり。人のかたち……それも、割と小さい感じ」
 口を噤んで俺を横目で見ると、ほうれい線をくっきりと際だたせ、一音一音やけにはっきり発音しながら地を這うような声を絞り出す。
「地縛霊」
 その言葉が耳朶を掠めた瞬間、髪は勿論すね毛から眉毛まで、体中のありとあらゆる体毛がいっせいに逆立ち、頭頂目がけて寒気が一気に駆け上がった。
「……にしては、マイナスなエネルギーを感じないよね」
「……え?」
「草薙さんの手首から感じたのとやっぱり同じだ。この……何なのかは分からないけど、霊だか妖怪だかは、草薙さんに危害を加えるようなことは多分ないと思うよ」
 かっちかちだった筋肉から一気に力が抜け、腹の底に溜まっていた空気を残らず吐き出して、飯田を睨み付けて思わず文句を言いかけたが、自分の立場を思い出し慌てて口を噤む。
 そんな俺の内心など知る由もなく、飯田は襖に耳をつけて目を閉じた。
「何か言いたいことでもあるのかなあ。マイナスじゃないんだけど、働きかけてこようとする意志みたいなものを感じるよ。まあ、こうやって姿見せる場合ってたいていそうなんだけどね」
 独り言のように呟いてから、落ちくぼんだ目を開いて反応をうかがうように俺を見る。
 悪霊や妖怪変化でなさそうなので幾分ほっとした俺は、そんな飯田に少々大胆な提案を試みることにした。
「……電気消したら見えるかな」
「え?」
「姿が見えれば、それが何なのか分かるよな」
「まあ、逃げちゃわなければ、ある程度は……」
「見てくれねえか?」
 両手を組み合わせてつぶらな瞳を可能な限りキラキラさせながら飯田を見上げる。
「危険はないって分かってても、気持ち悪いもんは気持ち悪いだろ。できるだけはっきりさせてえんだ……お願い!」
「うーん……」
 飯田は考え込むように腕組みをして首をひねった。
「やってみてもいいけど……ものによっては、僕について来ちゃう可能性もなくはないんだよね。今、子ども小さいし、怪奇現象とか夜中に起きて目覚ましちゃってもまずいしな……僕はいいんだけど、奥さんが怒る」
「そうならないために魔除けに十万かけたんだろ。大丈夫だよ!」
「でもなあ、万が一ってこともあるし、何か奥さんを納得させられる材料がないと……」
 呟いてから、落ちくぼんだその目をギョロッと光らせて、飯田は俺を見た。
「奥さん、今とてもじゃないけど弁当作る余裕ないんだよね」
「……うん?」
「毎日買い弁するにしても財政状況厳しいから、できる限り自分で弁当作ってるんだけど……結構大変なんだよね、これが」
 飯田の言わんとしていることがわかった俺は、激しいヘッドバンギングで力の限り肯定を表現してみせる。
「分かった分かった! 明日昼飯奢るよ」
「……明日?」
 そんな俺を見下ろしながら、飯田は狡猾な狐のようににやりと口の端を引き上げた。
「じゃあ、……明後日も」
 飯田は無言のままじいっと俺を見つめて動かない。
 こいつこんなに小狡いやつだったのかと飯田の新たな一面を発見した気がしたが、当然のことながらそんなこと知る必要もないし、知って得なことなど何一つない。
 結局俺は、明日明後日の昼飯の他に、もし万が一飯田にこの霊だか妖怪だかがついていった場合は、それが飯田の家に存在する限り昼飯を奢り続ける約束をさせられたのだった。