刃
人気の無い集落に雪が降る。その“雪”は静かに積もり、集落を白く染めていく。
いや、雪の筈が無い。この星では雪が降らない。
降っているのは灰。集落の遥か遠方で、カムイ軍の攻撃によって起きた核爆発から風に乗って運ばれてくる死の灰だ。
「みんな逃げたのかな…」
その灰の降る中に立つ少女は、ぽつりと呟く。
――バカだ……
自分を窘める。
ここの住民が、『この灰には放射能がふくまれている』だなんて“科学的”な事を知っている訳が無い。降って来たとしても、珍しい物を見るような歓喜の気持ちで外を飛び回るに違いない。それで知らないうちに毒されて死ぬ。それが普通。
でもこの臭いは……
少女は、死の灰からの放射能等には気も留めず、集落の門をくぐった。
――殺そう。
そう自分に言い聞かす。
1.
「ボクの心を勝手に見るな」
飛行機械の中で、マキリはもう一度釘を刺した。
ここに来るまでに何度も言った筈なのに。はっきり言って不快だ。だが、目の前にいる軍服で眼鏡のやたらと胸のでかいこの女は、面白そうに口元を持ち上げる。
「ごめんなさい、私の悪い癖で……」
反省の色の無い口調での陳謝。
女は所謂、テレパシー能力者といった類いの者だ。その能力がキャタライザーによる物なのか、それ以外の物かは解らないが。
「何を見た」
マキリは、その身体にボディーアーマーを取り付けながら、女に問うた。
「不信、不安……。それと恐怖」
手を止め、女を睨みつける。
「恐怖?」
「そう、あなたはそれを感じている」
「バカバカしい……」
目線を、女から窓の外に移す。
「おかしな事じゃないわ、感情は全て繋がっているの。今のあなたみたいに……」
「あんたいつからカウンセラーになったの?」
「……そうね。でも気をつけなさい。不信は不安へ、不安は恐怖へ、恐怖は……」
「恐怖は?」
「あなた自身で悟りなさい」
女は、おかしな程優しい顔でマキリにそう言った。
「降下地点です」
飛行機械の操縦手の声が、会話の時間の終わりを告げる。
これからは戦いの時間だ。
2.
カムイ軍の包囲網をかい潜るのに三日。存在を覚られないように追跡を巻くのに二日。東亜連邦に捕まって一日。
そして七日目の今日、マキリは“鬼”と戦う事になった。
“鬼”は、この集落のどこかに潜伏している。それを見つけ出し、倒すのが彼女の任務だ。
高度三千メートルの飛行機械から単身降下。目標地点の1キロメートル手前に着地。地面には足跡一つ付けず、風のように翔ける。
いにしえから、世には“闇”という物が存在する。人ならざる力をその身に宿し、戦を生業とする影の民が。
人は彼らを“人外”と呼び、恐れた。
しかし奴らは…、カムイの者達は影の民達を人外とは呼ばなかった。
“キャタライザー”。
奴らは民をそう呼び、狩った。
もちろん民達も抵抗はした。
たが、それにも限界がある。強大な破壊力で迫る機械の軍団に、民達は次々に滅ぼされた。
それでも彼らの中には、一筋の希望があった。
――“翼の民”ならば……
人外の民の中でも、優れた力を持つ彼等なら……。
翼の民は頭に立って戦った。数多の犠牲を払い、幾つもの同胞の死を乗り越えながら。
ついに、最後の戦が起きた。
戦った。全力を以って。
その結果、“翼の民”のたった数十の戦士が、数千数万のカムイ軍の進撃を四十日四十夜の間食い止めたのだ。
だが、その力も遂には尽きた。
大人達は殺され、子供達は連れ去られた。
ただ一人の少女を残して。
彼女は、集落の中に溢れる血の臭いに顔をしかめながら、臭いの元を探して歩いた。
集落そのものに損害は出ていないが、生存者は一人もいない。途中で幾つもの死体を見たが、どれも大きな獣に引き裂かれたかのような物ばかりで、血痕も古い乾いた物だ。
直感的に覚る。
――喰ったな……?
突然、空気に漂う真新しい血の臭い。すかさず翔ける。臭いを追って元をたどる。
臭いは、集落唯一の教会の中から溢れていた。
教会の扉を開く。
中は暗く、強化視覚が無ければ一メートル先も見えない。だが、そんな物も彼女には関係ない。
聖堂の中を歩んで進み、やがて見つける。海のような血溜まり。そして兵士の死体。だが、この死体は変だ。
外にある死体とは違って、どれも身体を一太刀で両断されている。その切り口は余りにも滑らかで、既存のどのような凶器のものとも似ていない。
知っていると言えば唯一。
それにこの戦闘服は……
マキリは腕を構え、聖堂の中をさらに進んでいく。
そして出会った。
聖堂の最奥部、祭壇の後ろに立つ、聖人とその十字架の偶像。その上に佇む“それ”は、正に鬼の姿そのものだった。
全身の筋肉は山のように隆起し、皮膚は赤茶色。口は耳まで裂け、目は赤く血走っている。両手は赤く染まり、左手には息の絶えた兵士が、まるでくたびれたヌイグルミのように掴まれていた。
「ぎ……」
マキリに気付いた鬼は、一瞬呻くような声を上げて、左手の“ヌイグルミ”を彼女に投げ付けた。彼女は身を翻しヌイグルミを避ける。ヌイグルミは、聖堂の床にたたき付けられ、その中身をぶちまけた。
その瞬間、鬼が偶像から跳ぶ。音より早い一撃。
だが、マキリの身体はそれに反応、防御。鬼の爪が、彼女の前腕に付けられたプロテクターに食い込み火花を散らす。
鬼は、彼女の身体を聖堂の天井まで弾き飛ばし、外に飛び出した。
「くっ!」
宙を舞うマキリは、空中で身体を翻して天井に足を付け、右手の指をモルタルに食い込ませて天井に張り付く。歯を食いしばる。鬼の姿はもうない。
「こちら、マキリ。鬼と接触した。それと、兵士の死体が8つ」
「マキリ、その死体はカムイ軍の強化人間部隊よ。鬼は?」
「逃走した」
「急いで。こちらに接近する機影があるわ」
「……了解」
マキリは天井から床に降り、ザックの中からゴーグルを取り出した。ゴーグルは、レンズに光点を映し出す。その光点は、先程鬼に取り付けた発信機の位置を示している。
一歩、教会の聖堂を出る。
――恐怖は……?
その答えが、急に知りたくなった。
3.
世界を救おうとか、誰かを助けようだとか、そんな思いなど微塵も無かった。ただ、一族の仇が討ちたかった。
いや、仇と言うのも恐らくは違う。たぶん、知りたかったのだろう。
なぜ自分の一族が迫害され、虐殺され、滅ぼされたのか。
なぜ?なぜ?なぜ?
考えても解らない。解らないから怖い。怖いから、憎む。
カムイめ、カムイめ、カムイめ!
戦う前から、あの女に言われた言葉の答えなど解っていた。
――不信は不安へ、不安は恐怖へ、恐怖は、憎しみへかわる…。
なら憎しみは…?
ゴーグルに映される光点を手掛かりに、鬼に追い付いく。
鬼も、凄まじい速さで翔けるが、翼の民であるマキリが追いつけぬ道理はない。
虚空に、人外の力を以ってしてクナイを形成。射出。クナイは、各々が自在に向きを変え、確実に鬼の脚を突き刺す。
だが、鬼の体躯に小さなクナイは余りに軽い。しかし。クナイが閃光を発して、爆ぜる。
「ぎゃっ!」
いや、雪の筈が無い。この星では雪が降らない。
降っているのは灰。集落の遥か遠方で、カムイ軍の攻撃によって起きた核爆発から風に乗って運ばれてくる死の灰だ。
「みんな逃げたのかな…」
その灰の降る中に立つ少女は、ぽつりと呟く。
――バカだ……
自分を窘める。
ここの住民が、『この灰には放射能がふくまれている』だなんて“科学的”な事を知っている訳が無い。降って来たとしても、珍しい物を見るような歓喜の気持ちで外を飛び回るに違いない。それで知らないうちに毒されて死ぬ。それが普通。
でもこの臭いは……
少女は、死の灰からの放射能等には気も留めず、集落の門をくぐった。
――殺そう。
そう自分に言い聞かす。
1.
「ボクの心を勝手に見るな」
飛行機械の中で、マキリはもう一度釘を刺した。
ここに来るまでに何度も言った筈なのに。はっきり言って不快だ。だが、目の前にいる軍服で眼鏡のやたらと胸のでかいこの女は、面白そうに口元を持ち上げる。
「ごめんなさい、私の悪い癖で……」
反省の色の無い口調での陳謝。
女は所謂、テレパシー能力者といった類いの者だ。その能力がキャタライザーによる物なのか、それ以外の物かは解らないが。
「何を見た」
マキリは、その身体にボディーアーマーを取り付けながら、女に問うた。
「不信、不安……。それと恐怖」
手を止め、女を睨みつける。
「恐怖?」
「そう、あなたはそれを感じている」
「バカバカしい……」
目線を、女から窓の外に移す。
「おかしな事じゃないわ、感情は全て繋がっているの。今のあなたみたいに……」
「あんたいつからカウンセラーになったの?」
「……そうね。でも気をつけなさい。不信は不安へ、不安は恐怖へ、恐怖は……」
「恐怖は?」
「あなた自身で悟りなさい」
女は、おかしな程優しい顔でマキリにそう言った。
「降下地点です」
飛行機械の操縦手の声が、会話の時間の終わりを告げる。
これからは戦いの時間だ。
2.
カムイ軍の包囲網をかい潜るのに三日。存在を覚られないように追跡を巻くのに二日。東亜連邦に捕まって一日。
そして七日目の今日、マキリは“鬼”と戦う事になった。
“鬼”は、この集落のどこかに潜伏している。それを見つけ出し、倒すのが彼女の任務だ。
高度三千メートルの飛行機械から単身降下。目標地点の1キロメートル手前に着地。地面には足跡一つ付けず、風のように翔ける。
いにしえから、世には“闇”という物が存在する。人ならざる力をその身に宿し、戦を生業とする影の民が。
人は彼らを“人外”と呼び、恐れた。
しかし奴らは…、カムイの者達は影の民達を人外とは呼ばなかった。
“キャタライザー”。
奴らは民をそう呼び、狩った。
もちろん民達も抵抗はした。
たが、それにも限界がある。強大な破壊力で迫る機械の軍団に、民達は次々に滅ぼされた。
それでも彼らの中には、一筋の希望があった。
――“翼の民”ならば……
人外の民の中でも、優れた力を持つ彼等なら……。
翼の民は頭に立って戦った。数多の犠牲を払い、幾つもの同胞の死を乗り越えながら。
ついに、最後の戦が起きた。
戦った。全力を以って。
その結果、“翼の民”のたった数十の戦士が、数千数万のカムイ軍の進撃を四十日四十夜の間食い止めたのだ。
だが、その力も遂には尽きた。
大人達は殺され、子供達は連れ去られた。
ただ一人の少女を残して。
彼女は、集落の中に溢れる血の臭いに顔をしかめながら、臭いの元を探して歩いた。
集落そのものに損害は出ていないが、生存者は一人もいない。途中で幾つもの死体を見たが、どれも大きな獣に引き裂かれたかのような物ばかりで、血痕も古い乾いた物だ。
直感的に覚る。
――喰ったな……?
突然、空気に漂う真新しい血の臭い。すかさず翔ける。臭いを追って元をたどる。
臭いは、集落唯一の教会の中から溢れていた。
教会の扉を開く。
中は暗く、強化視覚が無ければ一メートル先も見えない。だが、そんな物も彼女には関係ない。
聖堂の中を歩んで進み、やがて見つける。海のような血溜まり。そして兵士の死体。だが、この死体は変だ。
外にある死体とは違って、どれも身体を一太刀で両断されている。その切り口は余りにも滑らかで、既存のどのような凶器のものとも似ていない。
知っていると言えば唯一。
それにこの戦闘服は……
マキリは腕を構え、聖堂の中をさらに進んでいく。
そして出会った。
聖堂の最奥部、祭壇の後ろに立つ、聖人とその十字架の偶像。その上に佇む“それ”は、正に鬼の姿そのものだった。
全身の筋肉は山のように隆起し、皮膚は赤茶色。口は耳まで裂け、目は赤く血走っている。両手は赤く染まり、左手には息の絶えた兵士が、まるでくたびれたヌイグルミのように掴まれていた。
「ぎ……」
マキリに気付いた鬼は、一瞬呻くような声を上げて、左手の“ヌイグルミ”を彼女に投げ付けた。彼女は身を翻しヌイグルミを避ける。ヌイグルミは、聖堂の床にたたき付けられ、その中身をぶちまけた。
その瞬間、鬼が偶像から跳ぶ。音より早い一撃。
だが、マキリの身体はそれに反応、防御。鬼の爪が、彼女の前腕に付けられたプロテクターに食い込み火花を散らす。
鬼は、彼女の身体を聖堂の天井まで弾き飛ばし、外に飛び出した。
「くっ!」
宙を舞うマキリは、空中で身体を翻して天井に足を付け、右手の指をモルタルに食い込ませて天井に張り付く。歯を食いしばる。鬼の姿はもうない。
「こちら、マキリ。鬼と接触した。それと、兵士の死体が8つ」
「マキリ、その死体はカムイ軍の強化人間部隊よ。鬼は?」
「逃走した」
「急いで。こちらに接近する機影があるわ」
「……了解」
マキリは天井から床に降り、ザックの中からゴーグルを取り出した。ゴーグルは、レンズに光点を映し出す。その光点は、先程鬼に取り付けた発信機の位置を示している。
一歩、教会の聖堂を出る。
――恐怖は……?
その答えが、急に知りたくなった。
3.
世界を救おうとか、誰かを助けようだとか、そんな思いなど微塵も無かった。ただ、一族の仇が討ちたかった。
いや、仇と言うのも恐らくは違う。たぶん、知りたかったのだろう。
なぜ自分の一族が迫害され、虐殺され、滅ぼされたのか。
なぜ?なぜ?なぜ?
考えても解らない。解らないから怖い。怖いから、憎む。
カムイめ、カムイめ、カムイめ!
戦う前から、あの女に言われた言葉の答えなど解っていた。
――不信は不安へ、不安は恐怖へ、恐怖は、憎しみへかわる…。
なら憎しみは…?
ゴーグルに映される光点を手掛かりに、鬼に追い付いく。
鬼も、凄まじい速さで翔けるが、翼の民であるマキリが追いつけぬ道理はない。
虚空に、人外の力を以ってしてクナイを形成。射出。クナイは、各々が自在に向きを変え、確実に鬼の脚を突き刺す。
だが、鬼の体躯に小さなクナイは余りに軽い。しかし。クナイが閃光を発して、爆ぜる。
「ぎゃっ!」