ファッション
<ブログサイト「血と無為」 ヘッダ部分のことわり書き>
守屋の平坦な日常です。暗黒・退廃・アンダーグラウンドへの傾倒、妄想、悲観的思想、毒を含みます。
このサイトに書かれていることは全てフィクションです。
<ブログサイト「血と無為」より>
4月18日(火) 投稿者 : モリヤ
相変わらず「十三階は月光」をヘビーローテーションしています。
このアルバムで描かれている世界に棲みたい。
オークションで手に入れた『残虐行為展覧会』を居間のソファに寝そべって読んでいたら、義母にうっかり書名を見られ、なんでそんな怖い本を読むのかなどとわあわあ言われ、適当にあしらっていたら泣かれました。
美しい文章なのに。書いてあることは正直よくわからないけれど、うっとりするのに。
まあ、義母はあのお笑いハリウッド映画の「ヴァン・ヘルシング」を見ていてもなんて残虐なの、とか騒いじゃう人なのでいいんですが、Mにもあまり理解されなくて残念です。原爆は惨たらしいけれど、原爆ドームは美しい、などと思ってはいけないのかな。Mは、人が死ぬのは怖くて嫌だ、そういうことはとにかく何もかも嫌だ、と言います。
でも、私は死ぬことや血を見ることより、今日が昨日と同じだったように、今日と同じ明日が来て、死んでいないというだけで生きてもいないような状態が何十年も続くことのほうが、怖ろしいです。
さて、出掛けます。週末の準備をしなければ。
昨夜から未遠(ミオ)と気まずい。
夕食のあとに、末期癌の患者のドキュメンタリーを見ながら、モリヤが欠伸をしたのが発端だった。目に涙を溜めて食い入るように画面を見つめていた未遠は、モリヤのはっきりと白けた表情に気付いて、ひどく傷ついたような顔をした。
「べつにあんたやあたしが死ぬ訳でもないのに、そんな顔することないでしょ」
「……でも、死んじゃうのはつらい」
「そう? あたしは嬉しいけどね。……ほんとに、かわってあげられるんならいくらでもかわってあげたいよ、痛いのは嫌だけど」
TVでは遺族が「生きられる人はそれだけで幸せ、命を大事にして欲しい」と涙ながらに訴えていた。
「こういうこと言われるといちばん困る。こっちだってあたしの余生でよかったら差し上げたいって本気で思ってるのに」
それにあたしが持ってるのは今のところガン細胞におかされていない体だけだよ、あんたのほうがあたしの持ってないものをいっぱい持ってるよ、とモリヤは死んでいった患者に口に出さずに語りかける。目に入れても痛くないほど愛している子どもとか、甲斐甲斐しく世話をしてくれる配偶者とか、葬儀で泣いてくれる友だちとか、あたたかい日々の思い出とか。モリヤには何もない。
いつもはモリヤの悪態を黙って聞いている未遠が、このときは耐えきれない様子で立ち上がり、TVのスイッチを切って部屋を出ていった。階段を駆け上る荒い足音を聞きながら、モリヤもやり場のない苛立ちに襲われた。
それきり顔を合わせないまま、モリヤは今夜未遠と新宿で待ち合わせている。幼稚園から一貫の、私立の名門中学に電車通学している未遠と、学校帰りに洋服を見に行く約束だ。次の日曜日のお茶会に着てゆく服を新調しようと、以前からきめてあった。
何となく気分が乗らないので、黒い服、それもアリスアウアアのタグの付いたものしか入っていないクローゼットを開いて、着慣れたロングスリーブのカットソーに、布をたっぷり使ってあるロングスカートを合わせた。常に裾を引きずらないように神経を使っていなければならないが、それでもモリヤのワードローブではいちばん気を張らないで着られる組み合わせなのだった。
東京の最も深くを走る都営地下鉄十二号線に乗り、都営新宿線に乗り換えて、新宿三丁目駅で下りる。伊勢丹の前に、濃紺のセーラー服姿の未遠が所在なげに立っている。
未遠の制服姿を見るたび、モリヤは野暮ったい丈のプリーツスカートを残念に思う。あのセーラーのブラウスには、半ズボンと膝丈のハイソックスを合わせたい。靴下どめも付けさせたい。少なくとも未遠にはその方が似合う。陽に透けると焦茶色だとわかるくせのない真っ直ぐな髪をショートボブにして、ちびで、痩せっぽちの未遠は、発育のよい同い年の少女たちと比べてひどく幼い印象を与えた。大きな瞳と長いまつ毛、ぽってりした唇の人形のような顔立ちをしていたが、ローティーンの少女の持つはつらつとした可愛らしさはなく、未分化なものの危うさだけがあった。
モリヤが近付いても、未遠はあさっての方を向いている。昨日のことが引っ掛かって気付かない振りをしているのだろうと見当をつけ、モリヤはそうっと真後ろに立った。うなじを見下ろしながら尖った肘をぐいと掴むと、未遠は大きくびくりと震え、心底驚いた顔でモリヤを見上げて、安堵の息を吐いた。
「お待たせ。馬鹿にぼうっとしていたね」
「……変な人がいたから。彼処に」
未遠はまつ毛を伏せ、先刻じっと見ていた方角を指差した。モリヤは未遠の指先をたどり、新宿通りの対岸、三越のエントランスのあたりに目を凝らす。
「背が高い、全身黒ずくめの、多分男の人だと思うんだけど。髪が長くて白っぽかったけど、齢をとってる人には見えなかった。ちょうどわたしの真向かいに立って、こっちにじいっと顔を向けてたから……でも、もう、いないね」
「なんだ」
モリヤはつまらなそうに言い、未遠の背中に手を回して急きたてるように軽く押した。紀伊國屋書店の前を通りすぎ、JR新宿東口の方向へ進むとマルイヤングがある。四階までは普通の若者向けのファッションビルなのだが、五階から上にはかつて別のビルをまるまる占拠していたマルイワンが移転していて、黒を基調としたダークな雰囲気にがらりと変わる。
アトリエ ボズ、ブラックピースナウ、セクシーダイナマイトロンドン、フェトウス、ノーフューチャー、ジェーンマープル、メタモルフォーゼ、ベイビー、ザ スターズ シャイン ブライト、などなどロックやパンクからゴス、ロリータまでありとあらゆる非日常の洋服を売るショップが集まり、その界隈に縁のない者は立ち入りがたい一帯で、おそらくは最も入りにくいショップがアリスアウアアだろう。青く沈んだ空気に充ちていて足を踏み入れるのを躊躇うモワ・メーム・モワティエのさらに奥にあり、店に入るには怪物の口輪を模したノッカーの付いたドアを開けなければならない。客を迎えるのは4ADの陰鬱な音楽、壁に首を拘束されて上半身を仰け反らせながらコルセットをディスプレイしているマネキン、人間の手足を象った脚に支えられたガラスのテーブル、デュシャンの「泉」を思わせる唐突さで置かれた便器、爬虫類の皮などだ。未遠のような十代になったばかりの子どもが来る場所ではないし、手が出る値段のものもない。
モリヤが未遠の手を引いてドアを開けると、目の周りを真っ黒に塗った異界の住人のような店員たちが、いらっしゃいませ、と囁いた。モリヤは店員たちに一瞥もくれず、天井から長く吊り下げられた電球を無造作に揺らして奥へ進んだ。棚に手を伸ばしては、遠慮のない動作でブラウスやジャケットを広げて眺め、ぽいと戻す。
守屋の平坦な日常です。暗黒・退廃・アンダーグラウンドへの傾倒、妄想、悲観的思想、毒を含みます。
このサイトに書かれていることは全てフィクションです。
<ブログサイト「血と無為」より>
4月18日(火) 投稿者 : モリヤ
相変わらず「十三階は月光」をヘビーローテーションしています。
このアルバムで描かれている世界に棲みたい。
オークションで手に入れた『残虐行為展覧会』を居間のソファに寝そべって読んでいたら、義母にうっかり書名を見られ、なんでそんな怖い本を読むのかなどとわあわあ言われ、適当にあしらっていたら泣かれました。
美しい文章なのに。書いてあることは正直よくわからないけれど、うっとりするのに。
まあ、義母はあのお笑いハリウッド映画の「ヴァン・ヘルシング」を見ていてもなんて残虐なの、とか騒いじゃう人なのでいいんですが、Mにもあまり理解されなくて残念です。原爆は惨たらしいけれど、原爆ドームは美しい、などと思ってはいけないのかな。Mは、人が死ぬのは怖くて嫌だ、そういうことはとにかく何もかも嫌だ、と言います。
でも、私は死ぬことや血を見ることより、今日が昨日と同じだったように、今日と同じ明日が来て、死んでいないというだけで生きてもいないような状態が何十年も続くことのほうが、怖ろしいです。
さて、出掛けます。週末の準備をしなければ。
昨夜から未遠(ミオ)と気まずい。
夕食のあとに、末期癌の患者のドキュメンタリーを見ながら、モリヤが欠伸をしたのが発端だった。目に涙を溜めて食い入るように画面を見つめていた未遠は、モリヤのはっきりと白けた表情に気付いて、ひどく傷ついたような顔をした。
「べつにあんたやあたしが死ぬ訳でもないのに、そんな顔することないでしょ」
「……でも、死んじゃうのはつらい」
「そう? あたしは嬉しいけどね。……ほんとに、かわってあげられるんならいくらでもかわってあげたいよ、痛いのは嫌だけど」
TVでは遺族が「生きられる人はそれだけで幸せ、命を大事にして欲しい」と涙ながらに訴えていた。
「こういうこと言われるといちばん困る。こっちだってあたしの余生でよかったら差し上げたいって本気で思ってるのに」
それにあたしが持ってるのは今のところガン細胞におかされていない体だけだよ、あんたのほうがあたしの持ってないものをいっぱい持ってるよ、とモリヤは死んでいった患者に口に出さずに語りかける。目に入れても痛くないほど愛している子どもとか、甲斐甲斐しく世話をしてくれる配偶者とか、葬儀で泣いてくれる友だちとか、あたたかい日々の思い出とか。モリヤには何もない。
いつもはモリヤの悪態を黙って聞いている未遠が、このときは耐えきれない様子で立ち上がり、TVのスイッチを切って部屋を出ていった。階段を駆け上る荒い足音を聞きながら、モリヤもやり場のない苛立ちに襲われた。
それきり顔を合わせないまま、モリヤは今夜未遠と新宿で待ち合わせている。幼稚園から一貫の、私立の名門中学に電車通学している未遠と、学校帰りに洋服を見に行く約束だ。次の日曜日のお茶会に着てゆく服を新調しようと、以前からきめてあった。
何となく気分が乗らないので、黒い服、それもアリスアウアアのタグの付いたものしか入っていないクローゼットを開いて、着慣れたロングスリーブのカットソーに、布をたっぷり使ってあるロングスカートを合わせた。常に裾を引きずらないように神経を使っていなければならないが、それでもモリヤのワードローブではいちばん気を張らないで着られる組み合わせなのだった。
東京の最も深くを走る都営地下鉄十二号線に乗り、都営新宿線に乗り換えて、新宿三丁目駅で下りる。伊勢丹の前に、濃紺のセーラー服姿の未遠が所在なげに立っている。
未遠の制服姿を見るたび、モリヤは野暮ったい丈のプリーツスカートを残念に思う。あのセーラーのブラウスには、半ズボンと膝丈のハイソックスを合わせたい。靴下どめも付けさせたい。少なくとも未遠にはその方が似合う。陽に透けると焦茶色だとわかるくせのない真っ直ぐな髪をショートボブにして、ちびで、痩せっぽちの未遠は、発育のよい同い年の少女たちと比べてひどく幼い印象を与えた。大きな瞳と長いまつ毛、ぽってりした唇の人形のような顔立ちをしていたが、ローティーンの少女の持つはつらつとした可愛らしさはなく、未分化なものの危うさだけがあった。
モリヤが近付いても、未遠はあさっての方を向いている。昨日のことが引っ掛かって気付かない振りをしているのだろうと見当をつけ、モリヤはそうっと真後ろに立った。うなじを見下ろしながら尖った肘をぐいと掴むと、未遠は大きくびくりと震え、心底驚いた顔でモリヤを見上げて、安堵の息を吐いた。
「お待たせ。馬鹿にぼうっとしていたね」
「……変な人がいたから。彼処に」
未遠はまつ毛を伏せ、先刻じっと見ていた方角を指差した。モリヤは未遠の指先をたどり、新宿通りの対岸、三越のエントランスのあたりに目を凝らす。
「背が高い、全身黒ずくめの、多分男の人だと思うんだけど。髪が長くて白っぽかったけど、齢をとってる人には見えなかった。ちょうどわたしの真向かいに立って、こっちにじいっと顔を向けてたから……でも、もう、いないね」
「なんだ」
モリヤはつまらなそうに言い、未遠の背中に手を回して急きたてるように軽く押した。紀伊國屋書店の前を通りすぎ、JR新宿東口の方向へ進むとマルイヤングがある。四階までは普通の若者向けのファッションビルなのだが、五階から上にはかつて別のビルをまるまる占拠していたマルイワンが移転していて、黒を基調としたダークな雰囲気にがらりと変わる。
アトリエ ボズ、ブラックピースナウ、セクシーダイナマイトロンドン、フェトウス、ノーフューチャー、ジェーンマープル、メタモルフォーゼ、ベイビー、ザ スターズ シャイン ブライト、などなどロックやパンクからゴス、ロリータまでありとあらゆる非日常の洋服を売るショップが集まり、その界隈に縁のない者は立ち入りがたい一帯で、おそらくは最も入りにくいショップがアリスアウアアだろう。青く沈んだ空気に充ちていて足を踏み入れるのを躊躇うモワ・メーム・モワティエのさらに奥にあり、店に入るには怪物の口輪を模したノッカーの付いたドアを開けなければならない。客を迎えるのは4ADの陰鬱な音楽、壁に首を拘束されて上半身を仰け反らせながらコルセットをディスプレイしているマネキン、人間の手足を象った脚に支えられたガラスのテーブル、デュシャンの「泉」を思わせる唐突さで置かれた便器、爬虫類の皮などだ。未遠のような十代になったばかりの子どもが来る場所ではないし、手が出る値段のものもない。
モリヤが未遠の手を引いてドアを開けると、目の周りを真っ黒に塗った異界の住人のような店員たちが、いらっしゃいませ、と囁いた。モリヤは店員たちに一瞥もくれず、天井から長く吊り下げられた電球を無造作に揺らして奥へ進んだ。棚に手を伸ばしては、遠慮のない動作でブラウスやジャケットを広げて眺め、ぽいと戻す。