変奏曲-First Impression-
首にかかる重さで俺は目覚めた。
肌にゆるゆると伝わるぬくもりと、穏やかな吐息。
彼の優しさが心を暖かくしていく…。
…「幸せ」とはこんなことを言うのかもしれない。
隣に信頼し合える誰かがいるだけで、満たされる。
こんなに幸せならもっと早くに誰かを探していれば、と思うほどに。
けれど俺は人ではない。
そして、同姓しか相手にできない手合いだ。
人間同士でも困難なのに、吸血鬼から求愛されてすんなり頷く人間がいるわけもなく。
簡単に見つかるわけがない。
だから、彼と出会って受け入れらて、俺は幸運だったのだろう。
眠る彼を起こさぬようにそっと指先で頬をたどる。
民族特有の白い肌はうっすらと日に焼け黒くなっているが、透明感はそのままに、むしろ生命力にあふれ輝いて見える。
女性的で繊細な顔の造作は起きているときよりも際だって見える。
「綺麗だ」なんて言葉が自然にこぼれ落ちてくるのだから、自分が不思議で仕方ない。
一夜限りの相手には見た目の美しさだけを求めていたからかもしれない。
彼は心も美しいから、言葉がしっくりと落ち着くのだろうか。
彼は自分の容姿を疎んじている。
俺の目だけでなく誰の目から見ても好ましいのに、彼はその容姿を嫌いだとつぶやいた。
姉と似ているから、彼女を冒涜するに等しいから、と。
それは同時に、望まぬ恋情を向けられ続けてきた自分自身への呪詛のように聞こえた。
惑わすべきでない人が惑わされる自分の容姿を恨みこそすれ好きにはなれないのだろう。
「こんな顔をしていなければ」と自分の容姿をなじり、同時に自分の心を痛めつけてきたに違いない。
キミに聞かれたら怒られるか、うんざりされるかのどちらかだろうけど。
その心根を美しいと言わず、なにを美しいと言えばいいんだろう…?
長い時を生きてきて、俺は正直無気力になっていた。
くだらないことで笑えなくなり、これから先も続いていくだろう退屈な時間におびえた。
遠い昔、永遠を手に入れたばかりのときに感じた喜びは消え、永遠に何の価値も見いだせなくなって。
酒に酔い、娯楽のためだけに好きでもない女を抱いてみたけれど、それは癒せなかった。
空虚な感覚だけが広がっていくだけ。
彼と出会ったあの日。
俺と同じ生きることに飽きた目を見つけて笑った。
彼の顔が綺麗だとは思ったけれど、それ以上ではなかった。
彼が悲しそうに顔をゆがめて走り去っていった時。
切り捨てるべき相手に同情して、なんて馬鹿なやつだろうと思った。
今思えばあれはうらやましかったのかもしれない。
心を痛められるほど追いつめられていた彼が。
そして、ふらりと屋根を渡っていて彼に会った夜。
悲しみの裏に自分への憎しみと後悔を秘めて、ぼんやりと月を見上げていた彼に一瞬で欲情した。
彼を押し倒して首筋に牙を突き立てたい、と思った。
こんな衝動は久しぶりだったから俺自身戸惑った。
顔を合わせぬまま声をかけるなんて間抜けなことをするくらい動揺していた。
翌日から連夜彼を訪ね、いたずらを仕掛けて怒らせてみたり、他愛ない会話を交わしたりした。
久しぶりに楽しいと思った。
だから、彼と共にいたいと思うのは俺にとってはごく自然なことで、迷いはなかった。
彼に自分の正体をうち明けて、受け入れてもらえるかどうか自信はなかったけれど。
ただ、彼の抱えている寂しさを埋められるなら、俺は彼と共にいられると、無様だが、必死になっていた。
言葉の限りを尽くしても、彼と時を共有できるなんて、考えてもいなかったから。
彼が俺の手を取ってくれたときは現実を信じられず、頭の中が真っ白になった。
安っぽい『奇跡』なんて言葉を信じてしまいそうになるくらいだった。
起きあがり、首にのせられていた腕をどかして手を捧げ持ち、指先に恭しく口付けた。
感謝と祈りを込めて。
…俺を受け入れてくれてありがとう。
…これから先、死ぬときまでキミと一緒にいられますように。
この幸せにもいずれ終わりがくるかもしれない。
そのときを俺は甘んじて受け入れよう。
キミが死にたいと望んだら、俺もともに眠りにつく。
徐々に失われていくぬくもりとともに俺も深い意識の底へと落ちていければ、今の幸せを後悔しないでいられるから…。
作品名:変奏曲-First Impression- 作家名:狭霧セイ