月夜
清雅は小さい頃から、物覚えがよかった。
初めてやる事は大抵なんでも出来たし、一度聞いた事は忘れなかった。
ここへ来て割り振られた仕事もほぼ完璧にやってのけた。
幸いな事に、給仕の者も厨房の者も気のいい者ばかり。
「お館様はなぁ、ハッとするほど冷たいとこもあるし性格は褒められたもんじゃないけど、いい人だよ。仕事をしっかりしてくださる。そして仕事をしっかりする奴にゃあそれなりの報酬を与えてくださる。ま、お前さんには怖いお兄さんにしか見えんかもしれんがなあ」
と言って豪快に笑ったのは、厨房の料理長だ。
・・・冗談じゃない、いい人であってたまるものか。
罪のない両親を無情に殺したあの男を。・・許せるわけがない。
「俺ぁ、領主様に拾っていただかなかったら今頃、道で野垂れ死んでたぜ」
料理長がそれをいうと、一緒に働いてる者たちが大声で笑う。
「その方が平和でよかったって皆いってますぜー」
と軽口も飛ぶ。
「うるせぇ、お前らちゃんと手も動かせよ!」
・・道で野垂れ死ぬ・・それでも良かったかもしれない。いっそのことあの時あの場所で死んでいれば、仇のことなど何も気にせず、また両親にあえたのかもしれない。
「ま、お前さん、ちゃんと働けば一生ここで生きてける。頑張れや」
「あの、一つだけ、お尋ねしたいのですが・・・。」
「何だ?」
「吉蔵、というお方をご存知ですか?」
「あぁ、お館様の一番の側近だ。あの人もいい人だよ、よく俺たちとも話をしてくださるしな」
それだけ言うと、彼は清雅に別れを告げ、本格的に自分の仕事へと戻っていった。
仕事を覚えるのが早くとも、新参者が領主に近づける機会などそうそうない。
部屋を探し当てるのにも大分月日を要し、道で倒れていたのを仇に拾われた日から、もう月は三度満ち欠けを繰り返した。
ここにきてから三度目の満月。
ここで働いている者とは皆、顔なじみになった。
皆、口をそろえたようにあの男をいい領主だと言う。
使用人たちがあの男を本気で尊敬しているのがわかる。
認めざるをえないところも確かにあるが、そう思っている自分のことが気に喰わなかった。・・・あの男はなんの罪もない人間を平気で殺したのだと自分に言い聞かせる。
持ってきた小太刀は、毎日使う布団の綿に埋め込んである。一日として、確認をしなかった日はない。
誰も周りに居ないのを確認して、そっと小太刀を取り出す。
準備は整った。領主はこの時間、一人きりの部屋ですごしているはず。
ガラっと襖の開く音がして、慌てて小太刀を体の後ろに隠す。
入ってきた人物を見ると、それは久しく会っていなかった人物。
「・・吉蔵様」
「清雅、気は変わらぬままか?」
「・・はい」
「ここでしばらく過ごして、お館様が悪い方でないことはわかっただろう?」
・・・図星を差されて、何も返せない。
「お前さんも、少なからずあの方に惹かれてるはずだ」
「そんなことはっ・・!」
「ないわけじゃないだろう。しかし、それでも行くってんなら俺は止めやしない。お前さん、失敗した時の覚悟はできてるんだろうな」
「復讐を誓った時から殺される覚悟はできています」
「・・・殺されるだけで済めばいいがな。お館様は今、夕餉が終わった席で一人で月を見ていらっしゃる。覚悟が決まっているなら、行け」
それだけ言って、吉蔵は部屋を出た。
・・・どんなことになろうと、復讐を果たすため、両親の仇をとるためなら・・。
光沢のある木張りの廊下を音がしないように、静かに歩く。灯りは月の光だけ。
畳に胡坐をかき、一心に月を見つめている男の背中が目に入った。
あの男を・・これで一突きすれば・・・。
走れば五歩とかからないだろう距離まで近づく。
もう一度、心を落ち着け、畳を蹴った。
一歩近づき、背中が近くなる。
また、一歩・・・どんどん距離は縮まっていく。
足を踏み出すのは一瞬でしかないのに、とてつもなく長い時間に感じる。
あと、一歩で・・あの背中に届く・・。
「・・・覚悟っ・・!」
小太刀を振り上げた瞬間、男の顔がこっちを向き、切れ長の目が初めて会ったときと同じように清雅の目を見る。
・・・その視線に、射竦められて、体の動きが止まる。
その瞬間はほんの少しだったのかもしれないが、数秒・・・いや、何分にも感じられた。
自分の動きも男の動きもやけにゆっくりで、妙に冷静になっている自分が居る。
動きが止まった一瞬が命取りだったのか・・・小太刀は男の体へ刺さる直前で叩き落とされた。
小太刀を持っていた両手を簡単につかまれる。
「・・・くっ・・」
そのまま清雅の両手を畳に押し付け、細く白い肢体は床へと組み敷かれた。
ギリギリと音がしそうなほど強く両手を締められる。
「・・っ・・」
苦痛に顔をゆがめるが、精一杯の強がりで声を上げたりはしない。
「私が憎いか、清雅」
「気安く名前を呼ぶなっ・・!殺すなら・・早くしろっ・・!」
清雅の言葉に、男が可笑しそうに顔をゆがめる。
「お前が、私にとって脅威になるというのなら殺しもしよう。だがな、お前にはもっと別の価値がある」
言うと同時に、深く、清雅へと口付ける。
「・・んっ・・ん・・!?」
意外な刺激に、何も反応が出来ない。まだ快感を教え込まれていない体は、初めて与えられる刺激に戸惑うばかりだ。
頬が上気し、白い肌が薄い朱に染まる。
「お前が私を殺したければいつでも殺しにくるといい。だが、その代わり、俺はお前を好きなようにさせてもらうぞ」
男の手が、清雅の着物の中に入り込み、柔らかな肌の上をすべる。
赤い痕が清雅の首筋へ、鎖骨へと落とされ、下のほうへと移動していく。
月明かりが差し込む部屋で清雅は自分の顔が敗北に歪むのを感じた。
FIN
作品名:月夜 作家名:律姫 -ritsuki-