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朝焼けドロップ

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今が幸せかと聞かれたら、俺は間違いなくノーと答える。
「帰って来て。お父さん、もう駄目かもしれないって。医者の人が」
 姉から来た初めての電話にて告げられたのは、そんな事だった。これと言った返事もせず、てきとうに電話を切った。再び眠ろうにも、『睡眠を邪魔された』という私見だけが頭をぐるぐると回り、結局二度寝はできなかった。
 ふと部屋を見渡せば、乱れたシーツ、乱れた毛布、乱れた衣服、乱れた絨毯――見事なまでに散らかっている部屋。自室というのは自分の人間性がそのまま形になる、なんて事を耳にした事がある。なら、俺の性格というのは相当乱れているという事なのだろう。
 初めてのバイト代で買った小さな本棚にはもう本が入りきらなくなり、本棚の上、さらに浸食して床にまで及んでいる。引き出しに乱雑に詰め込まれた服はかなり窮屈そうにしているし、コンビニ弁当のゴミ、ビール缶、煙草で埋め尽くされた灰皿が最近買った小さな机を彩っていた。
 とてもだが、人を招待できる部屋ではない。正体する人間なんて一人もいないが。
「――くぁっ」
 大きな欠伸をしながら窓を眺めると、曇天の空が目に飛び込んできた。寝る前と全く変わらない空だ。この曇り空から時間を推理してみよう、なんてくだらない事を考えたがすぐに飽きてしまい、結局はアナログの目覚まし時計に目を通した。
――八時半って、まだ二時間しか寝てないじゃないか。深夜にバイトをしているコンビニ店員が起きている時間じゃない。
「……ったく」
 とはいえ寝付きも悪くなったので、ベッドから出たくない欲求と熾烈なバトルを繰り広げたのち、真冬の寒さに白い息を吐きつつ、仕方なくリビングへと向かいコーヒーを入れる。コーヒーカップもこれが最後で、次にコーヒーの飲むのなら洗い物という過酷なイベントをしなければならない。
 そろそろ缶コーヒーに頼ろうか――いや、むしろ紙コップを大量に購入しよう、などと意地汚い発想を巡らせていると、ようやく頭が正常に働くようになってきた。
 ――親父が倒れた。それはずいぶん前に誰かから聞いた気がする。入院しているのも確か聞いたような記憶がある。そしてついさっき、もう駄目かもしれないという連絡を受けた。さて、正直な感想を述べるなら『だからどうした』の一言に限る。
 別段、親父を嫌っているわけではない。母さんと離婚して、くだらない意地を張って俺と姉を引き取って、男手一つで二人の子供を育てた。生活には恵まれていなかったが、苦しかったわけでもない。
 仕事に行く、帰宅する、寝る――このローテーションを毎日、毎年繰り返していた親父との会話なんて無に等しかった。姉も似たようなもので、気付けば家を出ており、今は彼氏の家に居候しながらそれなりに仕事をしているらしい。
 で、俺は学生の肩書を被ったフリーターを謳歌している。貯めたバイト代で安いボロアパートを借り、今も大学生活に勤しんでいるはずの俺は、どこで道を間違えたのか、入学三カ月で大学に行かなくなった。
 なんとなく一人暮らしをして、なんとなく学生でいられればいい……そんな気持ちで都会に出た結末がこれだ。引きこもりのような自堕落的な生活。かといってギャンブルや女に溺れようとも思わなかった。
 金は深夜のコンビニだけでも少しずつ貯まるし、性欲処理なんて一人でできる。目標もなく、何も培わずに時間に流され続け、二年という月日が経ち現在に到る。そんな俺が親父に会ったところで、言える事なんか何もない。
 それどころか、死んだような生活をしている事を聞けば怒り出すかもしれない。
「あぁ、くそ」
 そんな言葉が零れた。何に対してかは自分でもわからない。とにかく。呼ばれた以上は地元へ戻る事にしよう。家族という他人に会いに行ったところで何かが変わるわけでもないが、眠気が来るまでの暇潰しくらいにはなるだろう。





 外はやはり寒かった。茶色い革ジャンを着込み、ニット帽にマフラーを巻くというフル装備にも関わらず、身体は小さく震える。駅までは歩いて五分ほど。まだサラリーマンやOLがちらほら目に付く。
「まもなく、一番線に――」
 そういえば、このアナウンスも久しぶりに聞いた。電車なんて使わないし、何より乗りたくない。淀んだ空気が蠕動する、人間が詰まった箱……いや、あんなものに朝から乗りたくて乗ってる人間なんて居ない事なんてわかってる。
 会社に行かなければならないから、学校に行かなければならないから……そのために苦しい思いをしてまで、あの淀んだ箱に乗るのだろう。
 そもそも、大学へ行かなくなった理由も似たようなものだ。歳の近い人間がごったがえす建物の中で、本当に学びたいのかもよくわからない事を学び、気の合うんだか合わないんだか、よくわからない連中と遊ぶ。俺にはそれがどうも合わず、結果的にコミュニケーション不全に陥り、一人きりになっていた。
 気付けば道行く他人を敵としか認識できず、自分と同じかそれ以下の人間を見ては優越感に浸る最低な野郎になり下がっていた。
「……いや、違うか」
 吊革につかまりながら、誰にも聞こえない程度の声で呟いてみた。……なり下がったんじゃなくて、もともとそういう人間なのだろう、俺は。
 それからは特に何も考えずに電車を二回ほど乗り換え、地元の駅がある路線に乗った。下り線なので席は空いていて、ようやく腰を下ろす事ができた。眠気はまだ来ない。地元の駅まで何をするわけでもなく、ただ座って時間を過ごしていた。
「わかろうなんてするのが無茶なんだよ、お兄さん」
 右下から聞こえたその声で我に返った。地元の駅は通り過ぎていないようだ。そんなことより、俺のいる車両には完全に人が居なくなっていた事に驚いた。
「自分自身なんて自分じゃわからないんだよ。他人の視点があって初めて、自分が浮き彫りにされるんだもん」
 声のする方へ顔を向けると、短めの坊っちゃん刈りの頭に、黒ぶち眼鏡をつけた生意気そうなガキが座っていた。
「君が自分の事を卑下しても、それは君の中にいる君が卑下されているだけ。別の人は君を尊敬しているかもしれないでしょ? それは別の人の中にいる君が尊敬されているだけ。個人の思考によって、君はいろんな人間になっているんだよ」
「知るか、そんなの」
 無視すればいいだけなのに、俺はなぜか反抗心が沸き、あてこするように返事をしていた。
「うん、人間自身なんて外装にすぎない。百人が君の事を考えれば、百人の君がいる」
 小学校低学年ほどのガキが偉そうなことを言っている。親の顔が見てみたい、なんてありきたりな定型文を使いそうになったのは生まれて初めてだ。
 相手をするのもめんどくさい。なのに、勝手に口が開く。
「自分の事なんて自分が一番わかってる。俺がどう思って、俺が何を考えているのかは俺にしかわからないだろう」
「じゃあ、お父さんに何か言いたい事があるのも、わかっているの?」
 言われた瞬間、時間が止まったような気がした。線路を走る音が一瞬消え、自分の心臓の音だけが聴覚を刺激する。
「それを言えば自分の歩んできた時間、そしてこれからの自分を否定する事になるから、お兄さんは躊躇っているんだ」
 ――なんだ、このガキ。
作品名:朝焼けドロップ 作家名:みなみもと