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森の奥のこども

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森の奥のこども




 ボールを拾おうと深い草叢に手を伸ばしたら、柔らかい感触が掌に返って来た。表面は温かいのに芯は痺れるほど冷たい、半端にぬくめられた豆腐を連想させる触り心地だった。更に、その豆腐がこちらの掌を握り返して来たから驚いた。掴まれた手を思わず引っ張り出せば、草叢から白蛇のようなぬろんとした腕が付いて来た。続いて、小さな頭が出てくる。背中に付くほどの長い黒髪だ。所々がボサボサに縺れていて、不衛生なイメージを湧き起こさせる。長い前髪の間から見えた顔にも、泥や落葉がこびり付いていた。そうして、どんぐりのような丸っこい目玉が二つ、こちらを茫洋と見上げていた。どうやら浮浪児のようだ。

 「何だ、おめぇ」

 問い掛けると、浮浪児はパチパチと大袈裟に瞬いた。それから、ニマァと唇を引き裂いた。幼い顔立ちに似合わない不気味な嗤いだった。ギョッとして手を引っ込めようとしても、浮浪児は手を掴んだまま放さない。それどころか更に力を込めてくる。泥の詰まった小さな爪が皮膚に食い込んできた。

 「おまえさん、ヨシナガの孫じゃろう」

 罅割れた声に背筋がぞわりと震える。老人のようなしゃがれきった声が、浮浪児の細い咽喉から出ているというのが信じられなかった。まるで出来の悪いカラクリ人形のようだ。こいつはマズいと無意識の内に悟っていた。目の前にいる浮浪児は、子供の姿をした人ならぬものだ。森に住む神か鬼か。
 だから、森の中で遊ぶのはやめようと言ったのに。父母から伝えられていた、森に入れば恐ろしい神に一番大切なものを奪われるという怖い話。自分の祖父も何かを奪われたということを聞いた。それが何かというのは、呆けた祖父からは聞くことができなかった。でも、自分はいったい何を奪われるのだろう。命だろうか。
 そう考えた瞬間、内臓がキュウと縮まって、凍えるような寒気が足先から旋毛まで走った。困惑と恐怖を伝えようと、背後にいた筈の友人達を振り返っても、その姿はどこにもない。丸っきり消えてしまっている。そこにあるのは、鬱蒼とした木々だけだ。

 「おまえさんに渡したいモノがある」

 浮浪児の姿をした何かは、淡々とした声で言った。じっとこちらを見上げる視線から、敵意や下心というものを感ずることはできない。

 「何じゃ?」
 「ヨシナガじゃ」
 「おれ?」
 「おまえさんじゃなくて、おまえさんの爺さんのヨシナガヘイゾウじゃ」
 「じいちゃん?」

 吉永平蔵は祖父のことだ。最近はめっきり呆けて、縁側で一日中ぼんやりと座り込んでいる姿ばかり見る。数日前から身体がだるいと言って、布団に潜り込んで寝込んでいる。だけど、じいちゃんを渡したいだなんて、この浮浪児は一体何を言っているんだろう、と首を傾げる。

 「わしがずっと捕まえとったから、あいつは家に帰れんかった」
 「じいちゃんは、うちにおるで」
 「それは八十二歳の平蔵じゃろう。わしが言うとるのは、十歳のヘイゾウじゃ」

 会話の内容が上手く理解できず、眉を潜める。

 「わからん。十歳のときのヘイゾウってなんじゃ」
 「十歳のとき、ヘイゾウはこの森にきた。わしはヘイゾウを捕まえて、十歳のヘイゾウの魂を平蔵から抜きとった。魂をふたつに割って、未来の平蔵だけ帰した。過去のヘイゾウは、まだわしの元におる」

 説明をされようとも、まったく全然理解出来ない。浮浪児の顔を眺めて、やっぱりこいつは神とか鬼とかじゃなくて、単なる頭のおかしい子供なのだろうかと考える。答えはでない。唇を尖らせて、反抗的に言う。

 「何言うとるか、さっぱりわからん」
 「わからんでもええ。とにかく連れて帰ってやれ。はようせんと、未来の平蔵が死んでしまう」
 「じいちゃんが?」
 「もうあと何日もない。平蔵は死ぬ。老衰の大往生じゃ」
 「うそじゃ!」

 不吉なことを言う浮浪児の手を振り払う。奥歯を噛み締めて、浮浪児を睨み付けた。

 「おめぇ、ようもそんなホラがふけるの! 父ちゃんと母ちゃんに言いつけるで!」
 「わしに父ちゃんも母ちゃんもおるものか。それとも、言いつけるのは、おまえさんの父ちゃん母ちゃんか」
 「そうじゃ、おれの父ちゃん母ちゃんじゃ! 怖いんじゃけえの!」
 「ケイゾウとヨシエのなんが怖い。わしはなんも怖くない」
 「ものほしでケツ叩かれるんじゃで!」
 「そんぐらいがなんじゃ」

 浮浪児が「わしのほうがずっと怖い」と冷え冷えと囁いた瞬間、視界が反転した。悲鳴をあげる間もなく、足が吊り上げられて、身体が逆さまに宙に浮いていた。左足首に巻きついているのは木の根だ。根が足首をギリギリと締め付けて痛い。そうして、次の瞬間、パシィンという高い音と共に尻に鋭い痛みが走った。

 「ギャ!」

 吊り上げられたまま、背後へと視線をやれば、細い枝が鞭のように尻を打ち据えていた。尻肉に染み渡るような痛みに、背筋が勝手に反り返る。

 「ギャ、ヤッ、かあちゃん、かあちゃんごめん! ごめんなさい! ゆるして!」
 「わしはおまえさんのかあちゃんじゃない」
 「いたいッ!」
 「痛いのはあたりまえじゃ」
 「やめろよぉ!」
 「ヘイゾウを連れて帰るか?」
 「連れて帰る! 連れて帰るから、やめろぉ!」

 喚き上げた瞬間、浮浪児は甲高い鳥のような声を一声上げた。途端、足首に絡まっていた枝が解けて、身体がどすんと地面に落される。衝撃と鈍い痛みに悲鳴を上げて、背中をさする。

 「ヘイゾウ、おいで」

 浮浪児が草叢へと向かって手招きしていた。関節部分が蛇のように滑らかに動いているのを見て、改めてぞっとする。草叢がガサガサと音を立て始めたと思ったら、葉っぱの間から幼い顔がひょっこりと覗いた。浅葱色の薄汚れた着物を着ている。生意気そうな目尻が印象的な子供だった。

 「なんじゃ、神。こいつは誰じゃ」

 ヘイゾウと呼ばれた子供は吊り上った瞳で、睨み付けるように此方を見詰めてくる。その敵意とも見える眼差しに、肩が強張った。

 「こいつは御前の孫じゃ」

 神の言葉に、ヘイゾウは足の裏にこびり付いた泥を脛にこすり付けて落しながら「ふぅん」とどうでもよさそうな相槌を返した。

 「わしの孫か。あんまりわしに似とらんのぅ」
 「おれは、ばあちゃん似じゃ」
 「わしは女子と結婚するのか」

 ヘイゾウの顔に、わずかな驚きが浮かんで、直ぐに消える。代わりのように「わしには関係ないことか」と皮肉そうに呟く小声が聞こえた。未来の自分を切り捨てるような乾いた声音だった。

 「そんで、わしをわしの孫に会わせてどうしよう言うんじゃ神」
 「未来の平蔵が死にそうなんじゃ。御前は孫に家に連れて帰ってもらえ」
 「ほう、わしが家に帰りたいと泣き喚いても何十年も家に帰らせてくれんかったくせに、いざ未来のわしが死にそうになったら帰すとは都合がええのお」

 嫌味ったらしいヘイゾウの言葉に、神が痛ましそうに眉根を寄せる。唇を固く閉ざして、神は一息呼吸を零した。それと同時に、森を一陣の風が吹き抜ける。木の葉が舞い散って、ヘイゾウと神の間をざわざわと通り抜ける。空気がピンと張り詰めて、今にも弾けてしまいそうだった。

 「―――まぁ、ええ。帰るぞ、孫」
作品名:森の奥のこども 作家名:耳子