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灰色の片翼が願う幸せ

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 十歳の時、僕は奴隷として売られた。それまでは大草原の真ん中で、羊たちと一緒にのんびりと生きていた。朝から晩まで羊を追って、草の上に寝転んで、真っ青な空を見て、笑って。
 けれどその日、僕たちの村は炎に包まれ、焼き払われた。敵が、僕たちの村を焼いたんだ。
 戦争や抗争と言うものは、確かに僕たちの生きていた世界じゃ珍しくはなかった。それでも、その光景は今でも目に焼き付いている。逃げ惑う村の人たちと、置いてけぼりにされてけたたましく鳴き叫ぶ獣たち。そして、僕に向かってつきつけられた、朱に染まった切っ先。
 僕はそうやって、双子の弟のレイスと一緒に、故郷から無理やり連れ出された。
 最初はそれでも、レイスと一緒なら大丈夫だって思っていた。二人なら生きていけるって。独りじゃないから。
 そりゃもちろん奴隷商人たちは怖かったし、母さんたちと離れ離れになってしまって、さびしかったし、不安でたまらなかった。でも、レイスとなら大丈夫だって。そんなことを何の根拠もなしに、思っていた。
 でも結局、それは何もできない子供の、儚い幻でしかなくて、大人の力によって、僕たちは無理やり引き裂かれてしまったのだけれど。
 レイスと離れ離れになった後のことを、僕はあまり思いだしたくない。僕の売られた先は、その周辺でも有名な倒錯貴族の館だった。
 そこではご主人様に何をされても、泣きわめいても、誰も助けてなどくれない。どんなに非情で理不尽な扱いを受けても、じっと我慢するしかない。しかも、我慢してたって、行きつく先はあの世かもしれないっていう、そんな希望なんて何も見出すことができない、監獄。僕にはそこが、そうとしか思えなかった。
 だから、僕は最初で最後のチャンスかもしれないその瞬間に、飛びついたのかもしれない。
 目が覚めたその日、僕はいつものように全身を痛みと疲労に苛まれながら、いつもならあり得ない、唯一の希望を見出したんだ。それはほとんど、破滅にしか思えない希望だったけれど。
 その時、いつもなら僕を繋ぎとめ縛り付ける鎖が、なんの仕業か外れていた。そしてベッドの脇にはその前の日、ご主人様が使っていたナイフが無造作に放り出されていた。
 僕は震える手でそれを取り上げたよ。だってそれはその時の僕にとって、あまりに魅惑的な武器だった。毒でもあり、魔法の薬でもあった。これを逃せば二度とこんな機会はないかもしれない。そのまま短い一生をこの箱の中で終えることになるかもしれない。
 獣の仕留め方は、故郷にいた頃の日々の生活の中で知っていた。確かにあまりうまくはなかったけれど、それでも僕がその時狙った獲物は、野を駆けていたわけではなく、無防備に「眠って」いたんだ。
 窓は昨晩から開け放たれたまま。バルコニーの外は崖。でもその下は湖だった。逃げるなら、今。いいや、今しかない。
 湖の冷たい風が吹き上がってくる。それが震えて汗ばんだ僕の手をかじかんで余計に震えるくらいに冷やしていったのを、そしてその冷たさに一瞬だけよみがえった理性が恐怖の悲鳴を上げたのを、今でもはっきりと覚えてる。
 でもそんな理性に僕は惑わされている暇などなかったということも、忘れれることができないくらい、焼き付いていた。
「んーむ……」
 水を打った静けさの中に響いたその声に、僕の心臓は飛びはねた。
 まさかご主人様が目を覚ました? 
 どっと体に冷や汗が吹き出した。僕はナイフを手放そうとした。いや、一層強く握り締めようとした。でもどちらもできないまま手が一層大きく震えて行くだけ。
 殺されるかもしれない。今度こそ殺されるかもしれない。そうじゃなくっても死んだ方がマシだと思えるくらいの「お仕置き」が待っているかも。
 そんなのは嫌だ。怖い。怖い! でも死ぬのは嫌だ。どうしたらいい? ああ、でも……!
 どれほど長い時間僕は震えていたかわからなかった。実際はほんのわずかでしかなかったかもしれない。ただ、一つだけそこにあった事実は、襲いかかってくるだろうと思っていた恐怖が、何も、何も起きなかった、ということ。
 僕は恐る恐る背後を振り返った。そこにはもしかしたら何もしないだけで恐ろしい形相のご主人様が僕を睨みつけているかもしれなかった。
 けれど、振り返って眼にしたものは、僕を恐怖に震えさせたその人が、まだ深い深い夢の中だったということ。
 僕は心の底から安堵したよ。けど、次の瞬間にはまた恐怖。
 もし今彼が目を覚まして僕がこんなナイフを握っていることがわかったら? 一瞬でも、彼を殺そう、だなんて思ったことがわかったら? そうなったらどのみち命なんてないに決まっていた。そしたらもう二度と僕は母さんにもレイスにも会えない。故郷に帰ることすらできない! こんな遠くのこんな部屋に閉じ込められて泣きわめいて死んでいくことしかできない! そんなのは、そんなことには、耐えられない……! 
 僕はもうこんなヤツに、全てを支配されたくなんてなかったんだ。

作品名:灰色の片翼が願う幸せ 作家名:日々夜