Rabbit’s equation
「俺と知り合いになろう!そうすれば俺は奢って貰っても何も不思議は無い」
「……はあ?」
正直な感想だった。
いきなり何を言っているんだろう、この男は。
「それ、餞別って事で」
僕は付き合ってられないと、それだけ言って教室へ戻ることにする。
よく解らないことで貴重な休み時間を浪費してしまった。
階段に足をかけた所で腕を掴まれる。
「待った待った!」
「何なんだよ……」
しぶしぶ振り返る。
「違うじゃん、そうじゃないじゃん」
「何が」
「そこは同意してくれなきゃ」
「……お前さ、うざいって言われない?」
「言われない、友達いないもん、俺」
「はあ?」
思わず先程と同じ返答をしてしまった。
僕から見れば、如何考えても輪の中心にいるタイプだと思うのだが。
「ね、俺と友達になろうよ?寧ろなって下さい」
「……」
このとーり!とペットボトルを持つ手を器用に立てる。
「何なら150円払うし!契約金!」
「契約ってお前……」
取り合えず手を離して貰ってちゃんと向き直る。
「……何で俺?」
その問いにそいつは一瞬きょとんとした顔を見せる。
いざ人との対話になると一人称が変わるのは、いつの間にか僕の中で出来ていた建前だった。
「んー、何でだろう?直感?」
「直感って……」
適当な奴だ、と思った。
「……名前は?」
「ん?俺?宮島。宮島知之(みやしま ともゆき)。因みに4組」
3つ向こうのクラスの奴だったようだ。知らなかった。
「野元椋(のもと りょう)」
「椋君?」
「野元」
「ええと、俺の頼みは受け入れて貰ったと思っていいの?野元君」
「ああ、但しその中身が無くなるまでな」
「……え?」
宮島は僕の言葉に手にしたペットボトルを見る。
「それを奢った口実が必要なんだろ?」
「いや、そうだけど、それも口実って言うか」
そう話す途中ではっとして、宮島はペットボトルのキャップに目をやる。
「賞味期限は来年……」
「絶対飲みきれよ、折角買ったんだから」
「ぐ……」
どうやら中身を維持する事を考えていたようだ。
「……野元さ、何で一人になりたがるの?」
ふとどこか真剣な面持ちになると、静かにそう訊いてきた。
その質問が出てくる辺り、単に昨日僕のことを知ったのではなく前々から僕の存在は知っていたのだろう。
「別にそういう訳じゃないけど。……ただ、なんか違うだろ、これは」
そろそろ昼休みが終わるか、と僕は教室へ足を向ける。
「じゃあ、俺はこれで」
断りを入れてそのまま歩き出す。
「……」
宮島はペットボトルを眺めたまま、何も言わず立っていた。
別に僕だって好き好んで一人になる訳じゃない。
ただ、そういう癖がついてしまっているだけなのだ。
人生は重ねていく内にある程度の「方程式」が出来ていく。それに則っているだけだ。
別に、宮島の要求にそのまま乗っても良かった。
でもなんとなく怖かったのだ。
何故怖かったのかはよく解らない。もしかしたら、僕はまた「楽な人生」に甘えているのかもしれない。
けれど。
これは何か違うと、そう感じたのも確かだった。
中学生という、もっとも敏感な思春期を不器用に過ごした所為で、いまだにそういった「青い春」とやらに憧れているのかもしれない。
なんにしても、僕の内心はひねくれてしまっていた。
教室の入り口が見えてきた所でチャイムが鳴り急いで駆け込む。
宮島は、どうしただろうか。
放課後。
生徒達が思い思いの行動に移る中に混じり、僕も帰宅する為に立ち上がる。
「野元っ!!」
「……?」
滅多にかかる事の無い声が、教室の外から聞こえた。
呼び出しにしては調子がおかしい。教室の生徒も数人が声の方を見やっていた。
そしてその声には確かな聞き覚えがあった。
声の主に予想を立てながら、僕も視線を向ける。
その瞬間、何かがこちらに投げられた。
「……!!」
勢い良く飛んできたそれをぶつかる寸前で受け止める。
軽い音を立てたそれは、空のペットボトルだった。
カラフルなパッケージには様々な野菜のイラストが描かれている。
「明日から覚悟しとけっ!!」
あっけにとられて言葉に迷っている僕に教室の入り口から一方的にそう言いつけて、宮島は駆けて行った。
その瞬間。
僕の脳裏に、古い記憶がそのシルエットと重なる。
昔飼っていた一匹のメス兎。
飛び跳ねて駆けるその姿と重なる。
”ウサギは構ってやらないと寂しくて死んでしまう”
久しぶりに、その言葉を思い出した。
今はもうそんなのは嘘だと知っている。
何故だろう。
宮島の姿は、あの日僕の傍にいたあの兎と似ているような気がした。
特徴に似ているところなんて無い。それでも似ている気がしたのだ。
中身の無くなったペットボトルを改めて見る。
よく見ると、底の部分に150円がテープで貼り付けてあった。
これは決して契約金等ではないだろう。結局何がしたかったのか良く解らなかった。
ただ、少しだけ。
ほんの少しだけでも嘘に騙されていた頃に戻れたような気がして、不思議と、僕の気分は穏やかだった。
作品名:Rabbit’s equation 作家名:senca