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 肉の焼ける香ばしい匂いが立ち昇ってきて、羽生が漫画のような揉み手をした。炎を挟んだ向こう側では、迫丸が欠伸を噛みころしている。右手のなかにはコルトS.A.A.シングルアクションアーミー・セカンドヴァージョン。上野のアメ横に3人で行ったときに買ったものだ。装弾した6発のうち4発は、目の前の鳩を撃ち落とすためにつかった。羽生などは、必死で追い掛け回し、ナイフで肉を捌くという作業のおかげで、まだ息を乱している。
 狩りそのものは、桐原自身もおおいに楽しんだ。しかし、焼いて食べるとなると、話はべつだ。焚き火に燻されて焦げていく肉の塊を見下ろしながら、桐原は露骨に顔をしかめた。
「そろそろいいんじゃねえの」
 迫丸に促されて、羽生が鳥の体を突き抜けて地面に刺さった小枝をさぐる。
「よし。だれから行く?」
「桐原、行けよ」
「いいよ、おれは」
「びびってんのか」
「だれが」
 かろうじて薄笑いを浮かべてみせる。羽生が無邪気に腕を鳴らして、昂然と顔を上げた。
「じゃ、おれ、行くぜ」
 いうなり、枝の両端をつかんで、鳥の焼死体に顔を近づけた。泣き笑いのようなおどけた表情をつくる。
「生臭え!」
「いいから、さっさと喰えよ」
「いただきまーす」
 わずかの躊躇も見せずに、羽生は鳥にかぶりついた。凝固した血のこびりついた羽根が、制服の膝にぱっと散った。
「すげえな、羽根」
 モデルガンを弄びながら、迫丸が笑う。冷静を装ってはいるが、眼差しは残酷な興味で輝いていた。
「どんな味だ」
「旨くはない」
 顎を歪めるようにして乱暴に咀嚼しながら、羽生がいう。
「やっぱ内臓は取るべきだったな」
 銃を持たない左手を閃かせて、迫丸が肉をねだる。羽生から受け取った枝を回転させて料理を鑑賞すると、大きく口を開けて肩の部分を噛みちぎった。
「くっせえな」
「だろ?」
 よほど不快だったのか、口に溜まった唾を地面に吐き出して、羽生が首を傾げる。
「桐原も食えば」
「いいって」
 予想していたぶん、絶妙のタイミングで答えることができた。桐原は肩を竦めていった。
「そんなまずいっていわれて、喰う気になれるか」
「喰えよ、桐原」
 前歯に挟まった羽根をこそぎ取りながら、迫丸が短くいう。
「味は問題じゃない。これは、おれらの友情の証ってやつだ」
「友情だってよ。らしくねえこというよな」
 羽生が茶化したが、迫丸は笑わなかった。桐原を凝視したまま、肉の棒を突き出す。
「一口でいいから、喰え。でないと、びびってると思われてもしょうがねえぞ」
 体のあらゆる部分を喰い荒らされて、骨を剥き出しにしている鳩。桐原は目を逸らした。
「桐原」
「やめろよ、サク。もういいだろ」
 羽生も真顔になって間に入ってくる。なんとも形容しがたいくすんだ空気が漂った。居たたまれなくなり、桐原は立ち上がった。羽生が止めようとするのを無視して、大股にその場を離れる。

 羽生と迫丸のふたりとは、小学校からの付きあいだった。3人とも近所では悪名高き悪ガキで、万引きやカツアゲでなんども捕まった。親や教師からは毎日のように殴られ、諭され、泣かれたが、気にならなかった。3人でいるときがなによりも楽しかった。
 しかし、中学に入ってから、3人の関係は徐々に変化していった。入学したばかりの頃、有名人であった3人に脅迫めいた警告をしてきた上級生の家にその夜のうちに訪問し、妹を攫った。露骨に軽蔑の眼差しを向けてくる英語教師の車に飼い犬の死体を放り込んだ。迫丸は女の陰毛を剃って売春をさせているという噂だが、本人に確認したことはない。
 はじめのうちはいっしょになって楽しんでいた桐原も、卒業を控えた今は、ほかのふたりに対して疎外感を抱くようになっていた。仲間はずれになるのは構わないが、自分が残酷になりきれずにいるという劣等感を抱かされるのは耐えがたかった。桐原が離れようとしていることを敏感に察しているのだろう。距離を置きたいと思えば思うほど、ふたりのほうから桐原に摺り寄ってくる。
 とるに足らない中途半端な不良であるという自覚を持っている桐原には、幼馴染だからというには過度なふたりの執着が不気味に思えた。敵にまわすよりはずっとましではあるが、自然とふたりに対する態度はよそよそしくなった。
「桐原」
 首に腕を巻きつけられ、息を止めた。遅かった。腐りかけた血と肉の匂いが、鼻腔に押し入ってきた。
「なにたそがれてんだよ。コンビニ行こうぜ。おれ、ビール飲みたい」
 桐原が顔をしかめたのには気づかず、羽生が剽軽にいう。一見悪意とは無縁な明るい笑顔に、だれもが騙される。
「サクのこと、勘弁してやれよ」
「べつに……」
「おれらもさ、ちょっと不安定つうの。桐原、最近明らかに引いてるじゃん」
 馴れ馴れしく桐原の隣に座って、おなじように川の水面を眺める。しばらくどちらも黙ったまま動かずにいた。なんとなく緊張が解けて、ぼんやりしはじめたときだった。いきなり、羽生が体を寄せてきた。
「なんだよ」
 慌てて上半身を引いて、桐原は表情を歪めた。
「顔ちけえよ。気持ち悪い」
「いや……」
 迎合めいた笑みを浮かべながら、羽生が口ごもる。戸惑っている桐原の腿に膝頭を圧しつけて、上半身を倒してくる。
「なに、おまえ、なにしてんの」
「いいから、いいから」
 なんのことをいっているのか、理解不能だった。ブレザーのボタンをはずされ、桐原はようやく我に返った。
「おい!」
「でけえ声出すなよ」
「出すだろ、ふつう!」
 押し退けようとした手が、羽生の胸の前で不自然に止まる。鳩の血がまだこびりついたナイフの刃が、桐原の脇腹にぴたりと圧しあてられていた。
「横浜の高校受験してるって、マジなのかよ」
 いつまでも隠していられるとは思っていなかった。それでも、息を飲み込んだ。
「おまえとサクはいいよな、おれなんかとちがって、勉強しなくても、ふつうに頭いいしよ。おれじゃ、卒業しても、やくざか土木ぐらいになるしかねえもんな」
 囁くような羽生の言葉に、表情はなかった。夕暮れの薄闇のなかで、肉食獣に似た目が光った。
「迫丸とできてんじゃねえだろうな」
「はあ?」
 場の空気にはそぐわない間の抜けた声が漏れた。あまりに突拍子のない言葉に、思わず噴き出してしまう。
「なんだよ、できてるって」
「ふたりでこそこそ会ってんだろ。おれの話、してんじゃねえのか」
「くだらねえ」
「どこがくだらねえんだよ。おれを……」
 突然言葉を切って、羽生が顔を上げる。次の瞬間、軽い音とともに大きくのけぞった。手からナイフが落ち、上半身がぐらつく。再び音がして、肩が烈しく揺れた。ゆっくりと体を反転させて、羽生は崖を転がり落ちた。派手な飛沫を上げて、川に飛び込む。
 両手に構えていたコルトを引き下げて、迫丸は鳩を撃ち落としたときとおなじ、満足げな表情だった。
「なにすんだよ、サク!」
「助けてやろうと思って」
「だからって、ダチを撃つか、ふつう」
「護ってやろうと思って、おまえを」
 ふだんどおりの感情のない冷たい目が、桐原を見る。桐原は口を開き、閉じた。まだ波打っている川を見下ろす。もう一度迫丸をにらむ。
「死んでたらどうすんだよ」
作品名: 作家名:新尾林月