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限り無く夢幻に近く

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「見てよ、ツカサ。電車だ」
 ここにきて初めて人工物を見た。
 俺達の線路と間隔を数百メートルあけた場所を、それは走っていた。思わず胸をなで下ろす。この世界にはちゃんと俺達以外の人間もいるようだ。あいにく、肉眼で乗客までは確認できないけれど。
 二つの線路は並んで敷かれていた。たまに遠ざかりはするものの、一定の距離以上接近することはなかった。平行線になっていて、ぶつからない。
「なんで交わらないんだろうな」
 小さく呟くと、アキトの声がした。
「このレールを引いた本人がそう望んだから」
 思わず彼の顔を覗き込んだ。なんだか、淋しそうな表情だった。
 このレールを引いた人は一体何を思っていたのだろう。どこまで走ってもひとりで。近づくこともない。それを望んだというのだろうか。
「いつか、交差するといいな」
 少なくとも俺は淋しくなった。
 次第にその線路は離れていって、ついには見えない場所を目指して遠ざかっていった。


 突然視界が変わったのは、それから更に扉を三つ開けたころのこと。窓の外を占領していた稲の波が消えた。その代わり、黄色や橙色の何かが地面を覆い隠した。それが木の葉だということは、線路沿いに並ぶ樹を見て分かった。
「紅葉(もみじ)だ。でも黄色いな」
 窓に張り付いて目を凝らした。モミジといえば赤だと思っていたのに、赤色は見当たらない。
「知ってる? 黄の葉って書いてもモミジなんだ」
 黄葉。紅葉。
 特徴的な、まるで掌のような形をした葉。秋の山に登ると、紅に色付いたそれを眺めることが出来る。
「そういえば小さいころ、一緒に紅葉狩りに行ったなぁ」
「そうだっけ?」
「行ったろ。お前ん家と、俺の家族で」
 アキトは首を傾げる。まったく。妙なことは知っているのに、記憶力は乏しいんだな。


 扉を開けると、今度は唐突に部屋の電気が消えた。窓の外まで暗い。どうも一瞬で夜が来たらしい。時間が止まったり、急速に進んだり。いったいこの電車はどうなっているんだろう。
 慣れない目で闇を見ると、きらきら雨が降っていた。真珠のような雨粒が、カツンカツンとガラスを叩いている。
 何を思ったか、アキトが窓のひとつに手をかけた。しばらくガタガタとさせて一枚を押し上げる。
「窓は開くみたいだね」
「飛び下りることは出来なそうだけどな」
 闇の内側は大粒の雨。暗い中でも目で確認出来るほどの。路肩の向こうは海のようだった。吸い込まれるようにして波の中に雨が溶けていく。
何気なく手を伸ばしてみた。危ないかな、と頭を掠めたけれど、いざ出してしまえばなんともなかった。本当に走っているのかと疑いたくなるほど空気抵抗はない。

「痛っ」
 何かに突かれた感じがして反射的に手を引っ込める。思わず握りしめたそれは、固くて冷たい、光る欠片。

「雨じゃない……星屑?」
 『きらきら』は比喩ではなかった。本当に輝きを発している。形は綺麗な丸ではなくとげとげしていて金平糖に似ていた。
「ヒトデだよ。星は海に落ちると海星(ひとで)になるんだ」
 アキトの言葉に、手のひらのそれと空とを見比べる。目を凝らせば曇り空ではなく星空だ。しかも、田舎の祖母の家で見るような、幾千といえるほどの満天の星。降っているのは全て空の星粒。
 海の中を覗き込む。水の底もまた、無数の輝きが沈んでいる。
「海星の前は星。星の前は、大切な人」
「大切な人」
 胸が急に詰まって、とっさにその言葉を復唱していた。死んだらお星様になるんだよ。それは何処で読んだ物語だったろう。

「でも、寓話だろう? おとぎ話だ」
「じゃあツカサの手のそれは?」
 彼は笑って、俺の手の中のものを指差す。
「……夢……じゃないか?」
 いまひとつ確信の持てない答えは、窓の外に消えた。




 ――どうして、こんなに。
 誰かがそう言って、溜め息を吐いた。それがとても面倒だった。

 なぁ、茅野。お前、悪くないんだけどな。
 悪くないけどさ。成長が無いって言うか。もう少しチカラ入れれば違うと思うんだけどさ。

 もう少し響くと違うんだろうな。
 なぁ、諦めるのかよ。大丈夫だって、今から頑張ればまだ間に合う――

 無理矢理思考の連鎖を切り離した。
 たまに心を過ぎるこれは何だろう。どこかで聞いたような、不安を呼ぶこの言葉は?

 どうしていつもこうなんだろう。今はまだ、考えたくない。きっと、ここを出てからでも遅くない。

作品名:限り無く夢幻に近く 作家名:篠宮あさと