限り無く夢幻に近く
俺は目を開けた。
相変わらず世界は揺れている。ガタゴトと音をさせながら。向かいの座席、ガラスに肩を預けるようにしてアキトが、ブレザー姿の少年が窓の外を見ている。その姿がとても懐かしく思えた。
夢を見た気がする。
でも、現実も夢の中と変わりなかった。何処に居たって自分は受動的で非情熱的だ。背中を叩かれてしぶしぶ足を踏み出すくらいに、その適当さ優柔不断さは何年も変わっていない。
溜息は吐く前に欠伸に取って変わった。
「起きた?」
「ああ。……それでも、相変わらず電車の中なんだな」
ぼうっとしたまま、窓の外に視線を移す。
ガタゴトと。
音にあわせて俺の体も揺れる。
「これも夢なんかな」
ぼんやり眺めながら口にしてみる。言葉にしても夢と現実の正体は不確かだ。
電車に乗っていること自体は不思議じゃない。
ただいつもと違うのは、駅に止まらない、ということ。
それどころか、停車する駅が見当たらない。
乗客は俺とアキトの二人だけらしい。窓の外を流れて行く景色は、いつも通うゴミゴミした街中とは異なる。
夕日に染まる田園。一面、黄金色の稲穂が騒いでいる。荒波のようにうねる姿はまるで生き物。平野を突っ切るこの列車を、ざわざわと取り囲んでいる。
その光景は、田んぼが現れたというより、いつもの街が消えたような感じがした。煩雑な日常を一掃し、生命力溢れる稲が全てを覆ってしまったかのように。
そうだったらいいのに、と口の中で呟く。
「降りれないってこと、あると思うか?」
さあ、と彼は首を傾げた。その瞳も橙色を映していた。
「いつかは降りれるんじゃないかな? 『永遠』なんてものはないんだから」
「でもさ、『永遠に近いもの』はあるかもしれない」
自分でも驚くほど落ち着いていた。奇妙な状況下に置かれていながらも物事をゆっくり考えることが出来た。
ケータイまで圏外のこの状況が一体何を意味するのかは分からなかった。なぜ降りられないのか、何が起こっているのかも。
「大丈夫。降りられるよ、必ず。僕は信じてるから」
大きく伸びをして、両手足を放り出す。あまり心配しているとは思えない様子が俺を安心させる。それが彼の気遣いなのだと分かった。
アキトと俺は幼馴染みだった。小中高を共にして今年はクラスも同じ。家が隣ということもあり、俺達はいつも一緒だった。
染めているわけじゃないのに少し赤い髪。悪戯っぽさの混じった人懐こい笑み。何事もさらりさらりとこなしてしまう姿は、小さい頃からの俺の憧れでもあった。
「さて。眠り王子も起きたことだし、少し探検しようか」
彼が立ち上がったのを見て俺も真似する。軽口に苦笑しながら、その微笑みを見詰め返す。俯いた格好で寝ていたので首が痛い。
「後ろと前、どっちに行く?」
「ツカサの好きなほう」
その言葉に従って、なんとなく座っていた場所に近い後方の扉に向かった。取っ手に手をかけて、ぐいと捻る。
「ん?」
しかし、扉には反応がなかった。ガチャガチャと試してみるものの、ドアのハリボテかのように一ミリも開かない。
「鍵でもかかってるのか?」
諦めて振り返り、ぎくりとした。
さっきまで笑っていたアキトが、僅かばかり眉根を寄せていた気がしたから。
何かに怒り、何かを疑うような、その顔。いつもの――さっきまでの彼らしくない、温和なアキトには不釣合いな不穏。けれどそれは錯覚のようにすぐ普段の表情に戻った。
「じゃあ前に行こうか。一番前に行けば、運転手くらいは居るかもしれないよ」
やっぱりいつものアキトと変わりない。気のせいだ、光の加減で見間違ったんだ。そう、納得した。
気を取り直して反対側、進行方向の扉へ向かう。今度は難なくフックが回った。けれどやはりその先も、黄金と橙に包まれた無人の空間だった。
そして俺達は、揺らぐ車両を始まりに向けて歩き出した。
ここにいるだけじゃつまらない。とりあえず歩こう。悩むのはもうやめた。